表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最速の女神たち   作者: YASSI
フルシーズン出場
122/398

守護天使

 ピットのまるで戦場のような混乱も、ほとんどのライダーがレイン用マシンに乗り換えてレースに戻ると、メカニックたちはようやく一息つくことができた。

 普段のレースでは、一旦スタートしてしまえばモニターを眺めてマシントラブルがない事を祈るしかなく、歯痒い思いをする彼らも、この日ばかりはもうお腹一杯だ。モニターを眺めるだけの幸せを噛み締める。


 落ち着きを取り戻したピットでは(とは言えまだレースの真っ最中なので、のんびりした雰囲気はない)、彼らに混じって、早々に転倒リタイヤして悔し泣きしているライダー、ポイント圏内入賞も絶望的になってレースを諦め、怒りを辺り構わず当たり散らすライダーもいる。その中にアシストのマリアローザを転倒リタイヤで失ない、自身もピットに戻ったものの大きく順位を落とし、レースを投げたバレンティーナもいた。


 彼女の怒りは当たり散らすだけに留まらず、直接競技委員長に詰め寄り「コース上は視界も悪く、ピットロードもまともに通り抜けられない状況だった。このレースは危険すぎる!すぐにこんなレースを中止して、再レースすべきだ」と訴えた。

 しかし競技委員長は「スタート前からウェットレース宣言が出されていた。このあとMotoGPの決勝も控えており、再レースは不可能」とにべなくもなく突き返した。

 バレンティーナは尚も食い下がり、「安全が確保されないレースを強行し、ライダーを危険に曝した競技委員長と主催者を訴える」と脅した。

 それには競技委員長も言葉を失った。これまで出走するだけでスタンドを満席にするスーパースターのバレンティーナには、主催者も甘い顔をしてきた。スポンサーが、中立の立場の競技委員に剛柔の圧力を掛けてきた事もある。正直このクラスの発展の為に、目をつぶった事があるのも否定できない。

 しかし彼女のわがままが通らないからと、逆に訴えるなどと脅されて、遂に彼はキレた。

「我々はレースを中止するほど危険なコンディションとは考えていませんが、貴女が危険と判断して、ご自分でレースを降りたのは自由です。私は責めるつもりはありません。しかしこのあと行われる、もっとパワフルでハイスピードなMotoGPの出場者からも、中止すべきだとの声は上がっていません。勿論彼らとて雨の中のレースは楽しいものではないでしょうが、それでも走るのがプロというものでは?それに今現在、滅多に観られない名勝負が行われていて、観客も私も熱くなって見守っているところなんです。あなたのイチャモンを一々聞いてる暇は、私にはない。こんなところでクレームつけてないで、彼女たちのレースを見て少しは見習ったらどうだ!」

 抑えていた苛立ちが、喋っているうちに昂ぶってきたのか、途中から声を荒げていた。英国紳士然とした競技委員長の豹変にバレンティーナはたじろいだ。裁判に訴えるなど、最初からする気などなかった。たとえ裁判で勝ったとしても、ファンからの評価が下がるだけなのはわかっている。スーパースターの座からずり落ちようとしている現状を、認めたくなかっただけだ。


 バレンティーナは、自分が主役から降ろされた現実を嚙み締めた。




 レースの先頭では雨の中、ハンナ、スターシア、愛華、ラニーニの四人による攻防が繰り広げられていた。

 ハンナは愛華をブロックしつつラニーニだけを前に、スターシアはラニーニを抑えながら愛華に道を切り開こうと、アシスト同士の主導権争いを展開し、その後ろでは、愛華とラニーニが互いのパートナーが作る一瞬のチャンスを逃すまいと、優位なポジションの奪い合いを繰り広げていた。


 雨でペースは遅く、早急に勝敗が決するような動きもないまま何周も進んでいく。一見地味で退屈なトップグループと映らなくもないが、目の肥えた英国のレースファンには、その高度な技術の応酬と緊張が充分に伝わり、目が離せず見守り続けた。


 GP全クラス中、最も美しく、芸術的とまで称され、泥くさいバトルとは無縁なイメージのスターシアであったが、ひとたびチームメイトの為に本気になったときの残忍なまで徹底して相手の走りを封じる嫌らしさと攻撃性は、昨年の最終戦でラニーニも十分に味わった。エースバレンティーナを含め、ブルーストライプスの五人掛かりでも崩せなかったスターシアの裏のライディング。

 それをハンナが独りで凌いでいる。相手がハンナでなければ、とっくにパスされていただろうし、逆もまた然り、スターシアでなければ、とっくに弾き返されているだろう。


 ハンナに関しては、愛華もアカデミー時代からテクニックは勿論、その厳しさ、恐さは身に染みている。「エレーナの守護天使」と言われていたと知ったのは、彼女が復帰(カムバック)してからだ。


 GPに復帰してからは、ライバルチームであってもクリーンで優しさすら感じさせたが、アカデミー生たちの間から「女ゲシュタポ」とまで呼ばれていた恐怖のハンナ先生と天使のイメージがどうにも一致せず、こっそりシャルロッタにこぼしたことがあった。その時はただ誰かに愚痴を言いたかっただけで、真面目な答えなどを求めてはいなかったが、シャルロッタはハンナの本質を見抜いていたのかも知れない。


「あの女がエレーナ様の守護天使というのも頷けるわ。残虐な爪を隠し持っているわよ」

 残虐な爪とは言い過ぎにしても、早くから実力は認めていたようだ。しかしそれなら尚更天使の呼び名とは結びつかない。確かに整った顔をしており、若い頃には今よりもっと鮮やかな金髪であったであろうから、外見だけで天使と呼ばれていたのだろうか?


「日本人はなにか勘違いしてるみたいね。日本のアニメの唯一間違っている点はね、天使ってのが純粋無垢で人を救うものだと描かれているところよ」

 あまりアニメに詳しくない愛華も、何となくそんなイメージを抱いていたが、アニメの間違いってそこだけでいいの?


「天使ってのは、どんな理不尽なことでも神様の意志が絶対なのよ。逆らう者は無慈悲に罰する存在よ」

 そう言われてみれば、そんな話も聞いたこともある。


「宗教画とかに描かれている天使の姿、よく見てみなさい。天使の背中に生えてる翼ってのは、狂暴な猛禽のそれよ。純粋無垢ってのは、すべて神様の意志に従うから純粋なの。逆に言えば神様の意志ならどんな残虐なことでもするわ」

 神様が残虐な事をするなんてちょっと信じられない。それはきっと人間が悪い事をしたからだ。


「例えばあんたの国でもあたしの国でも、これまで何度も地震とか火山の噴火で大勢の人が死んでるでしょ?その人たちがなにか悪いことした?そりゃあ中には悪人もいたかも知れないけど、真面目に生きてた人もたくさんいたはずよ。神様は時々そうやってあたしたちを試すの。たまにそれに疑問を持つ天使もいて、そういうのは堕天使とされて~~~」

 それからシャルロッタの天使についての講釈は延々と続き、最近のアニメにおける天使像も、少しは忠実になってきてるとか、あの作品はどうとかの話になっていったが、あまり憶えていない。

 イタリア人のシャルロッタが聖書について詳しいのは当然としても、オタクというのは宗教や神話、歴史の裏側について妙なところでやたら詳しい。むしろカトリックでは異端とされる知識が無駄に豊富なのは、やはり中二病の影響か?


 その辺の話はともかく、ハンナが狂暴な猛禽の翼を持っていて、逆らう者を無慈悲に打ちのめすというのは、今、改めてわかる気がする。


 スターシアさんが大切な子たちのために獲物を狩る残忍な雌ライオンだとしたら、ハンナさんは縄張りに侵入した外敵を攻撃する無慈悲な鷹だ。


 普段は隠している鋭い牙と爪がぶつかり合う様は、後ろにいる愛華とラニーニにとっても、近寄りがたいほど高度で危険な闘いに思えた。

 だからといって、離れて観てる訳にはいかない。世界最高のアシスト二人が、自分たちのために全力でぶつかり合っているのだ。


 愛華がスターシアと息を合わせて、ハンナのインを刺そうとするが、ラニーニもそれを許さない。愛華の隙をついて、ラニーニがハンナとタイミングを合わせようとしても、スターシアが頭を押さえる。個人対個人、ペア対ペアが、どちらも絶対譲らない気迫で火花を散らす。


 何度か周回遅れ(バックマーカー)に追いつくが、そこで流れが変わる事はなかった。攻守共にチャンスであり、リスクでもあるバックマーカーを利用しようとしなかったのではなく、出来なかった。

 ハンナはバックマーカーに詰まっても後ろの警戒を怠らず、スターシアが先に抜いても、すぐにあとに続いた。愛華もラニーニも、二人の後ろをぴったりと離れない。


 互いに決め手のないまま、レースは最終盤に差し掛かっていった。

 力が拮抗しているから決め手がないとも言えたが、このままレースが終わればブルーストライプスの負けとなる。

 ラニーニはタイトル争いの為に、優勝ポイントを獲得する事が目的であり、愛華たちはラニーニの優勝を阻止するのが目的だ。

 しかし愛華もスターシアも、そのような勝ちを望んでいない。

 ハンナは必ずゴール前のどこかでラニーニを前に行かせようとするだろうう。そこに隙が生まれるはずだ。

 ラニーニを抑えるのではなく、その隙に愛華も勝負を挑む!


 言葉を交わすまでもなく、愛華とスターシアの意志は決まっている。そしてそれは、ラニーニとハンナにも伝わっていた。


「とんだ特別授業になったわね。ラニーニさん、私ではスターシアさんに思い知らせるには力が足りなかったようです。私は最後の力を振り絞りますが、あとはあなたとアイカさんの実力次第になるでしょう。頼みましたよ」

「はい!絶対に負けません」

 ラニーニの位置を確認したハンナは、スターシアをインに誘った。


「アイカちゃん、必ず勝たせるって言ったのに、ハンナさんの方が私より上手(うわて)だったみたいです。せめて何とか道を作るから、アイカちゃんの実力でラニーニさんに勝ってね」

「だあっ!必ず勝ちます」

 勝負の瞬間を愛華に伝えたスターシアは、ハンナの誘いに乗った。


 ハンナがイン側ゼブラへ押さえ付けるようにスターシアに被せてくる。それでもスターシアは強引に突破しようと怯まない。その間にラニーニがアウトから二人をパスしていく。

 ラニーニが抜いたタイミングで、ハンナはアウトに膨らみ外側のラインを塞いだ。合わせてスターシアもインを空ける。その隙間を愛華が抜けて行った。



 ハンナとスターシアは、すぐに二人を追おうとしたが、駆け引きもブロックも考えず、全力で疾走する二つの水煙は、すでに届かないところにあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] まさに一騎討ち‼︎‼︎
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ