第9話 サイ・ホシノ、参る (Part4)
地獄の唸り声と、甲高いホシノの声が森の中をこだまする。その中で、ソカワを抱き寄せたまま、ハイアットはただ一点を見つめて固まっていた。
ありえるのか?
姿はともかく、魔力すら、この目で見えないなんて?
『ハイアット隊員!!』
バチンと、ハイアットの頬に何かがぶつかった。彼の目の前には、ホシノの式神が1体。
『何をしてるんですか!! 早く退避を!!』
ハイアットはハッと気づいた。そして、ジワリと体についた……特製のジャケットを破ってできた切り傷が痛み始めた。
ハイアットは急いで、ソカワの左腕を首の後ろに回すと、胴を抱えるようにして、なんとかソカワと立ち上がった。
しかし。
<ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……>
例の唸り声。大分近づいているとハイアットは感じた。焦りが彼を襲う。彼はソカワを引きずるように、足に力を込めた。だが、足は思ったように動かない。
<ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……>
声がハイアットに迫っている。その姿は見えないが、獲物を狙う目にしていることは、ハイアットにはよくわかった。
ディン・ハイアットでは無力、さりとて、ルトラとしても打開策は無い。さらにホシノの目もある。故にできることは逃げるのみ。だがしかし、助けねばならぬ者が、彼の足かせとなる。
だが、希望はまだ飛んでいた。
白い影がひゅるりとハイアットの横を通り過ぎた。
『ホシノ君、何をしてる!? 無茶をするな!!』
『ハイアット隊員!! 私が時間を稼ぎます!! 今のうちに!!』
ムラーツとホシノの必死な声が、交差しながらコミューナから漏れ、ホシノの式神がひらりひらりと何も無いはずの空間を何かをかわすように舞っていた。
ハイアットは歯を食いしばって、また脚を動かす。できる限り早く、できる限る遠くへと意思を向けて。1歩、2歩、と。
すると、翼の音がハイアットの耳に入った。
「2人とも大丈夫!?」
上方からフィジーが来た。その後ろには、ワイバーンに乗るイディの姿も。それを見て、ハイアットは息をぐっと吸い込んだ
「ソカワ隊員は戦闘不能!! この近辺に目に見えない敵がいます!!」
「ちっくしょう、ホシノちゃんの言った通りか!」
『え、いや、私からは見えてるんです、イディ隊員!!』
「こっちは見えないんだ!! どこにいるか教えてくれ!!」
するとイディ達を先導していた式神が、舞いに加わった。2体の式神が小さな円を描くように舞う。
「そこね!! ペンキ弾発射!!」
威勢の良い声共に、フィジーの中口径魔装銃より、真ん丸の球が勢いよく射出された。
球はまっすぐに飛んだ。
そして、球は何にも当たらず、ただ地面を青く染めただけだった。
「はっ? ……やっぱり何にもないじゃない!?」
『魔装銃なら着弾した、そいつはどうやら霊体らしい』
呆気にとられたフィジーを諭すように、ムラーツが声をかける。それを聞いて、フィジーが、そしてイディが魔装銃を構え、引金を引いた。何度も。弾は空中に着弾し、まるで突然現れては消える、小さな鬼火がいくつも現れたようだった。
「くそ、確かにいるみたいだが、攻撃が効いてるのかわからない!」
そう言って、イディが汗をぬぐった瞬間。
『避けて下さい!!』
ホシノの叫びが聞こえた。2人は反射的にそこから飛びのいた。
何かが空を裂いた。
「ひあっ……な、ジャケットが!?」
フィジーは寸でのところでかわした。しかし、彼女のジャケットも、ソカワ達と同様の大きな傷がついた。
だが、フィジーが顔を上げると、無人のワイバーンが逃げるように飛び立ったのが見えた。
「イディ!!」
イディは地面に倒れていた。嫌な予感がして、フィジーは素早くイディの所に急降下すると、彼を抱きかかえて飛びのいた。
彼の倒れた場所に、3つの何かが突き刺さったような大きな穴が開いた。
「ああもう、なんて出鱈目な敵なの!?」
フィジーはイディを抱えたまま、上空へ向かって羽ばたいた。
その瞬間。
『フィジー隊員!! 危ないです!!』
「へっう? ぐあっ!?」
フィジーの肩口に重たい衝撃が襲った。バランスを崩したフィジーは、イディと共に、ぐるぐると地面に落ちていき、うつ伏せに叩きつけられた。フィジーの肩から、血がにじみ出してきている。
「あ……ひゅぅ……ひゅぅぅ……」
胸部を強く打ち、フィジーはまともに呼吸ができなくなった。それは、行動できないとほぼ同義である。ただ、不穏が迫ってくるのを本能で感じとり、何とか這いずってその場から離れようともがいた。
『くそぉ、みんなから離れろお!!』
『ホシノ君!! やめたまえ!! ホシノ君!!』
式神が懸命に羽ばたき、何かをついばんだり、鉤爪でつまもうとする仕草をしていた。式神たちの舞は、少しずつ、少しずつ、機動部隊の面々から離れていった。
その時、空間に何かが撃ち込まれた。バチンバチンという音ともに、空中で何度も火花があがった。
アヌエル、アーマッジ、そしてドクマの3人が魔装銃を構えていた。魔装銃を式神たちが飛んでいる方に向けたまま、アーマッジとアヌエルはフィジーとイディの、ドクマソカワとワイアットの方に駆け寄った。
「お前ら、大丈夫か!!」
ドクマは2人に呼びかけた。
「僕は大丈夫です、ですがソカワ隊員が、」
「ソカワは俺が持つ!! あっちにいる見えない奴を撃ってくれ!!」
そう言って、ドクマはソカワを肩に担ぎ上げた瞬間だった。
『あっ!!』
コミューナからのホシノの叫びと共に、舞っていた2体の式神が煙のようになって消えた。
「ドクマ隊員、急いでください!!」
「わかってる!! アヌエル!! 頼む……」
「うん!《文明の神よ、この迷宮より……」
アヌエルが詠唱を始めた瞬間、ハイアットは魔装銃を撃った。右手の、星形の痣を光らせて。
弾はやはり空間に命中した。その瞬間、光が一瞬だけ、見えぬ怪物の姿を模った。
それは身体が長く、頭が巨大、前足が複数本あった。爬虫類のような輪郭だった。
「……させたまえ》!!」
アヌエルの詠唱が終わった瞬間、機動部隊の面々の足元に魔法陣が現れた。
そして、彼らはそこに吸い込まれるように姿を消した。
<ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……>
唸り声だけが、森の中でこだまする。
*
「くそっ!!」
日が地平の向こうに行く直前、臨時基地のテントの中、キリヤが机を強くたたいた。
「4人が重傷、現場の指揮者として何たる不覚!!」
『そう自分を責めるな、副隊長……私も同じ気持ちだよ、ディスプレイから直接こっちに引っ張り込めればと、ずっと思ってたさ』
キリヤの目の前、ディスプレイには、溜息を吐くムラーツが映っていた。
『しかしだ、先の行方不明者の二の舞にならず、生きて帰れただけで、儲けものと思おうではないか』
「ですがっ!! 私は何もできなかった!! 我ながら情けない……!!」
『自虐しても状況は好転せんよ、ちょっとは冷静になってくれ、副隊長』
ムラーツの言葉の後、キリヤは顔をしかめて、頭を激しく掻いた。
「副隊長、森の周囲での魔法陣の敷設、完了しました」
ハイアットが、アーマッジ、ドクマの2人と入ってきた。キリヤは深く息を吐き、顔を張ると、3人の方に向いた。
「ご苦労、思ったよりは早くできたな」
「諜報部隊の協力もありましたからね、最中で襲撃されなくて良かったですよ」
そう言いながら、アーマッジは両腕を上げて背筋を伸ばす。
その時、誰かがアーマッジの背筋なぞった。
「ひあっ、ちょっとアヌエル隊員!!」
「ん、どうもお疲れみたいね、硬くなってるの、わかるわ」
アーマッジの反応を見て、アヌエルはクスリと笑った。
「アヌエル隊員、4人の容態はどうだ」
「命に別状はありません、安静にしていればすぐに治るでしょう……ジャケットがなかったら、きっと内臓ごと切り裂かれてたでしょうね」
「しかし、改めて恐ろしい敵だ……目に見えないどころか、魔力反応すら無い、しかも向こうは直接攻撃できる……今まで以上に規格外な敵だ」
キリヤは腕を組み、思案するように右往左往する。
「でもよう、確か、隊長とホシノちゃんの方は見えただろう? そいつはどういう事なんだ?」
『おそらくだが、式神の目を通してだからだろう』
ドクマの問いに、ディスプレイ越しにムラーツが答えた。
『ホシノ君の出自はシグレ国の陰陽師、我々の魔法科学とは全く異なる体系の技術を彼女は身に着けている、魔力とはまた異なる性質のものを見抜くを力があってもおかしくないだろう』
「となると、今回、ホシノ隊員の後方支援が要になるという事、ですね」
「そうは言っても、アーマッジ、4人もやられちまったし、ホシノちゃんの式神はほとんど攻撃できないじゃねえか、今日も式神2体やられちまったし」
『それでしたら!!』
画面の奥から、ホシノが駆け寄ってきた。
『私をそちらに向かわせてください!!』




