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最速の女神たち   作者: YASSI
進化する世界
330/398

ニコライの憂鬱

 進化の歴史を研究している学者によると、生命の進化というのは、ゆるやかにではなく突然、しかも個々にでなく同時多発に、爆発的に起きるという。それは環境まで変化させるほど劇的に。

 

 エレーナは今、Motoミニモにおける進化の大爆発を予見していた。


 愛華とシャルロッタ、どちらがきっかけかはわからないが、互いに影響し合い、急激な進化を遂げようとしている。

 その波は、確実にラニーニやナオミにまで影響を及ぼしている。それだけでなく、バレンティーナや他のライダーまで変わっていっている。

 かつてエレーナたちが初めてGPに登場した時のように、Motoミニモのスタイルを一変させるほどの大変化ではなくとも、特殊な感覚があたり前になるかも知れない。それに適応できないものは淘汰されるか、片隅で細々と生きていくしかない。

 

 

 普通の人間では勝てなくなるか。それも仕方ないだろう……

 

 

 エレーナは、シャルロッタのような特殊な感覚のライダーがグリッドを占める光景を想像した。

 

 

 シャルロッタがいっぱい……

 

 

 あまりにおぞましい光景にぞっとした。

 

 

 


「少しペースを落とさせた方がいいのでは?」


 チーフメカニックのニコライは、じっとモニターを見つめたままのエレーナに指示を求めた。


 レースはストロベリーナイツが独走態勢を築きかけているが、あまりに速すぎる。素人目には、スターシアが安定したペースでチームメイトを引っ張っているように見えなくもないが、愛華を捲き込んで、シャルロッタと超絶テクニックの応酬を繰り広げているのだ。

 後続との差はすでに十分ある。三人とも最高に乗れている。しかし調子のいい時ほど慎重にならねばならない。そんなことはエレーナもわかっているはずだが、ニコライはいよいよ心配になってきた。


「せっかく面白くなってきたんだ。このままで走らせてやろう」


 当然ペースダウンの指示があるだろうとサインボードを準備していたニコライは、自分の耳を疑った。


「しかし、これ以上ハイペースを続けるのは、リスクしかありません。燃費の問題もあります」


 このペースでは、スターシアの燃料は間違いなくゴールまでもたない。シャルロッタとて余裕があるとは言えない。愛華にいたっては、これまでのデータは役に立たないので予測すらできない。

 物理的要因だけでなく、ライダーの精神的肉体的ストレスも大変なものだろう。一瞬のミスですべてが終わってしまう緊張感の中、凄まじいテクニックを駆使しているのだ。そろそろタイヤもダレてくる頃だ。ますますライダーへの負担は大きくなる上に、チームメイトとは思えない過激なバトルを演じているのだ。


「このままだと三人とも潰れてしまいかねません。シャルロッタとアイカのどちらかが優勝しても、ラニーニが二位でゴールしたらタイトルは持っていかれてしまいます」


 これだけ差がつけば、あの三人ならマージンをとった走りでも逃げ切れるだろう。少なくともスターシアと愛華に冷静さを取り戻させることができれば、必然的にシャルロッタの無謀な走りはおさまる。最悪、愛華とスターシアのワンツーでもいい。


「ライダーというのは、全力で走ってる時が一番集中できている。今、あいつらは最高の状態で走ってる。急に安全運転に切り替える方が危険だろう。ラニーニたちも、決して遅いとは言えないペースで安定して走ってるんだ。安全マージンなどない」


 エレーナの言うことも一理あった。今三人は、極限に張りつめた糸のようなものだ。

 速く走ることに集中していた意識を、急に安全策に切り替えるのは難しい。張りつめた糸を急に緩めればどうなるか。ペースダウンによって生まれた余裕は、セーフティー走行に集中するより、単なる注意散漫となる可能性が高い。アクシデントというのは、安全なペースで走ってる時に起こったりするものでもある。


 といって、このまま走り続けさせるのもリスクがある。タイヤが最後までもつか?スターシアがガス欠になった場合、シャルロッタと愛華が仲良くゴールまで来られるかは、ライダーの能力というより運任せに近い。


「しかし、このまま見ているだけでは……、なにか確実な方法はないんですか?私たちは天に祈るしかないんですか?」


「天になど任せたりするものか。あいつらに任せる」


 投げやりのように言っているが、ニコライにはエレーナの彼女たちへの揺るぎない信頼が感じられた。


「それにレースというのは絶対などない。勝とうとするなら、どこかで賭けをしなくてはならない。確かにもう少し手堅くやる方法もあったが、ここまで来たら賭けるしかないだろう?」


 「手堅い方法」ほどエレーナに似つかわしくない言葉はない。実際には手堅い勝ち方もしてきてるが、攻めると決めたら徹底的に攻める。それが女王の戦い方だ。第一線から退いたとはいえ、エレーナはやはりGPの女王に変わりない。ニコライは改めて女王の女王たる所以を感じずにはいられなかった。


「エレーナさん、私はどこまでもついて行きます!」


「なんだ、急に?そんな大袈裟に言わなくても、メカニックとして誰よりも信頼してるぞ。私がチームを率いる限り、チーフメカニックはニコ以外考えられない」


 自分も信頼されているのはうれしかったが、エレーナは今日もニコライの気持ちを察してくれない。だが今のニコライは、レース同様熱くなっていた。


「エレーナさん、レース中なのはわかっていますが、どうしても伝えておきたいんです。自分はエレーナさんに惚れています。そして今、改めて惚れ直しました。チームのリーダーとしてだけでなく、エレーナさんのすべてが好きなんです!」


 さすがにここまではっきり言えば、エレーナも意味を理解するだろう。あるいはすでに知っていて気づかぬふりをしていただけかも知れない。レースの真っ最中に告白するなど不謹慎だと思う。だがもう言ってしまった。エレーナもしらばっくれることはできない。場合によっては、自分がチームを去らねばならなくなるかも知れない。

 

 

 もうこのレースでメカニックにできることはないんだ。それはエレーナさんも同じ。だったらいつまでもこのモヤモヤした気持ちを抱えたままエレーナさんのそばにいるより、いっそ突き放された方が楽だ!

 

 


 勢いで言ったとはいえ、ニコライは期待と不安で逃げ出したい気持ちを抑え、エレーナの答えを待った。


「………ニコライ、いくらやることがないとはいえ、時と場所を考えろ」


 やはりエレーナさんは自分の気持ちに気づいていた。拒否はしなかった。タイミングが悪かっただけだ。もっとロマンチックな演出で告白すれば……


「おまえの性的趣向は知っている。それについてどうこう言う気はない。だがいくら男勝りと言われていても、私は女だ。間近な者から男扱いされるのは不愉快だ。二度とふざけるな」


 ニコライには、エレーナがなにを言っているのかわからなかったが、告白が撃沈に終わったことは理解した。

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