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「なにも知らなかったんだからしかたないなんて、とてもそんなふうに思えません。あたしが軽率で、自分のことしか考えられなかったせいで、鳴海さんがどんな思いをしたのかを考えたら、自分を許す気になんて到底なれるわけもないんです」
それを思ったら、とても店をつづけることなどできなかった。葵は苦しげに心情を吐露した。
「お店を辞めたあとも、ずっと考えてました。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。なにがいけなかったんだろうって。だけど、そもそも最初が間違ってたんです」
葵は呻いて、拳を握りしめた。
「翔馬が川島さんと付き合ってるって知っててふたりのあいだに割りこんだなら、それはたしかにあたしが悪い。でもあたしは、ふたりのことはなにも知らなかった。だから自分は被害者なんだって、ずっと思ってました。だけど、そうじゃなかった」
葵の視線は一点を凝視している。振り返ったときから頑なに鳴海から逸らされたままのその眼差しは、最初は鳴海の視線を避け、そしていまは、虚空を通じて己の内面に向けられていた。
「あたしは、人を見る目がなかったんです。頭がよくて、見た目もよくて、仕事ができて周囲からもチヤホヤされてる。そういう外側だけを見て、そんな人と付き合ってることに満足してた。内心で、得意にさえ思ってました。身勝手で傲慢で気まぐれな部分があることは、付き合ってた当初から垣間見えてたのに、見て見ぬふりをしてた。気づかないふりで目を瞑ってたんです。彼が自分の恋人であることのメリットのほうが大きかったから」
「恋愛中の人間なんて、みんなそんなもんだろう」
鳴海は口を挟んだ。
「客観的に分析できるほど冷静になれるほうが珍しい。理性より感情がまさっていれば、相手の欠点も欠点として見えづらくなる」
「そうですね。でも、あたしはもう少し、人を見る目を養っておくべきでした」
葵はそう言って、苦い笑みを漏らした。
「あたしは未熟で、だからそのせいで自分に結果が跳ね返って痛い思いをするのはしかたなかったんです。むしろ、いい勉強にもなりました。翔馬が自分とのことをもう一度考えなおしてくれって、またあたしのまえに現れたとき、なんでこんな人が好きだったんだろう、どこがよかったんだろうって思えたのも、きっとあたしなりに、成長できたからなんだと思います。そういう意味では、今回の経験はそんなに悪いことじゃなかった。だけど、それはあくまで自分に関しての範囲内のことであって、無関係の人まで巻きこんでいいことにはならないんです」
葵はあくまでその一点にこだわっていた。
「翔馬たちのことと鳴海さんに関することとは、まったくの別物です。あたしは自分で自分が許せない。迷惑で、とんでもない疫病神で恩知らずで。自分のことを、とてもじゃないけど肯定する気になんてなれない。自分がどんなにバカだったのか、ようやく思い知りました。それでも最後まで引き留めてくださったこと、心から感謝してます。ありがとうございました」
葵は頭を下げる。最後の挨拶のつもりなのだろう。
思わせぶりなことはしないでほしい。これ以上気を持たせることはやめてほしい。その背中が精一杯拒んでいる。ふたりのあいだに、重い沈黙が落ちた。
「――君は俺を、誤解してる」
短い沈黙の末、鳴海は不意に呟いた。
「俺はそんなできた人間じゃないし、強くも優しくもない。君を雇ったのも引き留めたのも、俺のエゴだ。それから、最初にコンビニで君を止めたのも」
言って、鳴海は小さく息をついた。
「ネットに書かれていたことは、すべて事実だ」
あっさりと告げられた真実に、葵はビクッと身をふるわせた。
「だけど俺は、君に感謝してる。君に救われたのは、むしろ俺のほうだ」
「……え?」
驚いて顔を上げた葵から、今度は鳴海が目を逸らした。
「俺は予備校の元講師で、妻と娘は五年前、教え子だった学生に刺殺された。スーパーで買い物をした帰り道、日中の往来で。俺はそのとき、なにも知らずに受け持ちのクラスで教鞭を執ってた」
瞠目する葵から目を逸らしたまま、鳴海は話しつづけた。
「君を最初にコンビニで見かけたとき、様子がおかしいことにはすぐに気がついた。なにをしようとしてるのかを推測するのは、もっと簡単だった。君が、かつての教え子とおなじ目をしてたからだ」
「だからあのとき、止めてくれたんですか?」
「善意からそうしたわけじゃない」
撥ねつけるような調子で言いきる。それから、わずかにトーンを落とした。
「君を止めることで、かつて止めることのできなかった教え子の凶行に対する埋め合わせをしようとした。それだけのことだ」
「でもあたしは――」
「俺は、君が思うほど立派な人間じゃない」
会話の流れが突然逆転したことに、葵は戸惑いを見せた。だが、鳴海は引かなかった。




