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43.ベルン、タウンハウスを買おう

「やあ、よく来たねベルノルト」


 訪ねてきたベルンをアンドレアが歓迎する。が、どうも表情がニヤニヤしているのが気持ち悪い。

 ここはアンドレアの邸宅。今やリモネンド伯爵となったアンドレアは、実家であるリオーネ侯爵家の隣にある街・ティルゲルの領主となっている。ちなみに王都からもすぐだ。


 今回はソフィアの養子縁組についての用件、つまり貴族としての用件なので、さすがのベルンもリオも、貴族とその従者として恥ずかしくない装いをしている。少々窮屈そうなのは、自由気ままな冒険者スタイルからかっちりとした服装に替わったからというだけではない。実際、貴族としての服を仕立てる時間がなく、既製品で用立てて慌てて来たから、鍛え上げた2人の体格にちょうどいい服がなかったからなのだ。袖や胸が少々パツパツ気味に見える。


 リモネンド伯爵家の応接室でソファに向かい合って座り、家令が紅茶を配膳するのを待って口をつける。リオとマリアンヌ、シルビオは壁際に控えている。

 が、アンドレアがじっとベルンを見てくすくすと笑った。


「しっかし、君のそういう格好を見るのも新鮮だね。似合うじゃないか」

「心にもないことを……」

「とんでもない。心の底からそう思っているよ。ちゃんと貴族らしく見えるから安心しろよ」

「ならいいけどよぉ」

「ほら、化けの皮が剥がれてきてるぞ? もう少しがんばれよ」

「くっそ――アンドレア、この後時間あるか? たまには手合わせでもしねえか」

「冗談。文系の私とS級冒険者のベルンとではお話にならないだろう。遠慮しておくよ」


 そう言って紅茶にひとつ角砂糖を入れ、優雅な手つきで混ぜて一口飲んだ。


「さて、あまり貴族的なやりとりも窮屈だろう? そろそろ本題に入ろうじゃないか」

「ああ――リモネンド伯爵、此度は我が父バレリオ・ライナーよりの要請についてお時間を割いていただき感謝する。我が婚約者ソフィアの養子縁組について、お返事をいただけるだろうか」


 背筋を伸ばし、真っ直ぐにアンドレアを見てベルンがそう伝える。まだ手に持っていた紅茶のカップをテーブルに戻したアンドレアはにっこりと笑って見せた。


「やだね」

「え?」


 ストレートな返事に面食らう。ベルンの隣に座ったソフィアも、背後の壁際に控えていたリオとマリアンヌも、アンドレアからの拒絶にぎょっとする。


「だ、だめか」

「だって考えてみろ、ベルノルト。ソフィア嬢を私の養女にしたらおまえに『義父上』って呼ばれるんだぞ? 絶対にごめんだ」

「そんな理由?!」

「それに私の妻アンナとソフィア嬢は同世代だ。養女にしたという事実があったとしても、年の近い女性が出入りしてるとなると絶対に面白おかしく悪意を持って事実をねじ曲げる連中は出てくるだろう。新婚早々に養女という名目で妾を招き入れた、とか何とか」

「ぐ」


 確かにその可能性は捨てきれない。ベルンはぐ、と膝の上で握りしめた自分の拳を見て、その隣でやはり膝の上でカタカタと小さく震えるソフィアの拳が目に入った。

 ソフィアは平民だ。それも孤児院出でマリアンヌと二人で苦労して生きてきた人間だ。それが必要とはいえいきなり初対面の貴族当主と面会し、その上面と向かってはっきり拒否されてしまったのだ。心穏やかでいられるわけがない。


 ベルンはソフィアの手を取った。アンドレアの言い分は理解できるが、それでソフィアが傷つけられるのは本意ではない。有り体に言ってちょっとむかつく。


 そんなベルンの怒りに気がついたのだろう、アンドレアはベルンとソフィアに視線を走らせて慌てて態度を崩した。


「あ、ああ。ソフィア嬢、驚かせて申し訳ない。つい昔なじみのベルノルト相手だったから軽口を叩いてしまった――せっかくベルンに大切な女性が出来たんだ、その人に妙な噂を立てられてはまずいと思ってね。だからソフィア嬢の養子縁組は父に頼んだ」

「へ? 父って、リオーネ侯爵にか?」


 今まで怖い顔でアンドレアを睨んでいたベルンが拍子抜けしたような声を上げた。


「そう。つまりソフィア嬢は私の義妹になるというわけだな」

「――なるほどなあ。そういうことなら」

「父からも色よい返事をもらっている。おそらく舞踏会で顔合わせは出来るだろう? 本当は今日来たがっていたんだけど、どうしても外せない用があるらしくてね」

「了解した。父バレリオに話を通してからになるが、俺としては是非よろしくお願いしたい」

「承知した」


 二人は立ち上がり、がっしりと握手を交わした。


「まずは一段落だな、ソフィア」


 そういって振り向いたベルンが見たものは、放心してカタカタと震えているソフィアだった。


「そ、ソフィア?」

「あ~、ベルン。多分ソフィア、ついて行けてないんだと思う」


 壁際に控えていたマリアンヌが口を挟んだ。


「ついて行けてないって、何が」

「だからさ、元々伯爵家に養子に入るって聞かされてただろ? それだけでもかなりいっぱいいっぱいだったのに、伯爵家より更に位の高い侯爵家に養子縁組だろう? ソフィアは底辺の平民から一気に侯爵令嬢になっちゃうんだ、そりゃあ頭がぐるんぐるんになってもしょうがないだろ?」


 そりゃそうか、と室内にいる全員が頷いた。


 ソフィア本人は事態について行けていないが、ひとまずソフィアの養子縁組という大きな問題が片付きそうである。





 ティルゲルを出た四人とシルビオはまっすぐ王都ジノッキオへ戻った。

 次の日からは家探しをする予定だ。いつの間にかシルビオが情報を集めてくれていて、やはり以前所有していたライナー家のタウンハウスは既に売却されていたことがわかった。


「さすがにちょっと感慨深いものがありますね。幼い頃、何度か訪れたことがありますから」

「そうだな」


 リオとベルンはそういってほんの少しだけ昔を懐かしんだ。

 それほど思い入れがあったわけではないが、記憶にある場所が人の家になってしまったとなると、ちょっとした喪失感は味わってしまう。臙脂色の屋根、庭園の噴水やガゼボ。2人で走り回って怒られた廊下に飾られていた立派な甲冑なんかがふわりと脳裏に浮かんで懐かしい気持ちか沸き起こってくる。


 とはいえ感傷に浸っている暇はない。バレリオたちが王都に到着する前に新しくタウンハウスに出来る屋敷を探さねばならない。


 元々いくつか思い当たる屋敷はあった。ずっと王都で冒険者として活動していた二人だから、王都内の地理や事情には詳しいのだ。

 翌日物件を実際に見に行くことになり、朝から不動産屋の案内で一行は馬車で出かけた。


「なあベルン、それで新しいお屋敷を選ぶポイントはなんだ?」


 マリアンヌが聞いた。それにベルンが指折りながら「ポイント」を語る。


「ええっと、親父から言われたのは最低限の貴族の屋敷としての体裁が整っていること、広い鍛錬場があること、かな」

「ええ、大事ですね二つ目」

「やっぱリオは鍛錬バカだよな」


 ベルンがニヤニヤとリオにツッコミを入れていると、シルビオがしれっと口を挟んだ。


「ベルノルト様、それに加えて『鍛錬場が外部から見えないこと』と旦那様から条件を承っております」

「外から見えない? なんで」


 まあ防衛上は確かにそうか、と納得しかけるベルンに呆れたようなリオのツッコミが追撃してくる。


「はあ。その条件は、あんたが無闇矢鱈にいろんな属性魔法を使ってるところを他人に見つからないため、ですよ。何しろあんた、忍耐って言葉を知らないですからねえ」

「リオには言われたくねえ。俺、まだソフィアと清い関係だもん」

「――いい年した野郎が『もん』とか言わないでください」


 文句を言ってリオはぷいっと顔をそらしてしまった。ベルンの最後のツッコミ部分には反論できなかったようだ。

 そして同乗していたマリアンヌがいたたまれない表情のまま真っ赤になってしまったので、ベルンはひたすら謝り倒すのだった。





 結局5人は3軒の屋敷を見て回った。


「ビッパ地区の屋敷はなしだな。思ったより手狭だ」


 物件のリストを眺めながらベルンが言った。ビッパ地区は王城からも近く、タウンハウスとしてはいい物件だったのだが、こぢんまりとし過ぎていた。以前のこの屋敷の持ち主は貴族の老夫婦だったようで、便利のいいあたりに家を建てたが、もうそんなに広い家はいらないと貴族にしては規模の小さい屋敷にしたそうだ。もちろん立派なダイニングルームにリビングルーム、図書室に音楽室、絵画室と設備は充実しているものの、大柄な男性の多いライナー家としては、少々窮屈かもしれない。


「そうするとあとの2軒か。シルビオ、どう思う?」

「そうでございますね。ビッパ地区の物件はおっしゃる通りかと存じます。残るルフィナ地区とアイマーロ地区の物件は、いずれも建物自体は申し分ないのですが、旦那様ご希望の鍛錬場が一長一短でございますね。ルフィナ地区は鍛錬場は広いですが、目隠しが心許ないです。アイマーロ地区の屋敷の鍛錬場はルフィナ地区のものより手狭ではありますが、鍛錬場の周囲が森になっておりますので、目隠しという意味では安心できますね。もっともルフィナ地区の方も目隠しを作れば問題ないとは思いますが」


 今回シルビオがベルンたちに同行した一番の目的は、タウンハウスとして購入する屋敷の見極めのためだ。さすがにバレリオもベルンとリオにこんな大きな買い物を任せるのは不安だったらしい。


「うーん、どう思う? リオ」

「――アイマーロ地区ですかね」

「その理由は?」

「目隠しになっている森ですが、屋敷の裏手に広大に広がっています。なら、少しぐらい拡張しても大丈夫じゃないかと思うんですが。あと、そちら側に住んでいる人がいないのも大きいですね」

「拡張ですか?」


 リオの提案にシルビオが不思議そうな顔をした。そしてもう一度地図に視線を向け、アイマーロ地区の屋敷裏に広がる森を指でずっとたどる。


「まあ確かにヴィットーリオ君の言うとおりだが、森を切り拓くとなると大変だぞ? 木を切り倒し、根を抜き、石を取り除いて整地して――」

「いいアイデアじゃねえか。シルビオ、そのあたりは俺が魔法でちゃちゃっとやるから人件費とかの心配はいらねえよ。ただ切り倒した木とかの処理は必要だけどよ」


 ベルンの言葉に地図をたどっていたシルビオの手が止まる。


「――ベルノルト様は相変わらずみたいだね、ヴィットーリオ君」

「まあ通常運行です」

「そして君もすっかりそれに慣れてしまってるなあ」


 はあ、とシルビオが肩を落とした。


「し、シルビオさん?」

「やっぱりバレリオ様の息子だよ。腕輪の力をホイホイ使っちゃって危機感ないあたりとか」


 わざとらしいほどに大きなため息の音がシルビオの口から漏れた。それを見ていたソフィアとマリアンヌがくすりと笑った。




 そうして話し合いの末、アイマーロ地区にある屋敷を購入することに決めた。アイマーロ地区は王城から少し離れるが、丘陵地帯になっており、彼らが購入を決めた屋敷は外から見ると緑の森をバックに蜂蜜色の石を使った美しい館がそびえ立って見えるだろう。

 購入手続きはシルビオがやってくると出かけたので、ベルンたちは宿に戻って次にするべきことを相談した。


「次はあれか。行きたくねえ」

「え、ベルンさん、行かないとだめですよ?」

「わぁーってるよ、行くけどさ、なあリオ」

「まあ仕方ないですね。俺よりあんたがげっそりしてるのが意味わかりません。俺は元々平民、あんたは貴族の出自じゃないですか。だってのに、正装を準備するのを俺より嫌がるとかおかしいでしょ」


 そう、次に行くべきはブティックだ。何しろ呼ばれた先は王城、ちゃんとした服装で行くのは当然だろう。アンドレアのところへ行くために着たものとは格が違うものを用意しなければいけない。ベルンはそんな窮屈な正装をしたくないのだった。

 テーブルに突っ伏したベルンを見ていたソフィアの脇腹をマリアンヌがちょんちょん、とつついた。目が合うとマリアンヌはこそっとベルンを指さした。何とかしろということだろう。


「ベルンさん。私、ベルンさんの正装みたいなぁ」

「――絶対似合わねえよ」

「そんなことないよ、絶対格好いいもん。それで、ドレス着た私と一緒に行こうよ」

「ソフィアのドレスかぁ」


 以前オイーリアで見たドレス姿、昨日アンドレアのところへ行くときに見たドレス姿。どちらも可愛らしかったが、どちらも彼女のために仕立てたものではなかった。今回は彼女のために仕立てるのだ。

 確かにそれは見たい。ぜひ見たい。自分の選んだものでソフィアを飾り立てるのも悪くない。


「わーかった! よし、行こうソフィア」

「はいっ! ベルンさん」


 行こうぜ、とリオとマリアンヌに声を掛け、ベルンはソフィアの肩を抱くようにして部屋を出て行った。


「ソフィア、ベルンの扱いがうまくなったなあ」


 マリアンヌがぽつりとこぼした言葉にリオが苦笑する。

 そしてベルンたちの後を追いかけて宿屋の部屋を出るのだった。



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