愛華のタイムアタック
愛華が最終コーナーを上手く加速ラインに乗せて立ち上がってきた。体を目一杯小さく折り畳んで、カウルの中に身を隠している。スピードを稼ぐ事だけを考えて、頭までタンクに伏せた姿勢。目の前の路面しか見えてない。コースサイドの白線だけを頼りに、シフトアップを繰り返し更に加速していく。
計測ラインを越えた。ここから1,000分の1秒もロスは許されない。
路面は、急な上り勾配に変わる。頭を臥せたまま、5から逆に数を数える。
登り切った先のブラインドになっている第1コーナーぎりぎりまで加速を続けた。
……3、2、1、ゼロ、今だ!
素早く上体を起こすと、最小限の減速で1コーナーに飛び込んだ。
ここまでは完璧だ。トップスピードでタンクに伏せたまま1コーナーに迫るのは勇気が必要だったが、最初の区間タイムは、シャルロッタのベストタイムをも上回っているはずだ。
テクニックも経験も劣る愛華は、たとえ僅かなタイム短縮にしかならなくても、リスクを怖れずぎりぎりまで削っていく。
続く緩やかなS字の連続は、意外とタイムを削れない。勝負処は、高速S字のあと、短い直線とバックストレートを繋ぐ鋭角の11コーナー。
このコーナーの抜け方次第で、このコース最長のストレートスピードが決まる。つまり、このコーナーの脱出速度が、あとに続く長いバックストレート通過所要時間に影響する。
シャルロッタとスターシアのライディングスタイルの違いが、明確に分かれるセクションでもある。
シャルロッタは、小さく曲げて、素早く加速体勢に移す。一旦スピードは落ちるが、それを早い位置からのアクセルオンで取り戻す。
スターシアは、高いスピードをキープしたまま、大きな弧で曲がっていく。コーナーでの速度は保てるが、フル加速に入れるポイントは奥になる。
どちらもコーナーリング区間より、如何に速くストレートを抜けるかがポイントとなるのに変わりはない。
愛華も、シャルロッタに近い走り方で、本来、大排気量大パワーマシン的な加速重視の乗り方を、小柄な身体のメリットを生かして非力なマシンでも応用している。低速で小回りさせると一気にアクセルオン、上のクラス並みの加速でストレートを駆け抜けていく。
エレーナは状況に合わせて明確に使い分け、その中間的な走り方はほとんどしない。
愛華は、練習走行でスターシアの後ろに付いて走っていて気がついた。
スターシアと同じスピードで進入しても、体重の軽い愛華の方が早くターンを終え、早い位置から加速体勢に入れる。バックストレートに差し掛かる辺りには、前をいくスターシアに並びかけていた。
愛華は自分の可能性を見つけた気がした。
練習走行で何度もトライしてみた。
スターシアの後ろからなら上手くいくのだが、目標がないと進入スピードが上手くコントロール出来ない。
オーバースピードで、コースアウトしかける。
怖くなると今度は減速し過ぎた。
勇気を振り絞れば、またオーバースピードだ。
練習中は、その繰り返しで、タイムはバラバラだった。
スターシアのように走るには、アプローチの段階からしっかりとコーナーリング全体を組み立てていなければ、上手く走れない。
単独では、一度も上手くいかなかった11コーナーの進入を、予選の一発に賭けた。
目の前をいく、仮想スターシアさんの背中を追う。
仮想スターシアさんの的確なブレーキング。それに合わせて減速。
マシンをフルバンクさせる。前後のタイヤが、旋回力の限界を訴える。マシンはどんどんアウトに膨らんでいこうとする。
「うわっ、速すぎたぁ!」
なんとかインにへばりつこうと、ハンドルを固持って無理やりインに向けた。
フロントタイヤが滑る。路面を擦る膝でなんとかマシンを支え、転倒を逃れた。しかし、完全にラインを外れ、オーバーランした。
幸い、エスケープエリアが砂場でなく、舗装されていたため、すぐにコース復帰出来たが、大きなタイムロスだ。しかも長いバックストレートを、完全に失速した状態から加速していかなければならなかった。
残りを必死に失敗を取り戻そうと走ったが、バックストレートのロスは大きい。焦れば焦るほどミスを重ねる結果となってしまった。
結局愛華のタイムは、予選通過基準の上位32人から漏れた。
果敢にタイムアタックに挑んで、転倒や大きなミスをしたライダーが、公式練習のタイムで決勝に出走できる救済枠に救われて、決勝には出場出来るが、救済枠は公式練習のタイムがどんなに速くても最後列からのスタートとなる。
愛華は、デビュー以来最低のスターティンググリッドからのシーズンインとなった。
シャルロッタも、愛華と同じコーナーで小さなミスをして三位、スターシアは、ノーミスだったが二位に終わった。
そして愛華とは反対に、渾身のアタックを成功させたラニーニが、キャリア初のポールポジションを獲得した。
「今シーズンは、ラニーニがブレークする年だ」と、まるでタイトルまで頂いたように歓喜するジュリエッタファンに、恥ずかしそうに手を振って応えるラニーニ。
愛華はおめでとうの言葉も言えず、涙を隠して背を向けるしかなかった。




