第9話 サイ・ホシノ、参る (Part9)
ルトラは1歩踏み込むと、怪物よりも飛び上がった。そのまま、アヌエル達の出した炎の塀を飛び越えると、仰向けに倒れる怪物の腹を両足で踏みつけた。
怪物は息とどす黒い液を吐き出してのたうち回った。
ルトラはそのまま前方に転がると、片膝立ちの体勢で怪物の方に向きなおす。
次の瞬間、怪物はその強靭な後ろ脚をもって、まるで弾丸のようにルトラに突っ込んできた。ルトラは瞬時に、怪物の頭を抱えるように受け止める。その勢いのせいで地面は削れ、その跡を残す。
踏ん張るルトラの両足を、怪物のもう4本の前脚が捕らえると、そのままルトラを後ろに転ばせた。そして、追撃とばかりにルトラにのしかかろうと飛び上がった。
間一髪、ルトラは横に転がってそれをかわすと、ひらりと軽快な様子で立ち上がる。呼吸を整える仕草をして、ルトラは怪物に向かって拳を構えた。
怪物は6本の前足を扇のように広げた。巨大なつららのような、24本の爪が光るとともに、大きな歩幅で、地響きを立てながらルトラに迫っていった。
風を切る音ともに、怪物は腕を振るう。
しかし、それは肉を切らずに空のみを切る。
ルトラはかわす、小さく動き、鋭い爪をかわす。その視線を怪物に向けたまま。
怪物の姿勢が少し崩れた。その隙に、ルトラは体を軽く屈めた。
そして怪物が左の3本の前足を振るおうと体が開けた瞬間だった。
まばゆく輝くルトラの右拳が、怪物の顔面を突き上げた。大きな火花が上がると同時に、怪物は円弧を描くように吹き飛んだ。
間髪入れず、ルトラは倒れた怪物の尾をつかんだ。
そして、尾を背負い込むと、ルトラは勢いをつけて怪物を強引に投げた。怪物の体は大きな弧を描いて地面に叩きつけられた。
まだ、ルトラは尾を離さない。
ルトラは再び尾を背負うと、先と同じように、怪物の尾を引きちぎらんばかりの勢いで怪物を投げ飛ばした。遠くに、そして凄まじい勢いで怪物は飛ばされ、またも地面に強かに叩きつけられた。
「いいぞルトラ!! そのままそいつをのしちまえ!!」
ドクマを初めとした、【流星の使徒】の隊員たちが喝采を上げた。
「気持ちを浮つかせるな!!」
1人、キリヤを除いて。
「奴には遠距離魔法はうかつには撃てん、それに奴の能力、多分だが、」
キリヤが話そうとした瞬間、怪物の尾が鞭のようにルトラの頭部を叩いた。目にもとまらぬほどの一撃に、ルトラは体を大きくぐらつかせた。
この機を逃さぬとばかり、怪物はその大口を開けてルトラに飛びかかった。
怪物の顎がルトラの肩口を挟み込んだ。
6本の前足はしっかりとルトラの胴体を固定していた。
「いかん!! 怪物を撃て!! ルトラから引きはがすんだ!!」
キリヤの指示の直後、【流星の使徒】総員が一斉に発泡する。弾は怪物に次々と命中する。しかし、いくら命中すれど、怪物がルトラを離す気配はなかった。
ルトラが少しずつ脱力してゆくのが、見てとれた。
「……一か八か!! 今度こそだ!!」
ドクマが立ち膝で大口径砲を構えた。その姿はまるで本物の大砲のよう。
発射。
轟音が響き、白い閃光がルトラに組み付く怪物に向かって飛んでいく。
着弾。
怪物の背中で爆発が起こった。その衝撃で、怪物はルトラを離し、ルトラはその場に倒れ込んだ。怪物は咆哮と共に、痺れたような様子を見せる最中、ルトラは気を取り直すように頭を振るい、ややよろめきながらも立ち上がった。
そして、改めて怪物の方へ構えた瞬間だった。
怪物の体がまた、空間に溶け込んでいった。
「くそっ、やっぱりか……!!」
キリヤが自分の腿を叩いた。
怪物は、吸血鬼のごとく相手の力を吸収、自分のものにするという推測が証明されてしまったのだ。
ルトラがいきなりぐらついた。甲冑のような体に爪のような跡が残る。ルトラの巨体が左右に大きく揺さぶられ、見る見るうちに、彼の身体は傷だらけになっていった。
それでも、ルトラは倒れないように必死にこらえた。しかし、
「ルトラも位置がわからないのか!? これじゃ反撃なんて無理だ……!!」
アーマッジが吐き出すようにつぶやいた。
腕を十字に構えて身を軽く屈め、耐える姿勢をとった。その間にもルトラの傷は目に見えて増えていった。それでも、ルトラには、ただただ耐えるしかできない。
ルトラが大きく仰け反った。同時に、肩口に大きな歯形が浮かんできた。見えぬ怪物を振り払おうとルトラは必死にもがく、もがく、もがく。ルトラの目の光が、徐々に薄れていく。
そして、突き飛ばされたような挙動で、ルトラがディヌーズの森の上に倒れた。
「あっ……!! 《自然の神よ、その気を地より発散させよ》!!」
アヌエルが咄嗟に呪文を唱えた。青白い炎が、ディヌーズの森を塞ぐように噴き上がった。
<ヴガアアアアアアアアアアアアアア!!!!!>
怪物の咆哮だけが聞こえた。
獲物をしとめる邪魔をされ、激怒している声。
その間に、炎の向こうでルトラが、ふらついた足元で立ち上がった。
そして、ルトラは構えもせず、ただただ、じっと止まり、ゆっくりと呼吸をしていた。力は抜けきり、自然体に様子であった。
それは、深く瞑想しているようだった。
それは、周囲の自然と馴染んでいき、天を衝く巨木のように見えた。
それは、ホシノの修練と、同様の様子であった。
「おい、ルトラ!! どうしたんだよ!!」
ドクマは棒立ちのルトラに怒声を上げた。ほぼ同時に、魔法の炎が消えた。
その刹那。
ルトラの瞳が一気に輝いた。
瞬時にルトラの右腕が振りぬかれ、光の巨大な刃が放たれた。
すると、空間がずれていき、今にも【流星の使徒】を襲わんとする怪物の姿が現れた。
そして、怪物の体は輪切りになり、地面に倒れた。それは靄を上げながら萎んでいき、ついには跡形もなく消えてしまった。
それを見届けると、ルトラの身体は光の粒子となって爆ぜた。
怪物がすぐ近くにいたという事もあり、その場にいた皆が呆然と立ち尽くしていた。
「……勝った、か」
キリヤが安堵の声を漏らした瞬間、【流星の使徒】隊員全員が喝采の声を上げた。
「なあ、ハイアットとホシノちゃんはどうしたんだ?」
「そういえば、まだ合流してないわね」
「ちょっと待て!? それってヤバくねぇか!?」
ドクマとアヌエルの会話を聞いて、キリヤは顔を青くし、すぐさまコミューナを起動させた。
「こちらキリヤ!! ハイアット、応答せよ、応答せ……」
その時、である。
ホシノを肩に担いだハイアットがふらりと森から現れた。どうもハイアットは傷を負った様子だった。それを見て、また、全隊員が呆然となった。
「は、ハイアット隊員、何があったのですか?」
「……えっと、ルトラの戦闘から、離れようとしましたら、蹴躓いて、おもいきり転んでしまいまして……」
アーマッジの質問に、ハイアットはおずおずと答えた。
「……ハイアット」
キリヤの顔に、疲労と、それ以上に怒りが滲み出していた。
*
今日も、森の小道は、真上に辿り着いた太陽からの木漏れ日が煌ている。
ここのところ、僕は何でもない日でもよく森を歩くようになった。
目に映る、木々の色彩や、花の匂い、風の音を、人の身体で受け止める。自然に溶け込んでるように、僕は感じる。
そう考えながら歩いていると、程なく湖畔についた。いつもの石の上で、ホシノ隊員が座ってる。
それと、その石の根元で何か小さいものが動いてるのが見えた。
ホシノ隊員の所に駆け寄る。その動いてるものを見ると、2体の生物が戦っている。
片方はとても小さな烏印陀で、もう片方は、烏印陀と同じような、見慣れない鎧を着た牛の頭をしたもの、ホシノ隊員曰くミクラって言うらしい。
2体とも掌ぐらいの大きさ。これぐらいならホシノ隊員にも負担が無いらしい。
僕の掌ほどの、2体の生き物が、ぱしぱしと音を立てて互いに蹴って突いてを繰り返してる。それはまるで演舞のようで。
「おや、ハイアット殿ですか、という事は食事の時間でありますな?」
声が聞こえて、僕は見上げる。
石の上で足を組んでる、ホシノ隊員がこちら見ていた。彼女の目にはまだ、包帯が巻かれていた。アヌエル隊員曰く、神経系がかなり傷ついていたらしく、回復にはまだ当面時間がかかるみたいだ。
「烏印陀、壬駈羅、やめっ!!」
ホシノ隊員の掛け声とともに、2体はぴたりと攻撃をやめ、すこし距離をとると、ぺこりと礼した。すると、ひょいひょいと石の上を駆け上がり、ホシノ隊員の肩の上に座った。
それから、ホシノ隊員が軽やかに石の上から降りた。
「……相変わらず、ちゃんと見えてるみたいですね」
「ふっふっふ、私には式神がおりますからな」
並んで歩きながら、ホシノ隊員が誇らしげに鼻息を鳴らす。
「でも、いつかは式神に頼らずとも、目を閉じても景色が見通せるようになりたいでありますな」
「心の眼、でしたね」
「そうであります」
「……僕も、会得したいですね、心の眼」
「おお!!と、なると、ハイアット殿も一緒に修練したいといことですな?」
「はい」
僕は素直に答える。
先日のような敵が、これからも出てくると考えると、僕には必要だ。
「……申し訳ありませんが、こちらから断るであります」
「え?」
僕は歩みを止め、ホシノ隊員も止まった。
「ハイアット殿は、私よりも才能があります、ここに入ってすぐに私を追い抜いてしまいましたから」
風がざわめいてるように感じる。
「エルフのアーマッジ殿はまだしも、同じ人間であるハイアット殿に先を越されたことは、正直言って悔しいであります」
ホシノ隊員も、肩の式神たちも、こちらを向かない。僕は、なにも話せない。
「ハイアット殿、私は貴方には負けたくないであります、ホシノ家としての誇りをもって、追いついて見せましょう、その時は」
ホシノ隊員がこちらに振り向いて、
「また、あの日みたいに、一緒に肩を並べましょう」
ホシノ隊員は歯を見せて笑った。包帯の奥で、ホシノ隊員の目がおもいきり笑ってるようだった。
僕はちょっと呆けた。でも、僕も安堵して、自然と笑みが、零れる。
「あ、先ほど断ると言いましたが、冗談でありますよ、ただ一緒に修練するには条件はつけますが」
「条件?」
「私の事を、師匠、と呼ぶであります!!」
「わかりました、師匠」
「へえっ!?」
僕はまた、おかしなことをした、らしい。




