苺大福の約束
愛華のいた白百合女学院は、小中高一貫のその地方随一の伝統あるお嬢様学校である。生徒の多くは高額な学費の納められる裕福な家庭の子女で、一般庶民の子はほとんど見られない。生徒の中には、現代日本で唯一憲法で貴族と認められた高貴な一族とご縁のある、やんごとなき御方もおられると言う噂で、事実、殿下のお妃候補として名の挙がった卒業生もいるほどの名門である。
多くの生徒は幼稚舎から大学までを無菌環境の園で過ごし、世間に毒される事なく清楚な貴婦人へと育てられる。しかし、それ故に世間の常識とあまりにかけ離れてしまいがちになり易く、対策として中等部と高等部への一般校からの編入を僅かながら進めていた。最近では伝統と格式だけでなく、文武両面に於ても日本の最高である事をめざし、学業とスポーツでの優秀者を特待生として受け入れていた。
愛華が中等部に編入出来たのも、当然体操の特待生としてである。豊富な寄付金で整備された体育設備で有名なコーチから指導を受けられる環境は、夢のようだった。しかし、編入学当初の学校生活は愛華にとって楽しいものではなかった。
友だちがまったく出来なかった。只でさえ閉鎖的な上、一般家庭に育った愛華とお嬢様たちとでは、話題も習慣もまるで違っていた。
初等部からの仲良し同士でグループを作る教室の片隅で、一人昼食をとる孤独感は、中学生の少女にとって相当きつい。おまけに母親のいない愛華には、祖母の作ってくれた弁当を恥ずかしいと思ってしまう年頃でもあった。いつしか体育館横の部室で昼休みを一人で過ごすようになっていた。
ある日、いつものように部室であまり女子中学生らしくない弁当を食べていると、隣のバスケットボール部の部室から物音が聞こえてきた。気にしないで食事を続けていると、自分の部室のドアがノックされる。昼休みを部室にいることを先生に咎められるのではと恐る恐るドアを開けると、そこには背の高いボーイッシュなクラスメイトがいた。
「よかったら一緒に弁当食べない?うちの部室には冷蔵庫もあるから、冷たい飲み物とかもあるよ。あっ、その煮付け美味しそう。おかずの代えっことかしようよ」
爽やかな笑顔で話しかけてきたのが智佳だった。
愛華と同じスポーツ特待生で一年生ながらバスケットボール部のレギュラー。愛華と同じように部室で昼食を食べていたらしい。しかし、その理由は愛華と正反対である。背が高く、ショートカットのバスケ部のレギュラーとくれば、編入生とは言え、女子校ではモテモテである。一緒にお昼を食べようと他のクラスからも手作り弁当を携えた女生徒たちが詰めかけ、煩わしくなった智佳は、午前の授業終業のチャイムと同時に部室へダッシュするようになったそうだ。
それ以来、智佳と親友になった。智佳は愛華と違い、クラスでも人気者で、智佳ファンの中には愛華に嫉妬する者もいたが、
「私の友だちに失礼なことする人は許さないよ」
と智佳が宣言するとすぐ収まった。やがて愛華にも彼女を通じて仲間ができた。別にお嬢様たちは意地悪していた訳ではなく、基本愛華はみんなに好かれる性格である。教室での居心地の悪さはなくなっていった。
「あいか、テレビ観たぞ。アメリカGPの時、MJと一緒に映っていただろ!メチャメチャうらやましいぞ、この〜ぅ」
智佳は、再会の挨拶もそこそこに、ラグナセカでバスケの神様と言われる元NBAプレーヤーとのツーショットを話題に、愛華の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「トモちゃん、観ててくれた?あの時、トモちゃんのこと思い出していたんだよ」
「じゃ、サインぐらいもらってくれたんだろ!」
「え〜ぇ、もらえないよぉ。でもレースのあとでプライベートのアドレス交換したんだよ」
「ますます羨ましいじゃないか!ジョーダンじゃないぞ」
「トモちゃんさぶいよ……。でもトモちゃんのことメールしたら、ぜひ会いたいって」
「うそっ!まじで?いつ?今日来てない?」
「今日は来てないと思う。でも、もしかしたら最終戦のスペインには行くかもって」
「本当か?よしっ、最終戦にも応援行ってやる。絶対に会わせろよ、あいか」
「ちょっと、智!あいかの応援に行くんじゃないの?」
横にいた紗季が、興奮する智佳を叱るように言った。しかし顔は笑っている。他のみんなも笑っていた。
それから一人一人と再会の喜びと応援への感謝を交わし、チームの人たちに紹介した。スターシアの美貌には、白百合の令嬢たちも羨望の眼差しを向けていた。
「それで、あの背の高い子がアイカちゃんのいい人なんですか?」
スターシアは飾り気ない天然さで、みんなを和ませた。
「なっ、なにを言い出すんですか、そんなんじゃないです。みんなわたしと違って英語とかペラペラなんですから迂闊なこと言わないでください」
愛華が顔を真っ赤に染めてわたふたする。しかし既にみんなにも聞こえていた。
「私もあいかと智って怪しいと思っていたんだよね」
「私は知ってたよ。いつも二人っきりで部室に籠っていたもん」
「そうそう、『昼休みの情事』ってやつ。部室近づき難かったもんね」
「もう〜、やめてよ、みんな。トモちゃんからもなにか言って」
振り返ると智佳がすぐ背後に立っていた。
「えっ?トモちゃん……?」
「あいかはオレの嫁だと、みんなも認めてくれているよ」
智佳に顔を間近に寄せられて言われると、愛華は頭から湯気を噴いて固まってしまった。
女子高生たちのわいわいがやがやをエレーナとスターシアは、微笑ましく眺めていた。初めて会ったのに、とても親しみが持てた。
「妬けますか?エレーナさん」
「どうして妬けるんだ?誰にでもある微笑ましい思い出じゃないか」
「さすが余裕ですね。そういえば、何処となくトモカさんはエレーナさんに似てますね。アイカちゃんがエレーナさんに憧れるのは、トモカさんの姿に重ねているだけかも知れませんね」
「スターシア、私に喧嘩売っているのか?」
シャルロッタは、少し違った反応だった。テントの隙間からエメラルドグリーン(カラーコンタクト)の片眼を覗かせて、制服の女子高生たちを観察していたところを、紗季に見つかってしまった。エレーナに引き摺り出されるように姿を現したゴスロリ少女は、たちまち白百合の少女たちに取り囲まれた。
「わあ!可愛い〜ぃ」
「ホンモノのゴシックロリータだよ(ヘテロクロミアは偽物)。やっぱり向こうの人だと似合うよね」
と興味津々に構われる。
「当たり前でしょ!あたしの家は、ボローニャの名門フェリー二家なんだから。あんたたちこそ、そんな女子高生みたいな格好して……、ちょっと似合っているじゃない」
「て言うか女子高生だよ」
「あいかも中学までこの制服着てたよ。りぼんの色違うけど」
シャルロッタも本物の女子高生を見るのは初めてであった。可愛い制服の女子高生はアニメの中だけの存在だと思っていたらしい。
「じゃ、じゃあ、アイカもこんな可愛い制服着て、毎朝トースト喰わえて『遅刻、遅刻~』って、走っていたって言うの?」
「一応わたしも着てました。トーストは喰わえてませんけど。て言うか本当にトースト喰わえて走っている人なんていませんから」
「いや、あいかはよく食べながら走っていたよ。朝練の前だからみんな知らなかったろうけど」
「トモちゃん、やめてっ」
みんなが笑い声をあげる中、シャルロッタは何やら考え込んでいた。
「あんた、今から誰かに制服借りてトースト喰わえなさいよ」
唐突にシャルロッタから意味不明のリクエストが出された。
「いや、それはちょっと……」
さすがに愛華も恥ずかしい。
「私のだったらちょっと大きいぐらいで、なんとか合うんじゃない?」
一番小柄な美穂が申し出てくれる。気持ちは嬉しいけど、恥ずかしからやめて欲しい。このチームは冗談みたいなとこ、本当にあるから。
「アイカちゃんの制服でトースト……私も観てみたいですね」
「スターシアさん、やめてください」
案の定、スターシアが乗り気になった。
「明日のレース終わったら、その制服貸していただけます?」
「もうやめてください!みんな次の日は学校なんだから、早く帰らないといけないよね。気持ちはうれしいけど、またの機会に貸してね」
さすがにレース前にはおふざけはないだろう。レース終了後は、すぐサーキットを出なければ、名古屋に着くのが遅くなる。
「大丈夫だよ。月曜まで公欠扱いだから。それに実はエレーナさんにお願いがあるんだよね」
紗季たちがエレーナさんにお願い?一体なんだろう。智佳以外は上流階級のお嬢様たちだから、あまり変なお願いはないとは思うけど。
「私にお願い?私に出来る事であれば協力させてもらうが?」
エレーナも愛華の友人たちであれば、あまり無茶な願いは言うまいと踏んでいた。ただレースには素人のようなので、その辺りの懸念はある。
「実はストロベリーナイツが、優勝した時は、チーム全員で苺のスイーツを食べるって訊いたんです。それで私たち、あいかの大好物の『苺大福』って言う日本のケーキがあるんですけど、それを作ろうと作り方とか研究して、材料も持って来てるんです。みなさんのお口に合うか解りませんが、宜しければ栄光の苺のスイーツ、私たちに作らせてください」
愛華にとって今日三度目のサプライズである。苺大福が大好きだったことを覚えてくれたのもうれしい。しかしロシア人の口に苺大福が合うのか不安だ。
「どうするアイカ?友だちの申し出は断りたくはないのだが」
「エレーナさん、やっぱり日本の『あん』って口に合わないのですか?」
「私に食べられないものはない。他のスタッフも何だって食べる連中だ。問題は苺大福と言うのがどれくらい手間の掛かるものなのか知らないが、チームが優勝しなければ食べられない。せっかく友だちが作ってくれたのに、食べられなくなる可能性もあるぞ」
肝心な事を忘れていた。優勝した時のみ振る舞われる苺のスイーツである。今回のチームの目標はエレーナの優勝であり、当然それを成すつもりではいる。しかし、レースに絶対はない。と言って、結果を観てから作ったのでは遅すぎる。たぶん今夜から準備するつもりだろう。
「……」
個人として奢ることはないが、チームには絶対の信頼を寄せている愛華が、珍しく弱気になった。それほど友だちの好意を失望させたくはなかった。
「大丈夫ですよ、アイカちゃん。絶対エレーナさんを勝たせましょう。私も苺大福食べたいですから」
スターシアの言葉にやっと決心がついた。チームの人たちにも友だちの作ってくれた苺大福を食べて貰いたい。
「わたし、絶対エレーナさんを勝たせますから、みんなの作った苺大福食べてください!」
どの道、エレーナの優勝以外考えられない。それにせっかく材料まで用意して来てくれたんだ。今さら自信がないとは言えない。愛華は、自分がエレーナを勝たせると言いきってしまった。
「もしかしたら無駄になっちゃうかもだけど、みんなお願い。チームの人たちに苺大福作って」
友人たちにも頭を下げた。
「無駄になんかならないよ、きっと」
紗季と美穂が愛華の肩に手を添えて勇気づけた。
「それにさぁ、もし優勝出来なかったら、私たちで戴くだけだし。愛華には罰ゲームとして、制服でトースト喰わえてサーキット一周ってのでどう?」
智佳がからかった。
「いいぞ、それ。私もちょっと見てみたい」
エレーナまで乗っかった。
「まさかのエレーナさんの裏切り!?」
そんなことすれば、確実に画像がアップされて、世界中に恥を晒すことになる。
「お嫁に行けなくなりますぅぅぅ」
泣き崩れる愛華に智佳が
「その時は私が責任をとるから」
と慰めると、
「まだ高校生のきみがどう責任をとれるのかな?」
なんとエレーナが大人気なく智佳を挑発した。
「私はあなたより愛華のことをよく知ってます。心配はいりません」
智佳も一歩も退かず、エレーナを睨み付けた。
「まあ、エレーナさんに尻込みせず張り合うとは。さすがアイカちゃんの愛した人ですね」
「だからちがいますって。愛した人とか誤解される言い方しないでください……」
スターシアの冷やかしに、愛華はもはや消えてしまいたくなった。
そしてエレーナは、この背の高い娘が自分に似ていると言ったスターシアの言葉を思い出し、一人微笑んでいた。
(言い出したのはあたしなのに……、どうして誰もあたしに振らないのよ)
シャルロッタは誰も自分に制服トーストをしろと言わないのが不満だった。




