白百合の三人娘
愛華は得意のスタートで、二列目からフロントローのシャルロッタ、フレデリカ、バレンティーナ、ラニーニの間に潜り込むことができた。
そのままトップ5人が、重なるようにしてファーストコーナーに雪崩れ込む。愛華は牽制し合うフロントローライダーたちの間を抜け、ホールショットを決めたシャルロッタの後ろ、バレンティーナと小競り合いをしているフレデリカの前に躍り出た。続くコーナーでフレデリカとバレンティーナから激しくプッシュされるが、シャルロッタの後ろを譲らない。
昨シーズンまでのチームメイト、シャルロッタの走りは知り尽くしている。
シャルロッタさんとフレデリカさんは、今日も序盤から飛ばそうとしてるはず。バレンティーナさんも狙っている。なんとしてもここを死守しなきゃ……。
スタート早々にでシャルロッタの後ろに潜り込んだ愛華だが、フレデリカとバレンティーナを抑え続けるのは並大抵でない。シャルロッタと同じフェリーニLMSに乗るフレデリカは、レースでの速さも飛び抜けてる。バレンティーナの新型ノエルマッキも、パワーはフェリーニLMSにも劣らない。それでいてコーナーでも安定してるのだから、チームメイトのアシストがあれば十分シャルロッタたちに対抗できるだろう。勿論ヤマダもマシン性能ではひけをとらない。愛華は一刻も早くスターシアが追いついてくれることを願った。
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「愛華がいいポジションにつけてる!」
メインストレートに戻って来た先頭集団に、シャルロッタに次ぐ2番手に愛華がいるのを見つけた智佳が叫ぶ。
「厳しいわね。フレデリカさんとバレンティーナさんもぴったり着いてるから気が抜けないわよ」
智佳よりずっと熱心にGPレースを見てきた紗季は、智佳ほど楽観的に歓べなかった。
「どうして?シャル&愛華のコンビはMotoミニモ最速のペアだろ?」
「それは昨シーズンまでの話。今はライバル同士よ」
「だけどお互い敵は少ない方がいいんじゃない?走り方はわかってるから、ここは協力して引き離せばいいじゃん」
「そのあとどうするの?1対1でシャルロッタさんに勝てると思う?」
「うう……。なんか紗季って、愛華よりシャルの応援してるみたい」
「べつにどっちを応援してるとかないわよ。客観的に見てるだけ」
このペースが速いのか遅いのか、紗季にはわからない。まだ一周目なのでタイムは参考にならないし、このコースでレースを観戦するのは初めてだ。
だが、愛華がシャルロッタの速さを引き出してるというよりは、逃がさないようにしてるように感じた。
「おそらく、紗季さんの予想は当たってると思います」
1コーナーに消えていった先頭集団からモニターに目を移した二人は、聞き慣れた声に振り返った。
そこには鮮やかな赤色に純白のチェンタウロとフェリーニのロゴが描かれたシャツを着た水野由美が立っていた。
「あ、由美さん」
「あれ?ピットにいなくていいのか?チームマネージャーなんだろ?」
紗季は少し驚いたように、智佳は意外そうな声をあげた。
「レースに関しては、すべてハンナさんに任せてます。それに私はマネージャーではありません。フェリーニの宣伝広告を手伝わせてもらってるだけですよ」
智佳の質問に、隙のない由美スマイルで答える。
「そんでもプロジェクトの代表みたいなものだろ?現場で偉そうにしてる役だよね?」
智佳の言葉に棘を感じるのは気のせいだろうか。なんとなく由美を追い払おうとしてるような気がしないでもない。
「みなさんプロとして意識の高い方たちですから。私などが口出す必要はありません」
「要するに邪魔者ってことか」
「なにか言いました?」
智佳の小声のつぶやきに、由美の鋭い視線が突き刺さる。
「あっ、いや、なんでもないから。それよりこんなVIP席用意してくれてありがとね。食べ物はヤマダの方がおいしかったけど、サービスは一番だよ。あっちは人が一杯だったから」
「ちょっと、智佳!いくら友だちでも失礼よ。ごめんなさい、由美さん」
「いえ、気にしないでください。招待するお客様は厳選しておりますので。お食事については貴重なご意見と受けとめておきます」
「わたしなんて特に四つ葉のお得意様ってわけじゃないけどね。まあシャルちゃんもフレデリカさんも琴音さんも応援してるけど……」
また智佳が小声でボソボソ言っていたが、由美はにっこり微笑んだ。智佳とは昔からこんな感じだ。言葉ほど悪気がないのはわかっている。
そんな話をしてる間に、先頭集団が再びメインストレートに戻って来た。
先頭のシャルロッタ、愛華は変わらないが、フレデリカとバレンティーナはストレートでも激しくポジション争いをしている。その背後でラニーニが虎視眈々と、そしてスターシア、由加理、ナオミ、ジョセフィン、エリー、琴音といったアシストライダーたちがぐっと差を詰め迫っていた。
「やはり愛華さんはスターシアさんが追いつくのを待っているようですね」
一団が爆音と共にストレートを駆け抜け、会話ができる程度に落ち着くと由美がレース状況の解説を始める。
「だけどヤバくない?後ろが追いつくってことは、他のチームにとっても体制整えるってことだろ?」
「スターシアさんが前にでられれば、シャルロッタさんを引き込んで逃げられるかも?」
紗季が自分のレース知識の範囲で愛華が有利な展開を口にする。
シャルロッタ、愛華、スターシアの三人で逃げるのは、昨シーズンまでのストロベリーナイツ必勝パターンだ。この三人が一旦離してしまえば、ほぼ追いつかれることはなかった。
「でも今は、それは少し無理でしょうね」
紗季の願望を込めた予想を由美は否定した。
「シャルロッタさんとしては、スターシアさんが加わったとしても、バレンティーナさんやラニーニさんたちまでまじえた混戦より、小人数で逃げに入った方がやりやすいでしょうけど、フェリーニとスミホーイではマシン特性が違い過ぎます。協力してもヤマダやノエルマッキを引き離すのは難しいでしょう」
愛華もスターシアも、どうしたらシャルロッタが一番速く走れるかを知っている。だがそれができるのは、同じスミホーイに乗ってという条件がつく。
高いコーナーリングスピードをめざすスミホーイと加速でスピードを稼ぐフェリーニLMSとでは、走らせ方が違う。どんなに乗り手同士が協力しても限界があった。
「だったらどうして愛華は無理してシャルちゃんをマークしてるんだ?どうせ逃げ切れないなら、後ろで温存して最後に勝負かけた方がいいんじゃない?」
智佳の質問に、なにか気づいた様子の紗季が答える。
「たぶんシャルロッタさんをフリーにしたら、もっと速くなるからだと思う。フレデリカさんも対抗して、競争するようにペースあがって、バレンティーナさんまで加われば、前回同様ハイペースなレース展開になるから、後ろにいても温存するほどの余裕なくなると思う。それどころか、誰かスパートした時、出遅れてしまうリスクがあると愛華は判断したんじゃないかな?前回、終盤後ろから前に出るのに苦労してるから」
「そうね、トップグループの中では、パワー的にはスミホーイが一番劣ってるから、愛華さんは早い段階からポジションをキープしてレースをコントロールしておきたいのでしょう。シャルロッタさんの速さを引き出すことはできないけど、速さを出させないことはできる。シャルロッタさんを知り尽くしている愛華さんだからこそできる、地味ですが高度な技術です」
紗季の分析を由美が補強する。
「でも、それじゃみんながごちゃごちゃになるだけで、べつに愛華が優位にはならないんじゃない?むしろ勝負処で愛華とシャルちゃんだけくたびれちゃってる可能性だってあるんじゃないか?」
「そこなのよね、今一つすっきりしないのは……愛華さんのがむしゃらに頑張るという性格としか……」
智佳や紗季にわかったようなことを言っていても、由美自身、なにか納得できないでいた。
確かに、愛華さんはこれまで、絶体絶命に追い込まれた状況を、驚異的な粘りで何度も覆したことがあります。だけど、今や愛華さんはストロベリーナイツのエースであり、女王を次ぐ者。本人はエレーナさんには程遠いと思っているようですが、少なくともそうなりたいと思っているはず。デビュー当時ならいざ知らず、エースを自覚する彼女が、まだ様々な可能性のあるレース序盤に、捨て身の作戦を選択するでしょうか?
由美の合理的思考では、なにか別の思惑があるように思えて仕方なかった。
「えっと、私に技術的なことはよくわからないけど……」
由美の困惑を感じたのか、紗季が高校時代の生徒会室のように手をあげ発言する。由美は、その仕草を懐かしく思いながら次の言葉を待った。
「愛華って『ライディングテクニックは自分が一番下手』ってよく言ってるでしょ。でもあの子、知っての通り粘り強さには自信持ってるの。逆にシャルロッタさんもフレデリカさんも粘り強いほうじゃない。しつこくまとわり着かれるのも苦手だと思う。バレンティーナさんも案外キレやすいところあるから、愛華はそこまで考えて、レースを支配しようとしてるのかも……」
目の前のレース展開と、それぞれの性格を考えて、紗季に浮かんだ愛華の作戦を口にした。
「………なるほど、レースは心理戦でもあるということですね。さすが紗季さんです」
拮抗したレベルでの戦いは、メンタルが大きなウエイトを占める。そう考えると愛華の頑張りは、ファンを喜ばせるだけだったり、単なる自己満足だけとは言い切れない。
由美は、昔から合理的思考に偏りがちな自分を紗季が補佐してくれてたのを思い出す。
「で、その作戦は上手く行くのか?」
改めて予想を組み直す由美など気にせず、智佳はずばり尋ねた。
「わからない。でもシャルロッタさんには有効だと思う。自分の良いところも悪いところも知ってる相手に、それも味方じゃなくて敵にまとわり着かれたら、普通の人でも気分いいものじゃないから。フレデリカさんは、今は様子見てるみたいだけど、愛華の意図に気づいたらさっさとパスしようとするでしょうけど、その時はシャルロッタさんにブロックさせればいい。愛華はそんなに無理しなくても牽制できるわ。バレンティーナさんがチーム体制を整えたとしても、シャルロッタさんとフレデリカさんを抜き去って完全に引き離すのは難しいと思う。バレンティーナさんの体制が整うということは、当然スターシアさんや琴音さんも追いついているから、なかなか思うように走れない状況になってるはずだから」
「ふむふむ、そうなったら心理的には愛華が一番優勢ってことだな」
智佳はうれしそうに笑顔を見せた。なぜか由美にドヤ顔を向けている。
「そうとも言い切れないわ。バイクの性能はたぶんスミホーイが一番劣勢だし、タチアナさんも今一チームに馴染めていないみたいだから、そんなに簡単にはいかない。案外ラニーニちゃんたちが一番の強敵かも?ラニーニちゃんは愛華と同じように忍耐強いし、由加理ちゃんも前回二位で自信つけてる。ナオミさんもスターシアさんに負けないしっかりした技術持ってるから」
「結局、最後までもつれるってことですね」
「あくまで私の素人予想だけど……」
紗季は謙遜したが、由美も同じ結論に至っていた。
レースは、中盤を過ぎ、終盤へと向かっていった。ここまではほぼ紗季の予想通りの展開で進んでいた。




