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49.ベルンとリオ、やっぱり根っこは冒険者

 たっぷりと刺繍の施されたテールコートは、いつも着ている冒険者の服よりも遙かに重い。ベルンは襟元に指を入れて少しだけタイを緩めるように引っ張った。


「ベルン、折角着付けてもらったんですからあまり崩してはダメですよ」


 すぐにリオのツッコミが入る。かく言うリオも紺のスーツに控えめな刺繍が入ったものを着ている。今日はベルンの従者としてついてきたのだ。

 コツコツと靴音を廊下に響かせ、案内役の執事に先導されるまま屋敷内を進む。ほどなくして到着したのは広い応接室だった。

 出されたお茶を飲みながら待っていると、すぐに扉がノックされた。


 開いた扉の向こうから入ってきたのはアンドレアとアンナだ。そしてその後ろにもうひとり。


「ソフィア!」


 淡い紫色のふわりとしたドレスを纏ったソフィアが微笑んで、指先でドレスを摘み、美しい所作でカーテシーをした。優雅なたたずまいに思わず見惚れてしまう。


「ベルンさん、お久しぶりです」


 前に会った時よりもずっと上品で大人びたソフィアの微笑みがまぶしくて、ベルンは言葉も発せない。全く動かない彼をソフィアがいぶかしむ。


「ベルンさん?」

「あ、ああ――」


 それからベルンはすっと背筋を伸ばして立ち上がり、ソフィアの前へ進み出てそっと彼女の右手を取り、優雅な仕草で唇を落とした。


「ソフィア――とても綺麗だ」

「ふわっ?!」


 まるで貴公子然としたベルンの態度に、ソフィアがボン! と赤くなる。今まで見せていた淑女然とした微笑みが崩れ、いつものわたわたとしたソフィアが顔を覗かせた。


「ふ、不意打ちぃ……」

「だってよ、ソフィアがこんなすてきなレディになったんだから、俺だって貴公子っぽいところ見せないとよ。似合わねえだろうけどよ」


 一瞬で2人とも崩れたな、とリオとアンドレア夫妻が後ろで呆れている。

 けれどベルンはそれどころではないらしい。そのままソフィアをぎゅっと抱きしめる。


「あー……ソフィアだぁ」

「べ、ベルンさん! 皆が見てますよ!」

「そういやそうだった」


 そう言いながらもソフィアを離そうとしないベルンはぐるりと周囲を見回して言った。


「おまえら、久しぶりの逢瀬なんだからちっとは気を利かせろよ」

「そうじゃないでしょ! あんたたち、まだ結婚前なんだからね!」


 アンナのツッコミが炸裂し、ベルンはアンナの扇子で頭をひっぱたかれることになるのだった。





 とはいえ周囲の人間も鬼ではない。

 さすがにメイドつきではあるが、2人だけでお茶会の時間もしっかりもらえたのだった。


「ソフィア、勉強大変じゃないか?」

「大変だけどね、ベルンさんのためだからがんばれるの。きゃっ、恥ずかしいこと言っちゃった」

「んなことないぜ、嬉しいこと言ってくれるじゃないか」


 いちゃいちゃ。ここにリオがいたら口から砂糖を吐くような顔をしているだろう。無表情で壁際に控えているメイドさんはすごい。


「ダンスは割と得意なの。語学もまあまあ。でも歴史とか貴族関係の勉強はなかなか覚えられなくて」

「わかる、あれ面倒だよな」


 相づちをうちながら、会えなかった間のソフィアの話を聞くベルンはうれしそうだ。


「ねえ、ベルンさん。この間依頼を受けたんだって? 私も行きたかったなあ」

「今回はタイミングが合わなかったな。そのうち一緒に行こうぜ。詳しいことは話せないけどよ、いい場所をみつけたんだ」

「へえ、そうなのね。行ってみたいなあ」

「ちょっとした土産があるんだ。あとで渡すな」

「本当? 何だろう」

「見てのお楽しみだ」


 それが新発見ダンジョンのダンジョンボスであるレア中のレア魔獣ミスリルフェンリルの毛皮(効果・超防御)と知って腰を抜かすことになるとはソフィアは今のところわかっていない。

 わかっていないのでお土産は何かと楽しみにしつつ、今回の依頼の話をベルンにせがんだ。


「んー、ちょっと待って」


 ベルンは左手を軽く振って小さな声でつぶやいた。


「<サイレント>」


 防音結界を張った中で、未発見のダンジョンに潜った話を聞かせた。


「へえ、プリズムミンクがそんなにたくさんいる森に、ケルピーが遊ぶ湖……ステキだなあ」

「おう、なかなかいいところだったぜ」


 ただし生息している魔獣は討伐ランクがA以上のものが多いので、一般の人は彼らの感覚を信じてはいけない。


「見晴らしも良かったし、あそこで弁当食うのも悪くないな」

「わ、ピクニック! いいな、行きたいなあ」

「おう、そのうち連れてくからな。キングケルピーが住んでるけどよ、ついでに狩ってソフィアの弓を強化しちまおうか」

「キングケルピーって白い毛皮と黒い角のだよね? 確か」

「そうそう。角は水魔法強化とか幻惑の効果があるらしいじゃねえか。ぴったりだよな」


 和気藹々と話しているがちなみにキングケルピーはAランク、水魔法や認識阻害魔法、幻惑魔法などを多用してくる強敵だ。繰り返すが一般の人は彼らの感覚を信じてはいけない。





「ええ、ソフィアの勉強も順調よ。立ち居振る舞いと歴史なんかはまだまだ発展途上だけど、マナーやダンスはばっちり。結婚式の頃にはベルンの嫁として社交界デビュー出来ると思うわ」


 ねーソフィア、とアンナがソフィアを覗き込んだ。

 アンドレア夫妻と一緒に夕食を摂りつつ話に花が咲く。供されているのは色鮮やかで目にも美しいテリーヌ、アンナが美しい所作で一口大に切り分けて口に運んでいる。

 アンナは生粋の貴族だから、食事の作法もとても美しい。ソフィアはさすがにアンナには及ばないが、一緒に旅をしていた頃に比べれば格段に優雅に食事を進めている。可愛らしいドレスで着飾っていて、アンナと談笑している様子を見ると、まるで姉と妹のようだ。

 でもソフィアを取られてしまったみたいでベルンはちょっと面白くない。


「まあ落ち着けベルン。あとちょっとの辛抱じゃないか。なあ、ヴィットーリオ」


 アンドレアがベルンをからかって、リオに視線を向けた。リオはしれっとした顔で「そうですね」とナプキンで口を拭く。ちなみにマリアンヌも来ていて、アンナとソフィアの隣に座っていたりする。


 今回のプリズムミンクの依頼にはマリアンヌは同行しなかった。ライナー領で教育を受ける必要があったからだ。ベルンとリオが依頼に出かけている間がんばったご褒美に、今回同行できることになったのだ。マリアンヌも姉妹のような存在のソフィアに会うのは久しぶりで、めちゃくちゃ話に花が咲いていた。


 マリアンヌ自身も貴族教育をがんばっていたようだ。少々男勝りな元々の気性に貴族としての立ち居振る舞いが身についてきて、凜としたレディーに成長している。ちなみに勉強は苦手なようで、こちらはもう少し頑張らねばいけないらしい。

 ただし、バレリオ自ら教えている剣はめきめき腕を上げているらしい。


「それじゃあどのくらい上達したか、一度手合わせしましょうマリアンヌ」

「ああ、もちろんだリオ。私の方から頼もうと思っていた」


 マリアンヌが目をキラキラさせて返事をする。実際のところ、リオは師匠であるバレリオに鍛錬の手合わせで勝てるようになってきている。まあバレリオが何年も石化していてまだまだ勘が鈍り、筋肉が落ちているせいもあるのだが。

 バレリオが石化していたのと同じだけの時間を冒険者として第一線に立っていたのだ。リオもベルンもそれなりに経験を積み(というかS級にまで上り詰め)、現段階では剣聖として国内で3本の指に入ると言われているバレリオと実力が拮抗しているか、あるいは少し上回ってさえいるかもしれない。

 そんなリオと手合わせが出来ることに剣の道を歩んでいるマリアンヌが喜ばないわけがない。が、それを見ていたアンナが小さくため息を吐いた。


「マリアンヌ、貴女が貴族としての立ち居振る舞いを修めていることは知っているけれど、いざというときに気を抜かないようにね? 言葉遣い、戻ってるわよ」

「あっ」


 慌てて口に手を当てて慌てるマリアンヌに、ほのぼのと笑いが起こった。

 ひとしきり場が和んだところでアンドレアが聞いた。


「それにしてもベルン。今回はS級を維持するために依頼を受けたみたいだけど、今後はやっぱり辺境伯の仕事を手伝っていくんだろう? 君もヴィットーリオも冒険者しているのが好きみたいだから、ちょっと残念なんじゃないのかい?」


 フォークに刺した大振りの肉を口に運ぶのを止めてベルンが「んあ?」とアンドレアを見た。


「まるで俺たちが冒険者辞めるみたいなこと言うなよ。ちゃんとライセンスだって更新してきたしな」

「でも実際問題領地の仕事は山積みだろう?」

「それな。まあそうなんだけど、今回依頼をこなしてみて、やっぱり俺は、俺たちは冒険者稼業を気に入ってるってよくわかっちまったんだ。

 だから貴族としてのやらなきゃいけないことはこなすから冒険者も続けたいって話したら、親父がまだ冒険者中心にやってていいって言ってくれてな」


 バレリオはベルンに苦労を掛けたと思っているのか、必要な社交や仕事以外は今のところ「自分に任せろ」と言ってくれた。

 もちろんいつかは辺境伯を継ぐ立場なので、いつまでもそうしているわけにはいかないことはわかっている。少しずつ辺境伯の仕事を覚えなければならないから、今までほど好き勝手にやることは出来ないだろう。けれど冒険者をやっていていいとお墨付きをもらえたのは、ベルンとリオにとってはかなり、いや相当嬉しいことだった。


「そんなわけで、これからも俺たちの生活の中心は冒険者だな。相棒がいて、お互いの嫁も一緒に冒険に出られんだ。楽しまなきゃな。なあ、リオ、ソフィア、マリアンヌ」


 3人が三者三様にベルンの言葉を肯定するのをアンドレア夫妻が苦笑しながら見ている。


「ちょっと、いやかなりうらやましいね」

「あら。貴方もついていってみる?」

「そうしたいのは山々だけど、無理だろうね。死にそうな思いをする未来しか見えないよ」

「賢明ね」


 そういってアンナはくすくすと笑った。





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