あきらめない!
触れ合うようなサイドバイサイドとテールトゥノーズを繰り返しながら先頭をひた走る愛華とラニーニ。
それを追うバレンティーナは、ハンナとナオミに煩わされ、ペースが上げられない。フレデリカに協力して突破する気は更々ないらしく、トップより後ろのシャルロッタが気になるようでもあった。
ハンナにとっては、狙い通りの展開、否、狙った以上に都合よく進んでいる。そろそろケリーもヤマダ勢をまとめるだろう。
マリアローザがバレンティーナに近づいている。フレデリカが優勝に拘らないとなれば、彼女をシャルロッタの抑えに専念させ、マリアローザと琴音、あるいはケリー自身がバレンティーナのアシストとしてヤマダの勝利を狙うだろう。
バレンティーナだけでも手を焼いている。それにマリアローザと琴音が加われば、ハンナとナオミでは抑え切れない。しかし、その頃にはもう手遅れだ。すぐにエレーナたちが追いついてくる。それに今日のラニーニの愛華には、マリアローザたちでは追いつけない。ハンナとナオミは、ヤマダとストロベリーナイツの対峙を演出してやればいい。
息をつく暇もないほど絶えず前後が入れ替わる先頭の二人と後続の差は、このままどちらかが優勝だろうと思えるほど開いていた。
激しくやり合っているように見えて、二人の走りは安定している。真剣に競い合っているのは間違いないのだが、互いに脅かすような危険な走りはない。
一方、後ろでは、互いに先には行かせまいと、壮絶な脚の引っ張り合いを繰り広げていた。
ラニーニが優勝すれば、タイトル争いは最終戦まで目が離せなくなる。優勝を逃しても、二位ならラニーニの可能性はまだ残される。それより日本の観客は、愛華の優勝に歓喜するだろう。
レースはすでに3分の2を越えた。愛華とラニーニ、どちらが優勝しても盛り上がるのは間違いない。
序盤、愛華とラニーニは、同時にスパートを仕掛け、ずっと全速力で走り続けていた。二人にとっては、実力を上回るハイペース。しかし二人とも、まったくダレる事なく、限界の領域を楽しんでいた。
思い通りに走れる快感に、緊張も疲れも忘れた。
興奮により分泌される大量のアドレナリンは、恐怖も疲労も忘れさせてくれる。極限でのハイな状態は、本来それが緊急回避のための仕組みであることまで忘れさせてしまう。
全能感は、小さなリスクを無視し続けている事に他ならない。疲労は感じなくても、筋肉には確実に疲労物質が蓄積され続け、脳は速く走る以外の注意力を休止させている。余計なことに意識をまわさなくても、ぴったりと合わせて走っていられる二人だったが、問題はそれに気づいていない事だ。
S字コーナーの切り返しで、ラニーニがシフトミスをした。ジュリエッタのミッションは、3速から4速が抜け易い。当然ラニーニもそれはわかっており、コツも掴んでいた。毎周、プロムラミングされたように無意識に繰り返してきたが、同じ力加減で踏み込んだつもりでも、僅かに踏みつけが足りなかった。
ちょうど左側からラニーニに並ぼうとしていた愛華は、ラニーニの切り返しが遅れたのに気づいたが咄嗟に反応出来ない。インプットされたばかりの最高の感覚が、逆に突然のリズム変化を拒むかのように、これまでと同じタイミングで次の右コーナーに向けて切り返してしまっていた。そこには、まだバイクを直立させたままのラニーニがいる。
「ああっ!」
なんとか避けようと、必死にもがくが、バイクはもう旋回に入っており、体重をインに移してしまっている。少しでもラニーニへの衝撃が弱まるように、体を出来るだけ内側に乗り出した。
愛華に、もたれ掛かかられるように接触されたラニーニは、転倒こそ堪えたものの、大きく姿勢を崩してしまう。二台は縺れ合ったまま直進していく。愛華もラニーニから離れようとするが、体重が完全にラニーニに寄り掛かった状態で、どうしようも出来ない。
そのまま二台揃ってコースアウト、細かな砂利にタイヤがめり込んで倒れた。幸い、そこに行くまでに速度は落ちていたため、大きなダメージはない。
「ラニーニちゃん!ごめんなさい!」
愛華は自分のマシンを放って、ラニーニがバイクを起こすのを手伝う。
「わたしは大丈夫!わたしの方こそごめんね、アイカちゃん!」
ラニーニも答えるが、それで愛華の気持ちが治まるはずもない。
大変な事をしてしまった。シャルロッタさんをチャンピオンにするために、ラニーニちゃんを負かすために走ってはいたが、こんな形でチャンピオンが決まってしまうなんて、誰も望んでいない。
ラニーニを一秒でも早くコースに戻すことしか頭になかった。
バレンティーナたちが通り過ぎる。すぐ後をシャルロッタたちも通過する。
『アイカ、大丈夫か?』
エレーナの声が聞こえた。
「大丈夫です!」
すでに無線は届かないであろうが、振り返るエレーナたちに向かって、手を振って答えた。
ハンナとナオミはバイクを寄せて、ラニーニを待っている。リンダも追いついてきた。
「大事なレースなのに、本当にごめんなさい。早く行って!」
愛華はラニーニのバイクを押して、コースに戻した。
「わたしがシフトミスしたんだから気にしないで。アイカちゃんも早くレースに戻らないと」
愛華のバイクもサンドトラップから出すのを手伝おうとしたラニーニを、強引にバイクに跨がらせ、後ろから押した。
「ごめんね、アイカちゃんも必ずレースに戻って」
エンジンが始動したラニーニは、一度振り返り、愛華のバイクをコースマーシャルが起こしているのを確認すると、そのまま走り出した。ハンナが手をあげてくれたのが、愛華にはせめてもの救いだった。
おそらくレースを観ていた大半の人は、この瞬間、シャルロッタのチャンピオンが決まったと思ったろう。シャルロッタは無理してバレンティーナを抜く必要はない。このままゴールしても、チャンピオンが決定する。呆気ない幕切れに、シャルロッタのチームメイトの愛華が、ラニーニと接触するという事態に、サーキット中が複雑な空気に包まれた。
「ラニーニさん、大丈夫ですか」
「わたしもバイクも大丈夫です」
ハンナたちと合流したラニーニの声は、気丈に答えていても、少し涙ぐんでいた。
ラニーニと愛華の接触は、誰が悪いとは言えないレーシングアクシデントだ。
ラニーニがシフトミスをしたのがきっかけではあっても、もしあの場所でなければ、或いは、もし愛華が切り返そうとしたタイミングが、少しでも擦れていたら……、僅かなロスで立て直し、すぐにトップ争いを続けていただろう。
────そんなこと、今さら言っても仕方ない……
些細なミスと幾重もの偶然が重なって、アクシデントは起きる。完全に防ぐ事は出来ない。だからレースは、何が起こるかわからないと言われている。
普通に考えれば、今からシャルロッタに追いつくのは不可能だ。レースは残り10周を切っている。
────でもシャルロッタさんにだって、何が起こるかわからない。
何も起きないかも知れない。これで終わりかも知れない。まったく期待されてなかった自分が、ここまで苦しめたんだから、満足すべきなのかも知れない……。
でも、少しでも可能性があるなら、ちがう!可能性がなくたって、最後までベストを尽くさなくちゃいけないんだ。
支えてくれたチームの人たちのために、応援してくれた人たちのために……。
それに、もしこのまま終わったら、きっとアイカちゃんは自分を責めちゃうから。
「アイカちゃん、わたしのバイクを押してくれたの、後悔させるからね」
ラニーニは諦めていなかった。そして全員揃ったブルーストライプスのチームメイトたちも、これで終わるつもりはなかった。




