ライディングテクニックとテクノロジー
フランス ル・マン、ブガッティサーキット。
予選1位2位を占めたチェンタウロのシャルロッタとフレデリカが、スタートと同時に他を圧倒するパワーでダッシュすると、尚も加速しながらダンロップカーブを駆け抜けて行く。後続を、すでに10m近く引き離している。
続くシケインで一気にフルブレーキング。一瞬、後ろとの差が詰まったように見えるが、後続集団もブレーキングに入れば、タイム差は変わらない。いや、集団の中でのポジション争いは、トップを揚々と飛ばしている二人より過酷だ。タイム差はさらに拡がる。
予選5番手、二列目からスタートしたラニーニは、同じく二列目スタートの愛華と並んでダンロップカーブを通過した。
(アイカちゃんの前でシケインに入りたい)
おそらくシャルロッタとフレデリカは、いつも通り後半には息切れするだろう。だからといって悠長に構えているチームはない。引っ張られるようにハイスピードのレース展開になるのは、今や定番となっている。少しでも前に出ていないとなにもできないままレースを終えることになる。
ダンロップカーブは高速の右コーナー、ラニーニがイン側だったが、シケインの最初は左コーナー、愛華が内側にいる。愛華の前でシケインに飛び込むには、ブレーキングを遅らせるしかない。
全開からのフルブレーキングは、レースシーンの中でも最も緊張する場面の一つだ。ましてやマシンはダンロップを抜けてもスタートからの加速を続けている。フロントフォークが伸びたままからのフルブレーキングには、度胸だけでなく繊細なコントロールとハードなテクニックが試される。
ラニーニは、フルスロットルを維持したまま、コース右側いっぱいまで寄る。当然愛華も譲れないだろう、肘と肘が触れ合わんばかりに寄せてくる。
並外れた身体能力で、あっという間に世界トップクラスの技術を身につけた愛華であっても、ラニーニの子供の頃からレースで培われたブレーキング感覚の方が一日の長がある。絶対に負けられない。
ベストのブレーキングポイントがビデオの早送りのように迫る。恐怖と競争心のせめぎあいの中、ブレーキレバーに指を掛けた。
シケインになだれ込む集団の中では、至るところで激しいポジション争いが繰り広げられていた。どこを見ても迫力のブレーキング争いが展開する中でも、親友であり、ライバルである二人のエースの争いに、多くの視線が集まっていた。
指が動いたのは、二人ほぼ同時だった。だが愛華の方が、僅かに早く減速した。ラニーニが前に出て急制動。しかし、フロントフォークがフルボトムして倒し込みの動きが鈍い。
ラニーニは、本来のブレーキングポイントを越えた瞬間、右手人差し指と中指に力を込めていた。それはおそらく、シケインを愛華より前に出て、尚且つ抜き返されないスピードを保つぎりぎりのタイミングだったろう。タイミングは間違ってなかった。そこから繋げるテクニックも、ラニーニにはあった。ただ、ラニーニの指とブレーキパッドの間には、電子の感覚が介在していた。
本来ブレーキは、強く握れば強く効くというものではない。じわりとブレーキディスクとパットを接触させ、温度を上げながらタイヤの回る速度を落とし、フロントフォークを安定させる準備段階、そこからグリップの状態を感じながらフルブレーキングに入っていく。文字にすれば長く悠長に思えるが、それをコンマ何秒か、一瞬の間に神経を集中させ、一連の動作で行うのが、レースでのブレーキングである。
ライダーにかかるその負担を、少しでも軽減しようとするのが、ヤマダのブレーキコントロールシステムであった。ブレーキレバーの握り角に応じて、速度、ブレーキディスクの熱膨張、サスペンションの状態、減速Gを瞬時に解析計算し、最短で減速するシステムのはずだった。
実際、バレンティーナやラニーニといったトップクラスのライダーですら従来のブレーキシステムと変わらない時間での減速を可能としていた。何より疲労が軽減され、集中力を他にまわせる。
ライダーはどんな速度からでも急減速したければ、ブレーキレバーを思い切り強く握ればよく、少し減速なら少しだけ引けばいい。
ラニーニもヤマダに移籍して初めて乗った時は戸惑った。体に染みついた感覚が、どうしてもいきなり強く握ることを拒んでしまう。だがそれも徐々に慣れ、電子制御もライダーに違和感を感じさせないような進化し、今では違和感なく使えるようになっていた。
しかし、時速200キロ以上からのフルブレーキングの緊張と絶対に負けられないという強い思いが、子供の頃からの癖、というか体に染みついた高度なテクニックが、思わず顔を出してしまった。
じわりと握った時点で思ったより効かなく、慌てて必要以上に強く握り込んでいた。今度は急激な制動で、フォークは深く沈み込み、タイヤのグリップ力のすべてが減速に費やされ、旋回に持っていけない状態に陥ってしまった。
大きく速度を落とし、外壁に膨らんだラニーニから、愛華の後ろ姿が遠ざかって行く。すぐ後ろに由加理が入って追いかけるのが見えた。
(またアイカちゃんをマークしてたんだ)
新人のアシストを頼もしく思う反面、一抹の悔しさも感じた。
十代後半からバイクの世界に入った由加理は、まだ高度なブレーキテクニックを身につけられていない。それでもこのブレーキシステムによって、ラニーニたちが幼い頃から恐怖と時には文字通り痛みに耐えて身につけたのと同等なブレーキングを、簡単に享受している。それどころか余計な癖が染みついていないだけ、ポテンシャルを最大限に発揮している。
(あの子の方が、ヤマダのエースに相応しいのかも……)
憂いはレース後にして、ここからの巻き返しに集中する。由加理の背後にスターシアも入っていた。ナオミはノエルマッキに囲まれて、まだ抜け出せてない。由加理一人では、愛華にとことんついて行くことは可能でも、スターシアを相手にするには、まだまだ経験が足りない。
失速してしまっても、シケインという速度の遅い区間だったので、コースアウトも完全に引き離されることもなく立て直せた。
ヤマダ移籍後も、毎シーズン有力候補と言われながらタイトルを獲れていない。今季に至っては優勝はおろか、表彰台もままならないレースが続いている。
(なんとかヤマダに勝ち星を。わたしがだめなら、ユカリちゃんが……)
集団後方にまで落ちてしまったが、まだレースは始まったばかりだ。




