ケンタウロスのいないダッチTT バレンティーナの決意
バレンティーナは、ウォームアップ走行を終えて、誰よりも第1コーナーに近いグリッドにマシンを止めた。
今季初のポールポジション。しかし、バレンティーナの心中は、晴れやかなものではなかった。
一昨日、シャルロッタが転倒して、大病院へ緊急搬送されたと聞いた時、心から彼女の身を案じた。はからずもシャルロッタの無事を神様に祈っていた。
ジュニアの頃から、何度シャルロッタさえいなければと思ったことか。
フリー走行がアクシデントで中断し、シャルロッタも巻き込まれたと聞いた時は、正直なんとも思わなかった。レースをやってればよくあること、彼女のことだから、ぶつかったライダーにまたケンカでもふっかけてるだろうと思っていた。
ヘリが離陸し、あれにシャルロッタが乗せられていると聞いた時、言い様のない恐怖に襲われた。
近年の二輪レースは、ライダーの装備やサーキットの安全対策向上によって、一般の人が思っているほど危険な競技ではなくなった。
それでも、死亡事故、或いは死に至らないまでも選手生命を断たれる重大事故がなくなったわけではない。
他の競技と比べて、その確率が高いか低いかと問われれば、間違いなく高い部類だろう。
ボクシングやラグビー、アメリカンフットボールなどのようなハードコンタクトのある競技なら、死亡や半身不随に至る事故は常に起こりえるし、サッカーやバスケットボール、体操競技などでも、たった一度の怪我で選手生命を断たれることはある。マラソンでも死ぬことはある。
基本、リスクはどこにでもあるが、モータースポーツに関わる者はリスクに特に敏感だ。
おそらく地上で最も高速で行われるモータースポーツというジャンル。その中でも、覆われた箱に身を収めてではなく、体を剥き出しにして走るのがモーターサイクルレースだ。そのリスクは、最小クラスのMotoミニモでも変わりない。僅か80ccの小さなエンジンを搭載したマシンでも、人の体など容易く破壊するエネルギーを持つ。
普段、ライダーたちが死を意識することはあまりない。しかし、一度重大なアクシデントが起きた時、自分たちのしてることが如何に危険かを思い出す。そして同じ競技をしている者たちへの、敵も味方もない共通の連帯感に気づく。それはバレンティーナとシャルロッタのように、過去にわだかまりを持つ者同士でも同じだ。強い対抗意識があるほど尚更だったりする。
殺してやりたいほど憎く思っていても、勝手に死なれてはやりきれない。
自分だけ速さを見せつけておいて、勝ち逃げなんて許さない。
事故当日の夕刻、エレーナから腕と肩の骨折で全治一ヶ月、シリーズ前半の残りのレースは出場できないだろうと発表があった時、心の底から安堵した。
骨折など、GPライダーにとってよくある怪我だ。同情も哀れみも必要ない。夏休みまでの二戦で逆転は出来ないが、無敗で一人だけリードしているシャルロッタの流れを変えるチャンスだ。戻った時には、主役を降ろされている悔しさを味合わせてやる。
そこに迷いはない。シャルロッタの指定席と言われてきたポールポジションを奪ったのもいい。
だが、バレンティーナ以外にフロントローに並んでいるのは、ラニーニ、ナオミ、フレデリカ。
二列目にはスターシア、愛華、琴音、ハンナ。
三列目にようやくケリー、リンダを挟んでアンジェラとマリアローザというグリッドで、バレンティーナの傍で支援するチームValeのライダーがいない。
シャルロッタがいなくなっても、ラニーニにリードされては立つ瀬がない。スターシアと愛華は、シャルロッタのリードを保とうと気合い入れて挑んでいるはずだ。
バレンティーナのチームメイトの予選タイムが振るわなかったのは、最新のヤマダワークスのエンジン制御システムの優秀さと彼女たちが職人と呼ばれるベテラン揃いだったからだ。一見、最強の組合せに思えるのに、何故このような予選結果になったのか。
ヤマダのスロットルコントロールデバイスは、ライダーに代わって繊細なエンジン制御をしてくれる優れたシステムだ。例えば、コーナーの立ち上がりで、通常、ライダーはホイールスピンを発生させないようにミリ単位の微調整しながら慎重にスロットルを開けていく。それには繊細な感覚が要求され、センスと経験がものを言うとされてきた。
ヤマダはそれを、電子制御で補った。ライダーは立ち上がりで、ただ思いきりスロットルを開ければいい。コンピューターが速度とタイヤのグリップ力を計算して、最も効率よく加速する最適な出力をエンジンから引き出してくれる。
そこがフレデリカの感性と合わなかったところでもあるのだが、ライダーは細かなアクセルコントロールに気を使わずに済み、その分、バランスとライン取り、他のライダーへの対応に意識を向けられるようになった。
特に、定規とコンパスで描いたようなコーナーと直線がはっきりと区別されたコースでは有効だったが、アッセンのように大小様々なコーナーとコーナーの間を直線区間で明確に区別されてなかったり、ストレートも緩やかに曲がっていたりして全開で加速できない箇所の多いコースでは、それに合わせた調整が必要になってくる。
実はその調整が厄介で、気難しいキャブレターの時代から乗っているベテランライダーですら、否、ベテランほどゲーム機のレバーのようにオンオフ切り替わるスロットルに手こずった。
バレンティーナは、類い稀な適応力で逸早く乗りこなしたが、他のチームメイトたちは、右手でスロットルコントロールをしようとする昔の癖が顔を出してしまい、ポテンシャルを発揮出来ない状態に陥った。当然的確なセッティングなど、つめようもない。
琴音のようなYCを知り尽くしたライダーがいれば、もう少し早くプログラムの適性補正を導き出せたであろうが、琴音はヤマダがLMSへ出してしまった。
ヤマダの技術者は、バレンティーナが、そして琴音も、シャルロッタやフレデリカとは別の種類の天才であることを思い知る結果となった。
華やかなパラソルをかざしていたキャンギャルがコース上から引き上げて行く。
メカニックがスターターをリアタイヤに押しあて、エンジンをスタートさせる。
グリッドには、バイクに跨がったライダー以外いなくなった。
今さら不満を言っても状況は変わらない。今日はこれで戦うしかない。
(せっかくのポールだけど、青縞と苺にくっついて行くしかないみたいだね)
ヤマダの連中には、レース後に反省してもらえばいい。シャルロッタがいなくても、厳しいレースを強いられることは覚悟していた。それでも流れは変えられる。
シーズンが終わった時、首位に立っているのは、ボクだ!
バレンティーナは、ゆっくりとフォーメンションラップへと動き出した。




