奴隷とご褒美
ミーシャの送還を決定事項のようにエレーナは言い放ったが、ニコライはなんとか猶予を頼み込んだ。自分が手をあげたことによって事が大きくなった負い目もある。
「今回だけは見逃してやってください!あいつの腕は本当に確かなんです。経験だってある。あれほどの逸材をたった一回のミスで潰すなんて、エレーナさんらしくないです!」
「おまえの気持ちはわからなくなもいが、なにか勘違いしてる。私はたった一回のミスを問題にしてるのではない。ミーシャの人間性だ」
「勘違いしてるのはエレーナさんです!あいつ、ガキの頃からレーサーになりたくて一生懸命でした。残念ながらライダーとしての才能はありませんでしたが、それでもレースに関わりたくてメカニックになったんです。知っての通りメカニックとしては一流の腕を身につけました。それには本当に寝る間も惜しんで努力しました。もちろん、女にうつつをぬかす暇なんてありませんでした。アイカちゃんを好きになったのだって、メカとして親身になってたからです。アイカちゃんのそばにいたら誰だって好きになるでしょ?正直言ってタチアナに誘惑されたのは俺もがっかりでしたが、それだけあいつは純粋なんです。もう一度チャンスを与えてやってください!」
ニコライは一気に喋った。エレーナに対してここまで反論するとは、自分でも驚いている。
ミーシャは、自分の若い頃に似ていた。女性に純粋なところも似ている。
「私も、もう一度チャンスをあげてみても良いと思います」
意外にもスターシアもニコライの主張に理解を示した。
「ターニャさんの担当は外さなくてはならないでしょうが、今すぐクビにするのは早急すぎるのではないでしょうか?そんなことしたら、最近丸くなったと言われてるエレーナさんが、また冷酷な魔女と呼ばれますよ」
「誰が魔女だ!そういうのはシャルロッタに全部つけて送ったわ!」
スターシアは、なんとも言えない間合いを持っている。たとえエレーナが第一線から身を引いても、この関係は変わらない。
スターシアに言われ、エレーナはもう一度考えを巡らせる。
テクノロジーは日進月歩で進化している。特に電子制御燃料噴射装置が実用化されてからは、電子化の波は止まらない。いずれGPも電動バイク化というのも笑えない話となっている。それでも、機械をさわれるメカニックは絶対必要だ。タイヤにしろサスペンションにしろ、ますます専門化されるだろうが、リアルのレースはコンピューターゲームではない。マシンを組み立て、全体を仕上げられる機械屋は必要とされるだろう。特に新しいものを吸収できる柔軟な若さと現場で積み上げた経験は貴重だ。
「ふ……まあいいだろう。そこまで言うならもう少し様子を見てやるか。イリーナ、おまえの下で使ってやれ」
エレーナは、スターシア専属メカニックのイリーナにミーシャを任せた。突然押しつけられたイリーナは、困惑顔でスターシアを窺う。
「ちょっと待ってください!私のところにですかっ!?」
スターシアが慌ててエレーナに聞き直す。
「そうだ。女ばかりで大変だろう?腑抜けでも一応男だ」
「足りてます!」
「ターニャにも担当のメカニックが必要だ。ユリアをターニャの担当にする」
ユリアは、イリーナの下で二年前からスターシアのマシンを整備している若手女性メカニックだ。技術的にはもう担当を任されてもいい腕だが、その機会がなかった。
「でも、もしターニャさんが両方いける人だったら?」
おそらくユリアまで誘惑するという意味である。
「言い出したらきりがない。しっかりと言い聞かせておけ」
「妥当な人選と思いますが、私に男手は必要はありません」
タチアナにメカニックが必要な事も、ユリアにとってちょうどいい機会である事も、彼女なら男性メカニックより誘惑される危険性が少ない事も理解していた。だがイリーナは、女性としては筋肉質な腕をまくるようにしてミーシャの面倒は拒んだ。
「ご存知と思いますが、イリーナはガチのレズビアンですよ」
スターシアがそっとエレーナに耳打ちする。なるほどモデルのようなスタイルのスターシアより背が高く、短く刈り揃えられた髪に切れ長の瞳は、並みの男より女の子にモテそうだ。
「ちょうどいいじゃないか」
イリーナのそばなら、ミーシャものぼせることもないだろう。エレーナはニヤリとして答えた。
「そこまで言うならわかりましたよ。なよなよした男は何より嫌いですから、根性叩き直してやりましょう」
イリーナも不敵な笑みを浮かべ了承した。
「ああ、奴隷のようにこきつかってやれ」
二人とも化粧っ気などないが、素材は整ってるだけに妖しい凄みがある。まるで美しい悪魔同士の契約のように微笑みを交わし合った。
「「怖い……」」
その場にいる男二人、ニコライとタムラは震えながらつぶやいた。エレーナはやはり冷酷な魔女だ。否、魔女は二人いた。
「次にニコライの処分だが」
「えっ、私も処分されるんですか?」
「当たり前だろ?あろうことかピット内で暴力行為に及んだんだぞ」
全員が、どの口が言うか?とエレーナの顔を見るが、誰も口に出す者はいない。
「とはいえ、ニコの仕事を代われる者もいない。どうしたものか……」
ニコライはほっと安堵する。
「そうだな、私も長年体を酷使してきたせいで、節々が痛くて最近は眠れない夜もある。これから毎日、ニコは自分の仕事を終えたら私の肩揉みをしろ。いいと言うまでだ」
「いや、その、確かに責任は自分にあると言いましたが……、ワタシダッテ疲レテルンデス、セメテ決勝前ハ勘弁シテクダサイ」
途中から棒読みになって不平を述べるが、顔がにやけている。
それはむしろニコにとってご褒美では?と皆が思ったが、これもあえて口にしないであげた。おそらくこの男は、肩揉み以上の行為は何もできないだろう。




