運と勘と洞察力
レースは残り5周を切った。
シャルロッタが動いたのをきっかけに、トップ集団は化学反応を起こした分子のように活発に動きだした。
リンダが、愛華とスターシアの間に割って入ろうとするが、当然、二人は割り込ませない。
だがリンダは囮だ。ナオミがぎりぎりまでブレーキングを遅らせ、愛華のインを刺そうとする。前にいたスターシアがインに寄せてブロック。
外からはラニーニがかぶせて来るが、愛華もこらえる。肘が、カウルが触れ合い、互いに一歩も譲らない。バチバチと火花を散らすような我慢比べ。
その隙間をアンジェラとバレンティーナが抜けようとするが、カウンターをあてるほどリアを流したフレデリカに立ちはだかられ、後ろからハンナと琴音にせっつかれて、混戦の真っ只中で逃げ道を失う。
身動き取れないほどの狭いスペースの中、互いにぶつかり合うようにして優位なポジションを確保しようとする。結果、トップグループは抜け出すことも、退くこともできない密集した集団となっていた。
さらにそこへ、火球(当人の脳内イメージ)と化したシャルロッタが飛び込んで行く。
火球というのが妄想でも誇張でもないと思えるほど、灼熱の走りで観てる者を魅了する。
予選でミスをしたバックストレートにつながる14、15コーナー、その最初の左コーナー進入で、シャルロッタは、アウトいっぱいに寄せた愛華とラニーニのさらに外側、半分ゼブラからもはみ出しているんじゃないかと思える際から、土埃を巻き上げながら並んで行く。
互いの競り合いに夢中になっている二人を外側からあっという間に抜くと、シャルロッタは、そのままのラインで、次の右コーナーに鋭く切れ込む。
ナオミを抑えて切り返すスターシアの内側へ、狙いは定まっている。
最も美しいライディングと称されるスターシアのコーナーリングが、一瞬乱れた。
無理もない。スターシアは長いバックストレートに向けて、可能な限りスピードを保ったまま、肘がゼブラに触れるほど寝かし込んだところに、突然内側に車影が現れたのだ。
しかし、さすがはスターシア。すぐにそれがシャルロッタだと認識し(シャルロッタ以外に誰がそんな突っ込みをする?)、落ち着いて前に行かせると、ぴったりとスリップに入ってストレートに出た。
バックストレートを、シャルロッタ、スターシア、ナオミ、愛華、ラニーニ、リンダが縦一列に並んで、次々と先頭を交代しながらフレデリカとバレンティーナたちに迫って行く。
仲がいいから協力し合っているのではない。
チームはちがっても、ヤマダエンジンに対抗するためには何でも利用する。互いにそれだけだ。
ストレートエンドまでに、バレンティーナとアンシジェラはパスできたが、直線最強のLMSを取り逃がした。
しかし、その先の大きく曲がり込んで折り返す最終コーナーは、ピーキーなLMSの苦手とするところだ。
パーシャルスロットルのまま深く深く曲がっていくコーナーに苦労するハンナと琴音を、スターシアを先頭とした列が難なく抜く。
それに気づいたフレデリカは、リアタイヤが暴れるのも構わず、アクセルを大きく開けた。
彼女にとっては、その方が安定しているのだろう。浮かしたフロントにカウンターを与えながら、スターシアたちを従え、メインストレートへ出て行く。
単独であっても、LMSチューンのヤマダエンジンは猛烈な加速力を誇示した。
それに対し、ストロベリーナイツブルーストライプス混成の一本の矢は、スターシアに代わってナオミが前に、ナオミに代わって愛華、愛華に代わってラニーニ、リンダと、次々に先頭交代しながら追い込んで行く。
そしてついに、シャルロッタが一番前に出た時、フレデリカと並んだ。
1コーナーまで200メートル。二台は並んだまま。シャルロッタが右(外)側、フレデリカは左(内)側だ。
天才(変人)同士のブレーキング競争を期待する観客たちが総立ちとなり、メインスタンド全体が揺れているように見える。
シャルロッタとフレデリカが、ほぼ同時にブレーキレバーを握る指に力を込めた。
フロントフォークが沈み、シャルロッタのリアが持ち上がる。
フレデリカはリアを外側に流す。
フレデリカが進入からドリフト状態に持ち込んだのに対し、シャルロッタはフロントに過重を残してインに切れ込む。
ほぼ直角の1コーナーに、並んで進入する。
愛華もラニーニも、自分たちのレースを忘れて二人の争いに目を奪われた。おそらく肉眼だろうとモニター越しであろうと、見ていた者すべてが、二人の争いに目を奪われていただろう。
(すごいっ!フレデリカさんは不安定に見えても、あれが一番速く走れるスタイル。シャルロッタさんをインに寄せつけさせない。でも、外側で並んでるってことは、スピードはシャルロッタさんの方が速いはず!)
パワーではLMSの方が優っているが、コーナーリング速度で上回っていれば、立ち上がりでも勝算はある。
実際には、やってみなければわからないが、愛華には勢いに乗ったシャルロッタが負けるとは思えなかった。
しかし!立ち上がりでフレデリカが、ぐんと前に出た。コーナーリングスピードを跳ね返す強烈な加速力!
否、ちがう。シャルロッタのスロットルを開けるタイミングが遅かったのだ。
その証拠に、二人のバトルに見とれていた愛華たち後続が、シャルロッタに接近している。
(シャルロッタさんが退いた……?まだ調子が、完全じゃないんだ)
三ヶ月の欠場を余儀なくされるほどの怪我をしたのだ。サイドバイサイドのバトルに躊躇しても不思議ではない。
多くの者が、愛華と同じ感想を抱いた。
「シャルロッタさん、落ち着いて行きましょう。今回は勝ちにこだわらず、確実に走りきることが大切です」
愛華としては、本心からシャルロッタを思って出た言葉だった。
先ほどパッシングされて改めてわかった。誰がなんと言っても、ストロベリーナイツのエースはシャルロッタさんしかいない。だからこのレースの結果にこだわらず、調子を取り戻すことに専念して欲しいと。
「なに言ってんの?ようやくレースに戻って来れて、あたしは今、最高の気分よ。ここで決めっちゃったら勿体ないから、もう少しフレデリカと遊びたいだけよ!」
例によってシャルロッタは強がってみせた。余裕があるのか、単なる強がりなのか、シャルロッタ自身わからなくなっている。
確かにレース前半、集団に入って行けなかった。振り返れば、またアクシデントに巻き込まれるのが怖かったことは、否定しない。
しかし今、完全に吹っ切ったはずだ。以前と同じ、いや、以前以上に調子はいい。
だが、フレデリカと並んで1コーナーに入った時、何かがシャルロッタに、スロットルを弛めさせた。
(なんなの?この気持ち悪いざわつきは……。まだ事故を引き摺っているの?)
「せっかく勢いに乗ってたのに!」
ピットでも、ニコライがモニターに向かって、残念そうに呻いていた。
「焦らなくてもまだチャンスはある」
意外にもエレーナは残念そうでも怒るでもなく、むしろ微笑みすら浮かべて見守っていた。
「でも、あそこでトップを奪ってしまえば、独走のチャンスだったんですよ。ここでもたついてたら、ハンナさんやバレンティーナたちにまた追いつかれて、混戦になってしまいます」
モニターに、シャルロッタの勢いが弱まったと見たラニーニたちが、この好機を見逃さず前に出る姿が映し出された。
「そら、見てください。ラニーニたちに先を越されたじゃないですか」
「ラニーニたちの思い通りに行くかな?」
エレーナの言葉通り、ラニーニ、ナオミ、リンダの三人でも、フレデリカの豪快なライディングに手こずっていた。
それがフレデリカにとって最も安定したライディングだとわかっていても、目の前で大きく尻を振られては、なかなか寄せて行けない。
「あそこでシャルロッタが張り合っても、前に行けたかはわからない。行けたとしても振り切るまでは行かなかったろう。結局抜きつ抜かれつでペースが落ち、混戦は免れないだろう」
その時、モニターに映るフレデリカが、いつもより大きくリアを流れさせてバランスを崩した。膝と肘まで路面に押しつけてバイクを支え、なんとか転倒は逃れたが、ラインを大きく逸れて、アウトへと向かって行く。
ちょうど仕掛けようとしていたラニーニたちの目の前だ。
一番後ろにいたナオミは、インに避けられたが、真後ろにいたラニーニとリンダは、フレデリカに誘導されるように外へと向かって行く。
サーキット中に、落胆の声が響いた。
三人とも転倒こそしなかったが、コースからはみ出してしまう。
この状況でのコースアウトは、優勝争いからの脱落を意味していた。
コースに復帰した時には、先頭集団は遥か彼方に過ぎ去っていた。
ニコライは、どや顔でこちらを見ているエレーナに気づいていたが、気づかない素振りでミーシャたちにサインボードに入れる情報を指示した。
エレーナのどうだと言わんばかりの視線が痛い。
「フレデリカは、序盤からアイカたちとデッドヒートを繰り広げてたからな。おまけにやつのLMSは暴力的なパワーだ。フレデリカは乗りこなせても、タイヤには苛酷だったんだろう。いくら滑らせるのが得意でも限度がある」
自分の浅はかさにダメ押しされたようで恥ずかしいが、話しかけられては無視できない。
「エレーナさんの洞察力にはおそれ入りますけど、シャルロッタも、それを読んでいたんですか?」
「さぁな。ただレースに関しては、もともとあいつは野生動物並みの鋭い勘を持っている。理性も野生動物並みだったが、痛い思いをして少し成長したらしい。野生動物も学ばなければ生き残れないからな」
ニコライとて、若い頃からメカニックとしてレースを見てきた。GPのトップチームであるストロベリーナイツに加わってからでも既に10年以上になる。下手な解説者よりレースに詳しいと胸張って言える。マシンやタイヤに関しては、ライダーより知識が豊富のはずだ。
それでもやはり、ライダーには敵わないと思い知らされる。いや、いくらライダーでも、普通ならフレデリカのような走りの兆候には気づけないと思う。実際、ラニーニたちは気づかなかった。
この人たちが特別なのだ。ただ……
「でもその話、シャルロッタには言わないでください。これ以上自慢聞かされたら、たまりませんから」




