パワープレイ
愛華とシャルロッタのアタックを受けながらも、フレデリカも精一杯粘っていた。シャルロッタ同様天才属性の彼女にとってはかなりの試練だ。何度かパスされたが、ストレートではスリップストリームから一気に二台を抜き返すを繰り返す。しかし徐々にそれも難しくなってきていた。終盤に入り、ストロベリーナイツの二台が、本格的に引き離そうとしてきた。二人とも、露骨に立ち上がりでフレデリカにスリップに入らせないようにし始めている。
(この子たち、余裕かましてた?)
シャルロッタをライバルとみなし、初めて他人の走りを研究した。シャルロッタに勝つための対策もたててきたのに、それを使う機会すら与えられない。まだまだ引き離されるほどの差はついてないが、ここまで自分は、彼女たちの直線での引っ張り役にされた気がしてきた。自分が利用されていたと思うと、屈辱的な気分になってくる。
(なにそれ、間抜けすぎよ!)
愛華たちにそこまでの腹黒さがあるはずもないが、フレデリカは勝手に自分を卑下し、自滅へと追いつめていった。
常人の獲得しえぬほどの才能を持って生まれた者ほど、精神的脆さは避けられないのだろうか。同じような弱点を抱えながらも、二人の天才は、まったく違う心理状態で走り続ける。
精神の乱れは、肉体にも影響を及ぼし、不安を抱えていた右手首の感覚に違和感を覚え始めた。
前回のイギリスGPの時には最後まで気にならなかった。雨のため、スロットルワークに繊細さは求められるが、その分ソフトなスロットルワークだった。何より大きな違いは、ブレーキングだ。雨のシルバーストーンとドライのミサノでは、フロントブレーキを酷使する度合いがまるで違う。
対等に渡り合っていたときには感じなかったのに、抜き返せなくなった途端、ブレーキレバーを握るのが、思い出したように耐え難い苦痛を伴うようになっていた。
バレンティーナのリアタイヤが立ち上がりで暴れる。真後ろのケリーがそれを回避しようとして加速が鈍った。
(あれだけのパワーをフルに使い続けてきたんだ。そろそろ限界だろう)
エレーナのタイヤもかなり消耗していたが、パワーの上回るヤマダのマシンとそれに頼らざるえない状況に追い込んだ成果がようやく出始めてきた。
エレーナとスターシアは、ほとんどコーナー毎にバレンティーナとケリーに並びかけては、立ち上がりで抑えられるというのを繰り返してきた。
コーナー進入から旋回までは熟成されたスミホーイのコントロール性に歩があるが、立ち上がり加速ではヤマダのパワーが圧倒的だ。しかしその分リアタイヤへの負担も大きい。エレーナとスターシアから煽られて尚、ここまで抑えてきたのは流石と言える。だがそれもパワーを路面に伝えられてのものだ。
バレンティーナとケリーたちの間には、やはり協力する取り決めがあったと考えて間違いない。気づくのが遅れていれば、もっと苦戦を強いられていたことだろう。フレデリカと分断したのは正解だった。
「スターシア、そろそろケリーたちがへばってきた。次のストレートエンドで終わりにするぞ」
エレーナたちの目的は、シャルロッタと愛華の逃げ切りを成功させる事にある。フレデリカを取り逃がしたのは惜しいが、そのおかげでトップスピードも上がったようだ。あの二人なら心配ない。必ず勝ってくれるだろう。その点では、ほぼ作戦は成功したと言える。
「そうですね、あまりゆっくりしてられないみたいです。後ろのハンナさんたちが、ずっとヘビみたいに狙ってますから」
スターシアは背後で静かに期を狙っているハンナたちが気になっていた。当然エレーナも気づいている。レース前半からきっちり列を揃えて、ずっと力を蓄えてきている。ケリーたちが落ちれば、一気に勝負を仕掛けてくるだろう。今さらシャルロッタたちに追いつく事はないが、ポイントをリードされている側としては、ラニーニを上位でゴールさせてやる訳にはいかない。
「アイカちゃんのお友だちの邪魔をするのは心苦しいですが、レースなので仕方ありません」
イギリスGPでは、愛華のアシストとしてハンナ、ラニーニ組と競い合ったスターシアである。前回のレースは愛華が勝ってはいたが、ハンナとのアシスト対決は引き分けというところだ。今回は相手が四人に増えているが、こちらのパートナーは魔女エレーナだ。純粋にスピードだけなら愛華も速くなったが、勝負の駆け引きや圧力、スターシアとの見えない部分でのコンビネーションでは愛華とは大きな差がある。もちろん相手にとってはエレーナの方が嫌な相手だ。
「仕方ないなどと言いつつ、やる気満々だな」
ストレートに入り、マシンを直立させるとパワーで勝るヤマダの二台が差を拡げていく。しかしエレーナは焦る事なく、ツーリング中のように話しかけてきた。
「あら、そう見えます?でもエレーナさんも張りきってるように見えますけど」
コーナーが迫り、バレンティーナとケリーが上体を起こし、アウトいっぱいからブレーキングに入る。
「たまには活躍しないと、シャルロッタたちに舐められるからな」
エレーナは上体を伏せたまま軽く減速、前の二台よりかなり手前の位置からインに寄せていく。
「アイカちゃんがラニーニさんのチームに移籍したいなんて言い出さないように、老体に鞭打って頑張ってください」
スターシアも喋りながらエレーナに続く。かなりオーバースピードだが、気にする様子はない。
「まずはスターシアの態度を改めなくてはならないようだな」
エレーナとスターシアに気づいたケリーが、インを塞ごうとするが、急激なライン変更にタイヤがついていかない。
「見栄張って無理するのは、年老いた証拠ですよ」
「私はぜんぜん無理などしていない!」
二人は減速しながら、インに切り込もうとしているバレンティーナの前へ出た。
バレンティーナは二人を目の前でやり過ごし、狙い通りのクリップポイントを掠めるとクロスラインで加速体勢に入る。エレーナとスターシアは、コーナーを曲がりきるにはまだ減速が足りない。
「エレーナさん、けっこう無理してません?」
スターシアは膝でマシンを支えるようにしながら外へ逃げようとするフロントタイヤを強引にコーナー出口に向けた。
「スターシアこそ、無理しなくてもいいんだぞ」
言葉とは裏腹に、絞り出すような声で答えながら、エレーナも強引に向きを変える。
「エレーナさんこそ、ゆっくりしていらして」
スターシアは軽口で苦しさを誤魔化し、エレーナの前に出る。
バレンティーナは、先に加速体勢に入ったものの、タイヤが暴れて思うように立ち上がれないでいる。それを最初からわかっていたかのように、強引な向き変えから素早く姿勢を整えたスターシアが並びかける。
既にスターシアには抜かれたと判断したバレンティーナは、エレーナだけでも抑え込もうと、アウトに孕みながら全体重をリアタイヤに預けて目一杯スロットルを開く。しかし摩耗したリアタイヤは、ヤマダのパワーを路面に伝えきれない。バレンティーナの横を、フルボトムから急激に伸びたフロントフォークの反動で宙に浮いたフロントタイヤも意に介さず加速するエレーナが、抜き去った。
ふざけた憎まれ口の叩き合いをしているとは想像も出来ない鮮やかなパッシングシーンを見せつけられ、ハンナもじっとしていられない。
「私たちもいきますよ。タイヤのハンディがあるとはいえ、バレンティーナさんもケリーさんも優秀なライダーです。気を引き締めてください。遅れた人は置いていきます!」
「はい!」
全員が力強く返事をした。エレーナとスターシア相手にするには、出来る限り人数が欲しい。しかしここで離されては、二度と追いつけない。競り合う相手のいなくなった二人は、全力で引き離そうとするだろう。速やかにヤマダの二人をパスして、エレーナたちに仕掛けなくてはならない。
バレンティーナとケリーは、たった一つのコーナーで二人にパスされた悔しさを噛みしめる暇なく、すぐに次のアタックに備えた。この辺りはさすがに元チャンピオンの二人である。どんな状況でもベターな成績を目指す重要性を知っている。タイトル争いとは無縁となっても、バイクメーカーやスポンサーへの義務を果たさなければならない。それが将来へと繋がる。
「あなたの実力は認めるけど、このタイヤじゃ厳しいわね」
エレーナとスターシアに抜かれるのを為す術なく見送るしかなかったケリーが、バレンティーナに話しかけた。
正直バレンティーナはよく頑張ったと評価している。もう少しタイヤがまともだったら、エレーナだけでも抑えられていただろう。
「全員を抑える必要ないよ。ラニーニだけ捕まえれば、奴らは前に行けないさ」
ブルーストライプスの戦い方は、バレンティーナが一番よく知っているつもりだ。あのチームでは、アシストはエースを勝たせるための駒だ。逆に言えば、エースのラニーニさえ抑えれば、彼女たちが先にゴールする事はない。他のチームにも言えることだが、ブルーストライプスは徹底している。
「ハンナを甘く見ない方がいいわよ。あなたのいた頃とは違うチームと思って。少しでも穴をあけたら、全員なだれ込んで来るわよ」
ケリーはかつての、エレーナのチームメイトだった頃のハンナの記憶が、トラウマのように甦っていた。ハンナがいなければ、全盛期の自分があそこまでエレーナに負ける事はなかったと自負している。
「来たわよ!!」
ケリーから警告されていても、バレンティーナはかつてのチームメイトたちを甘くみていた。
最初に仕掛けてきたリンダをケリーがブロックする。その隙をついてナオミとラニーニがバレンティーナまで迫る。インのナオミを軽く牽制しながらアウトのラニーニをブロックするラインを取る。
「ハンナに気をつけて!内側よ」
ラニーニの足止めを確認して、インを塞ごうとしたが、ナオミが邪魔をしてインに寄れない。威嚇するようにナオミに被せるが、彼女も動じない。ケリーはハンナの後ろを塞ごうとしたが、既にラニーニがぴったりと張りついていた。
バレンティーナはいつの間にラニーニがハンナの後ろに入ったのか、まったく気がつかなかった。バレンティーナとケリーが互いにラインを邪魔し合う間に、リンダにまでパスされてしまう。
昨年まで自分のアシストだった少女たちは、すぐに風圧を避け合うよう列を整えると、何の未練もないようにかつてのエースを置き去りにしていった。
バレンティーナの完敗だった。個人のテクニックでは負けていないのに、エンジンパワーを生かすことも出来ず、あっという間に四台にパスされた。しかし悔しさはあまりなかった。タイヤのせいにする事はしたくない。スタートしたのは一緒だ。優位なはずのエンジンパワーでタイヤを痛みつけていたのは自分である。それよりも、もう今までのような戦い方では勝てないと悟った事の方が、大きな成果だった。




