速さに秘密なんてない
フレデリカと智佳は、原付50ccとしては目一杯のスピードでスプーンコーナーを曲がっていく。この先は、鈴鹿で最も速度の出る長い下りの直線だ。
空しかなかったコースの先に、遠く伊勢湾までが見えてくる。と同時に、クラスメイトと同じカラーリングのヘルメットとつなぎを着たライダーの背中が目に入った。
「あれ?愛華なにやってんの?」
「フレデリカさんを手伝いに来ました!」
「邪魔よ!」
期待はしてなかったが、フレデリカは愛華に目もくれず抜き去った。智佳も彼女に続いて抜いて行く。
ちょっとさみしい気もするけど、それでいい。ここはアクセルを緩めちゃいけないところだ。
意外とさみしがりだったんだと自覚しつつ、愛華は智佳の後ろにつけた。いくら体重のハンデが少ない下りでも、やはり軽い方が有利だ。フレデリカと智佳が風を避けてくれるスペースに入ると、すぐに同じスピードに合わせられる。
三メーカーの三台の原付バイクが、一列になって西ストレートを駆け下って行く。
愛華は早目に5速から6速にあげて、フレデリカのシフトアップのタイミングを待った。
大抵市販のストリートバイクは、6速は燃費を抑える為の巡航用として、高めのギア比が組まれている。5速と6速が離れているので、目一杯引っ張ってからシフトアップしても、回転は大きく落ちる。フレデリカの乗るヤマダNSR50は、特にその傾向が強いと言われている。
「智、わたしが出たら後ろに入って!」
フレデリカの加速が鈍ったら、スリップストリームのおかげで先にシフトアップしていた愛華が、勢いをつけて前に出る作戦だ。とはいえ、打ち合わせもなしに上手くいくかどうか。智佳はともかく、初めて同じチームで走るフレデリカさんが理解してくれるか心配だが、説明してる暇はなかった。智佳に呼びかけた次の瞬間、フレデリカの左のつま先が動いてシフトをかき上げた。
愛華は智佳の横にとびだし、そのままフレデリカに並ぶと、智佳が愛華の後ろに入った。
フレデリカを追い越しながらチラリと彼女の顔を窺うと、無表情で見返していた。
彼女が愛華の意図を理解したかは不明だが、なにも言わず智佳の背後に入った。
愛華のスミホーイsu50ウリッサは、西ストレート半ばでエンジンの回転数を示す針がレッドゾーンまで到達し、回転は頭打ちとなった。つまりこの辺りが、このバイクの設計上の最高スピードということだ。智佳のジュリエッタRS50ストラーダもフレデリカのヤマダNSR50も性能に大差ない。そのまま130Rまで引っ張ろうと思った時、フレデリカが横に現れた。
そうだった。NSR50は、巡航燃費を良くするために、高めのオーバートップが設定されているんだった。
通常、6速ではパワーが足りなくてエンジンがそこまで回らないが、下り坂とスリップストリームで勢いをつけたことにより、エンジン性能を超えた速度まで加速していた。
「トモカ、私の後ろに入りなさい!」
今度はフレデリカが智佳に怒鳴った。智佳は言われた通り、フレデリカの背後に入る。
ジュリエッタもレッドゾーンに近いはずだが、空気抵抗が少ない分、なんとかついて行く。
「ついでにあんたも、連れて行ってあげるわ」
追い抜き様に、愛華をも誘うようにささやいた。当然、ついて行くしかない。
タコメーターの針は、レッドゾーンに入っても上昇していく。エンジンは今にも壊れそうな悲鳴をあげて西ストレートを下る。当然、90キロまでしか刻まれていないスピードメーターはとっくに振り切っている。
本当のレーサーで、遥かに速いスピードでレースしている愛華も、さすがにこのバイクでこのスピードは怖い。智佳は知ってか知らずか、全然平気そうに見える。
でもレーシングマシンと違い、市販車は多少オーバーレブさせても、簡単には壊れないように余裕持って造られていると聞いたことがある。まず壊れる前にリミッターが働いてそれ以上回らなくなるらしい。
(それにミーシャくんが整備してくれたんだから、簡単に壊れたりしないと信じよう。智佳のバイクも、ジュリエッタワークスの人がちゃんと整備してたから大丈夫だよね……)
あとでセルゲイおじさんに聞いたところ、リミッターなんてものがついてるのは親切な日本製ぐらいで、こういうスポーツバイクは、ロシアでもイタリアでも、乗り手の自己責任だそうだ。余裕もそれほどみてないが、逆にそれがレーシーな作りだと人気があると言われてゾッとした。どっちみち使えないのなら、壊れないようにしてくれた方がありがたいと思うのだが、マニアはそれをスパルタンと呼んで喜ぶらしい。そのおかげでレッドゾーンでも無理矢理回ってくれてるのだが……。
そんなことなど、その時の愛華は知るはずもない。知らなきゃ恐怖もない。それを人は、蛮勇と言う。
NSRも限界に達し、加速が頭打ちになった。と言っても、この速度なら130Rは高速コーナーだから、フレデリカならノーブレーキで入って行きかねない。勿論、愛華もレースならそうする。しかし、智佳にそれを要求するのは無謀だ。なんとかコーナーまでに智佳の前に行こうと横に出るが、強い風圧で押し戻されそうになる。
130Rのコーナーとエスケープの舗装が、壁のように迫って来る。
ここまでの智佳の走りを見れば、技術的には難しいことではないかもしれない。しかし、慣れてる人でも怖いコーナーだ。初めて経験する智佳がその速度のまま進入するのは、大変な恐怖に違いない。パニックに陥って、突然急ブレーキをかけたりしないか心配だ。
「智!もっとスピードを緩めて!」
愛華は叫んだが、聞こえないのか、無視しるのか、それとももう固まってしまってるのか、そのままフレデリカから離れない。
「フレデリカさん!」
「トモカ、曲がり切れなくても、慌てないで。コースサイドまで舗装してあるから、そこもコースだと思って気にしないで走り続けるのよ」
フレデリカに減速するように頼もうとした時、彼女はそう言って体を起こし、ブレーキランプが点灯した。
ブレーキングはほんの僅かだったが、体を起こすことで、ぐっと減速する。智佳も同じように体を起こし、ブレーキレバーを軽く握ったようだ。
フレデリカ、智佳、愛華の三人が連なって、130Rにスムーズに進入して行く。
「トモカ、ちゃんとついて来てる?」
アウトからイン、そしてアウトへと、コースを目一杯使っいながらフレデリカが、智佳に問いかけた。
「ちょっと怖かったけど、なんとか」
言葉とは裏腹に、智佳は楽しそうにフレデリカの後ろにピッタリついていた。
(智、すごい……)
愛華でも怖いと感じる130Rを、智佳はフレデリカと同じように曲がっていった。
いや、確かに智佳は初めてサーキットを走っているとは思えないほど落ち着いているが、それはフレデリカのリードが上手いからだと、愛華は気づいた。
ノーブレーキでも入って行けるコーナーであっても、軽くブレーキをかけてサスペンションを安定させ、旋回のきっかけをつくっている。そのままバイクを寝かせて向き変え、クリップを過ぎたら徐々にアクセルを開いてリアにトラクションをかけながら曲がって行くという、愛華がハンナから習った通りの、そして愛華が智佳に教えた通りのコーナーリングの基本で、智佳を先導していた。
(フレデリカさん、こんな走りもできるんだ……ていうか、すごく上手!)
度胸試しとも言われる鈴鹿の130R、特に小排気量のマシンでは、減速も加速も曖昧で、タイヤのグリップ力を信じて突っ込んでいく感じになってしまうのだが、フレデリカはわかりやすくメリハリをつけて、それでいて適格なスピードで曲がっていったのだからなんかイメージとちがう。
フレデリカからすれば、初心者に合わせたというのはあるにせよ、特に走りを変えたつもりはなかった。特異なライディングと言っても、フレデリカも人の子、手も足も二本ずつの同じ人間が同じ操作系のタイヤが二本の乗り物を操っているのだから、言われているほど奇異な乗り方になるはずもない。
むしろ、ダートトラックをやってきたフレデリカは、過度にフロントに依存する乗り方を好まない、ある意味基本に添った走りといえた。
タイヤ性能が向上した現在のレースシーンでは、フロントタイヤだけで曲がって行く場面も見られるが、コーナーリングの基本はリア主体にある。レースでのフレデリカの走りは、豪快なドリフトに目を奪われがちだが、リアに荷重をかけ、アクセルコントロールによりリア主体で曲がるという、バイク本来の乗り方が進化したものである。
路面μの高いサーキットで進化した、シャルロッタなどが時折見せる肩が路面に擦るほど内側に体を入れるライディングとは違う進化の過程を辿ったが、目的は共に、如何に速く曲がれるかにある。
タイヤ性能がどれほどよくなろうと、コンピューター制御が如何に発達しようと、レーサーたちは常に限界を超えようとする。当然スライドにも対処出来なくてはならない。80~90年代にアメリカやオーストラリアのダート出身ライダーの活躍により、今や多くのライダーはスライドコントロールのトレーニングとして、ダートバイクの有効性を認めている。今日、ロードレースライダーであってもオフロードバイクのトレーニングは必須であり、基本練習となっている。
つまり、フレデリカは誰よりも基本を極めているということであり、その上で衝撃的なドリフト走行が成り立っているのだ。
自分より間違いなくすごいと思っていたフレデリカだが、基礎の部分がしっかりしてるこそなんだと、改めて思い知る愛華だった。
感心しているだけでは済まない。由加里たちとの差はまだ開いている。かめさんチームがどのくらいのタイムで走っているかはわからないが、最後までベストを尽くさなくてはならない。あとで後悔はさせたくないし、したくない。最終のシケインからメインストレートの区間が、最後の勝負の分かれ目になるかも知れない。
「ホントはここは、いっぺんにセカンドまで落とす処なんだけど、トモカに合わせて一段ずつ落としていくわよ」
シケインが近づくと、フレデリカはブレーキをかけながら、一速ずつ回転を合わせてシフトダウンして行く。ここでも智佳は同じように見習ってシフトダウン。異端と呼ばれているとは想像できないほどスムーズにリードして行く。
(でも「ホントは」って、トップからセカンドまでいっぺんに落とすのが当たり前なの?)
低速コーナーへのアプローチで、クラッチを握り込んで一気に三速四速落としてしまうライダーもめずらしい訳ではない。一度のクラッチ操作で狙ったギアポジションに入れてしまうので素早いシフトダウンができる。ただ、いわゆるギアが抜けた状態がそれだけ長く続くことになるので、愛華はしてはいけないテクニックと教わってきた。エレーナもスターシアもしない。シャルロッタはたまにしてるけど、真似して回転が合わせられず、タイヤが暴れて怖い思いをした。
それはともかく、フレデリカが智佳に合わせて基本通りのアプローチをしてくれたことに感謝すると同時に、かつて自分がシャルロッタに、必殺技を教えてと言ったのを思い出した。
あの時シャルロッタは、そんな都合のいいものあったら苦労しないと言った。
凡人の及ばない才能と他人には真似できないテクニックを持つ二人だが、おそらくどちらも特別な走り方をしてるとは思っていないんじゃないだろうか。口では特別だと言っているが、彼女たちにとっては当たり前で、むしろ出来ないのが不思議だと思っているのかも知れない。
言えることは二人とも、本当にライディングが上手いということだ。そして彼女たちに少しでも近づくには、基本を突き詰めて行くしかないと感じた。
基本が出来ているから、必要に迫られれば応用が出来る。
どんな高層ビルでも、いや、高い建物ほど、基礎がしっかりしていなければなれないのだから。
フレデリカ、智佳、愛華が一列になって、最終コーナーを駆け下った。ラニーニたちの背中が見えるが、もう追いつけないだろう。あとは智佳を百分の一秒でも早くゴールまで連れて行くだけだ。
フレデリカはリミット一杯まで引っ張ってシフトアップして行く。
(フレデリカさんのNSRは、5速と6速が開いているから、そこで加速が鈍くなる。わたしにできるのは、その空白を埋めること)
フレデリカが5速にシフトアップした。愛華は彼女の次のシフトアップのタイミングを計り、早めに6速に入れた。西ストレートでも上手くいったから、ここでも上手くいくはずだ。
彼女の左足が僅かに動くと同時に、智佳の横に出る。
フレデリカの加速が鈍ると、智佳は前と同じように愛華の後ろについた。そしてフレデリカは智佳のスリップに入る。
愛華のエンジンが吹け切ると、フレデリカが原付バイクとは思えないスピードで前に出る。智佳はすぐにフレデリカの後ろに入っていた。
まるで本物のMotoミニモチームさながらのチームワークで、計測ラインを通過した。




