がっこうせいかつ!
三年生のクラスは、大きく分けて難関大学への受験をめざすクラスと、それほど難しくない大学を受験、或いはそのまま上の白百合女学院大学か他の大学に推薦で進むクラスに分かれていた。
受験クラスの方がやはり授業中もピリピリした雰囲気で、推薦クラスはどちらかというとのんびりしているようだ。
愛華は当然、推薦希望者の多くいるクラスに編入した。
のんびりしていると言っても、必ずしも学力レベルが劣っている訳ではなく、成績も課外活動でも優等生で、名門白百合女学院大学の推薦が決まっている紗季のような生徒もいるし、美穂のように音楽大学をめざして楽器実技のレッスンに時間を割かなければならない生徒もいる。同様に智佳のような海外留学をめざすには、日本の受験勉強のやり方より、語学や向こうの大学で必要なスキル修得に時間をかけたい生徒もいる。
クラスの学力レベルはともかく、中学の頃、愛華が一番仲良かった紗季、美穂、智佳の三人と同じクラスになれたのは、すごく嬉しかった。
愛華は最初の英語の授業で、英国人教師に「完璧なキングズイングリッシュ(上流階級の英語)とは言えませんが、英語圏であれば何処に行っても通じる英語でしょう」と褒められたが、それ以外のほとんどの教科は、補習授業を受ける事が決まってしまった。
さすがに体育は、愛華と対等に張り合えるのは智佳ぐらい(つまり学年でもトップクラス)だったが、フィジカルトレーニングは最初から補習授業なくても欠かせないので、あまり意味なかった。残念ながら、ロシア語の授業もない。
「ヒラリー先生、絶対アメリカを見下しているぞ」
授業が終わって、愛華同様、英語と体育以外補習を受けさせられることになった智佳が、ぷんぷん怒って文句を言った。補習を受けることにではない。ギリギリの合格点をくれた英語教師にである。
「トモの英語は、ちょっと訛りきついから……」
紗季がやんわりなだめた。
「『アイカさんの英語は、少しドイツ訛りにも聞こえますけど、トモカさんの英語は品性がありません』だって!なんでドイツ訛りはよくてアメリカ英語はダメなの!」
愛華には、どうしてドイツ訛りと言われたのかわからない。身近なドイツ人は、ハンナさんぐらいしかいない。確かにGPアカデミーにいた頃は、ハンナさんから一番厳しく指導を受けたが、彼女は流暢な英語を話していた。もしかしたら、耳に馴染んだロシア語と、ネイティブでない愛華の英語発音が合わさって、英国人にはドイツ訛りに聞こえるのかも知れない。
智佳の場合、訛りと言うよりアフリカ系アメリカ人の間でよく使われるヒップホップなアメリカ英語とも言うのだろうか。あまり上品とはされていないが、バスケットボール選手などはインタビューとかでもよく使い、放送上あまり好ましくないフレーズは「ピー」と音声を消されたりする。
「わたしはアメリカにバスケしに行くんだから、バスケ選手の公用語使ってなにが悪いの!お上品なイギリス英語なんて使ってたら、それこそ舐められるわ」
授業中はもっぱら睡眠時間と信じていた智佳は、NBAの衛星中継で英語を覚えた。日本人解説者の知ったかぶり解説が気にいらなかったので、いつも現地音声で観ていたら自然に覚えたそうだ。
「バスケ用語なんてだいたい英語だし、堅苦しい文法とか単語知らなくても、ゲーム観てればすぐにわかるようになるわよ!あいかだってそうだったでしょ⁉」
突然愛華に振ってきた。
(なんかトモって、シャルロッタさんに似てる気がする)
愛華の場合、中学の頃から真面目に英語を勉強していたが、モータースポーツの世界に飛び込んで、逆にレース用語が全然わからなくて苦労した。
確かに智佳の言う事も、わからなくはない。でもやっぱり、正しい英語は必要だと思う。ハンナさんだけでなく、エレーナさんやスターシアさんのプレスカンファレンスでの威厳あるしゃべり方は格好いい。記者たちに下らない質問を許さない雰囲気がある。何だかんだと言っても、人は言葉づかいでも人格を見定めるのは事実だと思えた。
アメリカのバスケ界は、ヨーロッパが中心のGPとは違うかも知れないけど、智佳が頑張って成功した時、日本のテレビ局とかには舐められたりして欲しくない。
「でも、一流の選手には、子どもたちの手本となる責任があるって、バスケの神様も言ってたよ」
本当はエレーナさんに言われた言葉だったが、神様も「バスケ選手に憧れる子どもたちは、犯罪の多い貧困地区の子が多い。彼らが誤った道に進まないように力を貸したい」と言っていたから、たぶん同じ考えだと思う。
「そんなのわたしだって知ってるって。でもまあ、一流選手になって殿堂入りした時、上品な英語でスピーチしてやりたいから、ちょっとは覚えておこうかな」
憧れの選手の言葉と聞いて、途端に素直になる智佳だった。英語はギリギリでも合格点もらったのだから補習は受けなくてもいいのに、目標があると俄然張り切りだす。まあバスケが目的でも、海外留学めざすなら上品な英語を話せて損はないだろう。
(わたしがシャルロッタさんと上手くやっていけるのって、たぶんトモカのおかげかも?)
思わぬところで親友に感謝する愛華だった。
智佳も、愛華と同じスポーツ特待生なので、これまで学力テストも平均点以上を要求されていた。
愛華が日頃から真面目にこつこつ勉強していたのに対して、智佳は普段、授業中居眠りばかりしているくせに、試験前だけ凄い集中力を発揮して、見事平均以上をクリアするのが常だった。
ただ、高校生としての試合出場を引退した三年生の二学期になると、得意の集中力も発揮出来なかったらしい。練習には参加しているので、授業中の居眠りは相変わらずで、軒並み補習決定になったのも致し方ない。本人曰く、愛華に付き合ってくれたそうだ。
付き合ってくれるのは、智佳だけではなかった。お昼休みや補習授業のない日の放課後にも、紗季やほかの生徒たちが得意科目を教えてくれる勉強会を、愛華と智佳のために開いてくれた。
智佳は予想通りと言うか、お約束のように30分もすると逃げだすのだが、逃走先は皆知っていた。
(せっかくみんなが協力してくれてるのに、美穂なんて、ピアノのレッスンもあるのに、時間ぎりぎりまで教えてくれてるのに、もうっ、こんなとこまでシャルロッタさんそっくりなんだから!)
愛華がクラスメイトとともに体育館へ連れ戻しに行くと、やはり後輩の部員たちに混じってバスケットボールをしていた。しかも、愛華の送り迎えをしているルーシーさんまで一緒になってやっているではないか!
「トモっ!また勉強会サボってバスケしてる!しかもルーシーさんまで、いつからやってるんですかっ!」
愛華は背の高い智佳を見上げるようにして、ぷんすか文句を言った。
だが、こういうタイプは愛華の文句なんて、相方のツッコミとしか思っていない。
「凄いよあいか!ルーシーさんのプレー本物だよ!シカゴのガキ共相手に3on3やった時も只者じゃないって思ったけど、やっぱ本格的にバスケしてたって。学生時代はけっこういいとこまでいったらしいよ!」
ルーシーさんの身長と動きなら、経験なくてもそこらのバスケ少年ぐらい翻弄できると思ったけど、智佳にそこまで言わせるんだから技術的にも本物なんだろう。
本人から言わないから詮索しちゃいけない気がしてたけど、ルーシーさんがたぶんロシア出身なのは間違いないと思っていた。
今はアメリカに住んでいるそうだけど、学生時代は何処にいたんだろう?
言うまでもなく、アメリカもロシアも、バスケットボールの強豪国だ。どちらにしろ、学生の時、本格的にやっていて、かなりのとこまでいったのなら、日本の高校女子としてはかなりのレベルの智佳でも相当手強い相手だろう。
「でも、勉強しなくちゃ卒業でき」
「あいか、ちょっと待ってあげよ。少しぐらいやらせてあげようよ。トモカはバスケ留学めざしてるんだし、これもトモカにとっては大事な留学準備だよ」
愛華が無理やりにでも教室に連れ戻そうとしたのを、紗季が止めた。
「そうだよ。後輩の子たちにはわるいけど、うちの学校でトモカの練習相手が務まる選手、そんなにいないみたいだから、もしルーシーさんさえ良かったら、少しだけ貸してあげて。きっと後輩の子たちにも、いい刺激になると思うから」
分野が違っても、才能と厳しい練習が要求される世界をめざしている美穂も、智佳の味方した。もちろん、厳しい世界に生きているのは愛華も同じだ。智佳の気持ちは痛いほどわかる。
「みんながそれでいいのなら……」
愛華が短期間でトップライダーの仲間入り出来たのは、自分の努力もあるけど、やはり超一流の人たちに囲まれいたのが大きいと思っている。
でも、智佳はいつも一人で、バスケ部の仲間がいるから一人じゃないけど、チームメイトから学ぶことは、少なくても技術的には愛華より多くはなかったはずだ。愛華に智佳の練習相手になることは出来ない。でも、出来ることは応援してあげたい。自分も智佳にいっぱい助けてもらったのだから。
「ルーシーさん、わたしがみんなと勉強会してる時間、よかったらトモカの練習みてもらっていいですか?」
愛華はルーシーさんに頭を下げた。
「あいにく私の職務には、学校内でアイカさんを助ける事まで含まれておりません。これは私の体が鈍らないようにやっているトレーニングです。勿論バスケットボール部顧問の先生にも許可をもらっておりますが」
要するに一緒に練習してくれるって事ですよね?
「トモカさん、あなたは日本人としては高さがあるほうかも知れませんが、世界では平凡です。むしろ低いと言えるでしょう。それを補うには、もっとスピードと大きな選手に当たり負けしないパワーが必要です」
いきなり指導までしてるし……
「いや、さっきルーシーさんのブロックかわしたけど?」
ルーシーさんの指導に対して、智佳も後輩からボールを受け取って反発する。しかし顔は笑っている。
「先ほどはアイカさんが目に入ったので気が逸れただけです」
「じゃあ、今度は止めてみて!」
智佳が素早くフェイントでルーシーさんの脇をすり抜け、レイアップシュートを放つ。それをルーシーが更に高くジャンプして、バレーボールのスパイクみたいに叩き落とした。
「すっごーい!!!」
愛華たちだけでなく、バスケ部の後輩たちまで驚嘆の声をあげた。
「ちくしょう!スピードじゃあ勝ってたのに、あんなに跳ぶなんて卑怯だ」
「試合の時にもそうおっしゃるのですか?私より背が高く、ジャンプ力のある選手はいくらでもいますが」
クールを装っているが、ルーシーさんも肩で息してる。
「今のはあいかが、うろちょろしてたから気が散ったの!もう一回!」
えっ?わたし関係ないよね?
またどっかのお馬鹿みたいなこと、言わないで。
「あいか、私たち邪魔みたいだから、行きましょうか」
もう少し見ていたかったけど、紗季に促されて教室に戻ることにした。智佳なら、学校の補習授業だけで追試をクリアするだろう。
こうして普通の高校生とは少しちがうかも知れないが、愛華にとって宝物のような高校生活の思い出がつくられていった。
しかし、楽しいときが過ぎるのは、あっという間だ。街がクリスマスのイルミネーションに飾られ、赤いコートを着た老人(或いは赤いミニスカートのおねえさん)をあちこちで見かける頃、智佳を遥かに上回るスーパーウルトラバーニーングな問題児が日本に向かっていた。




