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39.バレリオ、石化から目覚める

  「親父で試そう、ってあんた、言い方ってものが」


 とリオに突っ込まれつつ、ベルンの意思を受けて最初に石化解除薬を使うのはベルンの父バレリオに決まった。バレリオの回復具合を観察してから、他の人間の石化解除を進めることにする。


 男手が集められ、ベルンとともに石化したバレリオをホールの隣の小部屋に運び込む。他の使用人は石化が解除された後のために体を拭く布や簡単に着られるゆったりとした服を用意したり、石化解除して復活した後に衰弱しているであろう身体に与える食事や飲料水を準備したりと大わらわだ。

 とはいえ、もともと石化解除を進めることになっていたため必要な人手や物品はあらかじめフィオレとマグダレッタの方で準備していたらしい。復活した後の健康チェックをするための医師も既に控えている。


「バレリオ殿が無事に石化解除できたとして、一度に全員へ投薬することはできないよ。だってさ、これだけの人数だよ? いっぺんに解除しちゃったら寝床の数だって医者の数だって足りやしないからね。後の方になる人にゃ申し訳ないけれど、1日に投薬できるのは一家族、二家族くらいだろうね」


 マグダレッタの言葉に全員が頷いた。


 浴槽に水魔法で水を張り終えたフィオレが、横に置かれていた黄緑色に発光する液体を慎重に測って浴槽へと注ぎ入れた。濃縮された石化解除薬の原液で、これは水で薄めて使用するらしい。入れた量はせいぜい子供用のコップに1杯程度、それを見てベルンが首をかしげる。


「それっぽっちで大丈夫なのか?」

「魔法で作った水と原液の分量は、きっちり決まった割合を入れないとだめなんです。これ以上入れても解除の時間が早くなるわけでもなくて、むしろ歯とか爪とかまで溶けちゃいますからね」

「お、おう」


 浴槽内の薬液をオールでかき回しながらフィオレが答えた。どこか魔女っぽい。誰からともなく「怖え」とつぶやきが漏れた。


「大丈夫ですよ、どんな薬も使い過ぎれば毒になるでしょう? それと同じ事です。さあ、準備ができました。石化解除を始めましょう」


 シーツの四隅に丈夫なロープを結びつけたものに石化したバレリオを寝かせ、浴槽のまわりに組み立てた櫓に取り付けた滑車へロープを通して数名がかりでシーツごとバレリオを引っ張り上げた。そこからゆっくりと浴槽内へと下ろしていく。

 浴槽内の薬液は満タンというわけではないが、バレリオがしっかりと浸かる量になっている。

 それを見てリオがぽつりと聞いた。


「これ、全身が浸からないと効果がないんですか?」

「いんや、まあ七割方浸かってれば問題ないだろ。確かに全身浸かっている方が効果は高いがね。何でだい?」


 マグダレッタが不思議そうに聞き返した。リオは表情を変えずに答える。


「石化解除されてすぐには動けないだろうなと思いまして。このまま石化解除されると薬液の中で呼吸ができなくて溺れないですか?」


 一瞬の沈黙の後、大慌てで浴槽から薬液をかき出し、バレリオの顔が水面から出る程度に調節された。



 全員が固唾をのんで見守る中じわじわと時が経っていく。薬液に浸かったバレリオは一時ほどたった今もあまり変化は見られず石化したままだ。だが、彼の体からはところどころ細かな泡がしゅわしゅわと立ち上っている。バレリオは片手で剣を構えた状態で石化しており、薬液から顔と右腕が出ている。


「どのくらい時間がかかるもんなんだ?」


 じっとバレリオの様子を観察するフィオレにベルンが問いかける。


「石化した動物で試したとき、小鳥は10分ほど、犬は20分ほどかかりました。かかる時間が体積に依るのだとすると、まだまだ時間がかかりそうですね」

「そっか――師匠、少し休んできたらどうだ? 疲れてんだろ」

「何を言う。ちぃとも疲れとらん」

「無理すんなって」


 老人扱いするな、と文句を言うアルデガルドだが、少し腰が痛そうだ。そばに控えていた兵士に椅子を持ってくるよう話していると、バチャン! と大きな水音がした。

 指示をしていたベルンが振り向くと、全員が驚いた顔で浴槽を見ている。


「剣が――」


 さっきまでバレリオが握っていた剣がない。腕は上がったままだが、その手に握られていたはずの剣は落下し、バレリオの胸の上に落ちている。


「効果が出てきています! 剣を持つ手が緩んだのでしょう」


 フィオレが叫んで浴槽を覗き込んだ。続くようにベルンもリオもアルデガルドも駆け寄る。全員の見ている中でバレリオの腕がゆっくりとその色を取り戻していく。上げていた腕が支える力をなくし、水面を叩くようにして落ちる。

 全身を覆っていた石の質感はどんどん抜けていって、少し青白い肌色の瞼がゆっくりと開く。


「う……」

「父上!」


 ベルンががばっと身を乗り出して呼びかけた。バレリオの目がゆっくりとベルンへ向けられ、ゆっくりと瞬きをする。


「――誰だ?」

「俺です、ベルノルト」

「――ベル……ノルト? 老けたか?」

「ひでえ、成長したって言って欲しかった」




 そこからバタバタと慌ただしくなった。バレリオは薬液から引き上げられた後、医師による健康状態の検査をされ、衰弱はしているが重篤な状態ではないことが確認された。今までになかった事態なので、しばらくは療養しなければならないだろう。

 次の石化解除は数日バレリオの様子を見てからということになった。



「そうか、もう10年も経っていたのか」


 ベッドで横になったバレリオが難しい顔で大きく息をついた。枕元に座ったベルンは「おう」と相づちを打ちかけて「はい」と言い直す。

 貴族時代の話し方を思い出しつつ今までの話をゆっくりと話して聞かせた。

 平民の冒険者となってリオと二人で旅をしていたこと、冒険の内容や市井に出て気づいたいろいろなことなどなど。

 バレリオはベルンの話をゆっくりと聞いていたが、やがて「そうか」ともう一度息を吐いた。


「苦労をかけた、といいたいところだが、それはおまえに失礼な話だな。よくここまで頑張ってきた。さすがは自慢の息子だ」

「父上――」

「とはいえ小さい頃から山猿のような落ち着きのなさだとは思っていたがな。しかし大人にはなったようだが、冒険者とはいえそのもっさりした風体は何とかならんのか。女にもてないぞ」

「ひでえ、そんなふうに思ってたのかよ――思ってたんですか。でも心配無用ですよ、俺、ついこの間結婚しましたから」

「は? 結婚? 聞いとらんぞ」

「そりゃあ今初めてお話しましたから」

「それで、相手は」

「冒険者仲間のソフィアといいます」

「ほう、ソフィアさんというのか。会えるか?」

「もちろん。今呼んできま――」


 ベルンが椅子から腰を上げようとした時、にわかに部屋の外が騒がしくなった。

 そしてすぐにバンッ! と盛大に扉が開かれた。


「バレリオっ!」

「ダメですよ陛下! 病人の部屋ですよ!」


 お付きの騎士に窘められつつ突如現れた王にバレリオもベルンも目を丸くする。が、バレリオは目を見張りながらも相手が誰なのかすぐに分かったようだ。


「殿下? シリウス殿下?」

「今は私が王だよ。バレリオ――よくぞ生きていてくれた」


 ベルンはさっと立ち上がりシリウスに席を譲り、片膝を立てて跪いた。シリウスはそれに「よい。立て」と声をかけて椅子に座った。


「即位なされたか。おそらく遅ればせながらだろうが、お祝い申し上げる。このような姿で大変申し訳ございません」

「構わない。というか、お忍びなんだからもっとフランクに話せ」

「そうか、なら遠慮なく」


 バレリオはそう言ってじっとシリウスの顔を見た。


「老けたなシリウス」

「歳を重ねたと言え。おまえは若いまんまじゃないか、ずるいぞ」


 そう、バレリオは石化した10年前のままの容姿なのだ。バレリオの実年齢は45歳、石化されたのは10年前だから35歳当時のまま蘇った。対するシリウスは現在37歳。10年前の27歳から比べると、だいぶナイスミドルになっている。

 つまりバレリオから見れば、年下だった男が突然同年代になってしまったのだ。決して間違った感想ではない。とはいえ国王陛下に対して甚だしく不遜ではあるのだが。


 喧嘩腰な会話だが、その中に安堵の色が見える。

 ベルンは二人のやりとりをほっこりした気持ちで眺めていた。


 だが、しばらくしてシリウスが表情を引き締めて声を落とす。


「ところでだな、ここからは完全に友人シリウスとしての話だ――実は息子に縁談が来てな」

「リゲル殿下か。あの頃はまだ2歳か3歳でいらしたな。ということはもう12、3歳になられたか」

「13だ。そろそろ婚約者を決めておかしくない歳ではあるんだがな、その筆頭候補がアヴィータ伯爵令嬢なんだ」

「アヴィータ……あいつか。しかし、リゲル殿下と令嬢の相性が良ければそれはそれで」

「リゲルは令嬢を蛇蝎のごとく嫌っている。『美人だけど人の話を聞かないワガママ令嬢』だそうだ」


 シリウスはそこからアヴィータ伯爵令嬢の名前が挙がっている経緯を話した。


「全属性持ちか……」

「だがな、少し前までそんな話はこれっぽっちも聞こえてこなかったんだ。本当にそんなすごい娘がいるなら、あのアヴィータ伯爵が自慢して回らないのもおかしくないか?」

「まあそれはそうだな。だが、なぜそれを俺に話すんだ」


 シリウスがバレリオの言葉にニヤッと笑う。友人として来たといいつつ、為政者の腹黒さを匂わせる笑みだ。


「学園では魔法はからっきしだったのに、領地の魔物討伐では自在に複数属性の魔法を使っていた領主の噂を耳にしてな」

「――」

「ああ、勘違いするな。友人として来たと言っただろう? ただ教えて欲しいだけなんだ。誰でも魔法が使えるようになる方法があるのかどうか。それを聞いても誰にも言わないこと、手出しをしないことを誓おう」


 まあ王としては欲しいところだが、と肩をすくめてみせる。バレリオはむすっと考え込み、ふいっと目をそらした。


「俺は魔法は使えん。多少の魔力を持ってはいるが、生身では自分の身体強化ができる程度だ――なあ、ベルノル卜」


 少し下がって壁際に控えていたベルンは、突然話を振られて「えっ、俺?」と素が出てしまった。バレリオはベルンを見て「任せた」と言わんばかりに頷いている。

 全属性を使える腕輪は、10年前にバレリオからベルンが預かったものだが、今はベルンが使用者となっている。だからそれについて話すかどうかをベルンに託したのだろう。


(まあ、取られそうになったらソフィアを連れて逃げちまえばいいか)


 あっさり考えて、ベルンはシリウスに腕輪のことを話した。オイーリアまでの旅、追手の話、偽の腕輪を奪われた話もかいつまんで話す。ただ、腕輪の製作者が誰でどこにいるのかは頑なに話さなかった。


「ふむ、つまりその追手はアヴィータ伯爵の手の者で、令嬢が偽の腕輪をつけている可能性がある、と」

「可能性はかなり高いと思います」

「そうか、いい話が聞けた。ありがとう」


 さてそろそろお暇するか、とシリウスが立ち上がる。ベルンは軽く礼を取ってシリウスのために扉を開ける。


 すると扉のところで立ち止まったシリウスが振り返った。


「そうそう、バレリオ。お前んち、貴族に復帰させておいたからまた領主業を頼むぞ。もちろんベルノルトもな」

「へ?」


 驚いている隙にシリウスは手をひらひらと振って、部屋の外に控えていた護衛の騎士と共に去っていってしまった。


 さっきよりさらに為政者らしい腹黒い笑みを残して。


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