第8話 霊峰、突破せよ (Part1)
神、世界を創造し、進化させたもの。自然の神がこの世界の土地を創り、海を創り、生きるものを創った。慈愛の神が感情を与え、愛を与え、生きる者達に個性を生んだ。そして文明の神が知恵を授け、文明を育て、歴史を育てた。
そして、この世界に生きる人たちの多くが、神を畏敬している。数多の事物や現象の中に、神の存在や力を見出して、祈りをささげている、万事がうまくいくように、悪しき事が起きないように。その対象は、生命が静かに息づく森であったり、広大に波打つ海であったり、吹き荒れる風であったり、全てを洗い流す雨であったり、暗雲を切り裂く雷であったり、あるいは、遥か彼方の星であったり。
そして……。
「おいハイアット、見てみろよ、大分近づいてきたぜ」
ドクマ隊員が指したような、天上に届くようにそびえたつ山であったり。
*
ウルブ国ピルティ領には、エルレクーンと呼ばれる、標高1500に達する山がある。
周囲から山の中腹まで広葉樹林に覆われており、標高が高くなるほど、木々の背丈が低くなっている。中腹から山頂に近づくと、山肌がむき出しになっていき、薄く雪が積もっている箇所がちらほらと見えた。山頂はまるで巨大な皿のようであり、真ん中には池があった。山頂からは雲の上からの光景が眺められ、遠くの市街地や各地の城が小さく見えた。
数百年も昔の事、まだ種族間での争いが絶え間なかった時、この麓で人間と亜人の軍勢が衝突したことがあった。切りあい、刺しあい、互いの悲鳴があたりに響き渡り、互いの策が交差し、一進一退の攻防の最中、突然、地面が揺れ出した。立つこともままらない程の揺れのさなか、凄まじい音を立てて、エルレクーンは噴火した。山頂から灰と火山弾、火砕流が戦場に襲い掛かり、両軍勢の多くの兵士たちが巻き込まれ、両種族の軍勢は引き下がらざるを得ない事態となった。
人々はこの噴火を、醜い争いを続ける者達への神の鉄槌であると考え、たちまちエルレクーンは霊峰として崇め奉られる場所となった。
その日もまた、神へ祈りをささげるために、エルレクーンを登る一団がいた。
所々に金色の意匠が施された白いローブを着た者達が10数人いた。種族もバラバラな男女であり、その中でも特に多くの装飾をつけた数人が馬に乗っていた。彼らはそれぞれ、大樹とその後ろに上る太陽を模った、銀製の装身具を首から下げている。それは、三神の1柱である「自然の神」の象徴。
彼らの所属するウルブ国ピルティ領の教会は、三神教の中でも、特に「自然の神」を重んじる宗派であった。年に2度、エルレクーンの山を登り、太陽が最も高く上る時に、山頂から天に住まう神に向かって、この世の平穏と恵みを祈る儀式が執り行われる。教会にとっての一大行事である。
その中で、ある馬には、まだあどけなさの残る少女と、彼女を前に乗せて手綱を持っている体格の良い壮年の男性が乗っていた。一見すると親子のようだったが、少女は猫系亜人であり、男性は人間だった。さらに、少女は他と比べても特に意匠が目立ち、耳には木の葉型の飾りが光っていた。そして、少女の表情は、まるで感情が感じられなかった。
「……ねぇ、おじい」
少女が男性に声をかけた。
「む? ユウ様、どうされましたか?」
「……なんか、寒いの」
ユウという名の少女の声は随分と震えており、呼吸も妙に荒かった。
「もしや風邪を御引きになられたかな? おい、薬箱をだれか……」
「違うの、おじい、風邪じゃないの……声が聞こえるの……」
「また大地の声をお聞きに……しかし、この様子は……!? 皆の者、止まれ!!」
おじいと呼ばれた保護者の声を聞き、教会の一団はその歩みを止める。
「山が…すごく苦しんでるの……おなかが痛いって、泣いてる」
「エルレクーンが苦しんでおられる? それは一体……」
「中に……悪いものが入って……」
ユウの息と震えはドンドンと激しくなり、彼女の額からはとめどなく冷や汗が流れていた。その様子を周囲の人たちはざわつき始めた。
「ユウ様、如何なさいましたか!? ユウ様!?」
「みんな、ここを離れて……早く……!! 山が、もう……!!」
突然、耳を突き刺すような、甲高い音が彼らを襲った。
巡礼者たちは耳を抑えてその場に倒れ込み、馬は足を振り上げて暴れ出し、乗っていた者達を振り落とす。ユウも、男性にかばわれながら、馬上から落ちた。
「おじい、大丈夫……!?」
「なんのこれしき……しかし、この音は……」
おじいは心配そうにこちらを見るユウに、苦しみながらも微笑みかけた。
その時。
大きな音を立てて、地面が激しく揺れ始めた。謎の音、そしてこの地震への恐怖に教会の者達は皆、混乱した。神への祈り、神への謝罪、命乞い、絶叫、彼らの叫びはすべて地鳴りに吸い込まれていった。その揺れに、岩盤は耐えきれず、ひびが入り始めた。
「ユウ様、しっかりつかまってくだされ!! 絶対に守ってさしあげます!!」
激しい揺れの中、おじいはユウを強く抱きしめた。
「山が……大地が食べられる……悪しき者に……助けて……!!」
ユウは涙をこぼしながら、必死に声を上げた。
その瞬間だった。彼らの立っている地面が、まるで口を開けるように崩れ出した。
ユウ達はそれに飲み込まれ、闇の中へと落下していった。
そして、地震と岩盤の崩落が収まると同時に、奇怪な音も消えた。辺りは誰もいなくなり、静寂だけが漂っている。
「……かわいそうね」
ただ1人、黒づくめの女だけが、突き出た岩に座り、穏やかに笑っていた。




