38.ベルン、「よし、親父で試そう」
石化解除薬ができたという知らせを聞いて、アルデガルドとともにマグダレッタとフィオレのいる【塔】へと赴こうとしたが、アルデガルドの測定により、マリアンヌとソフィアには魔法市国に入国できるほどの魔力がないことがわかった。
ロームに向かう前に迎えに来てくれればいいと、ソフィアとマリアンヌがフォレストラ公爵邸で待つことを提案したが、リオは断固として首を縦に振らないでいた。いまもマリアンヌのそばを離れようとしないリオの顔をマリアンヌが面倒くさいという表情で見上げる。
「リオ、なぁ。もう私は逃げたりしない。だから私とソフィアを置いて【塔】に行ってきてくれていいんだぞ」
「却下です」
「そんなに信用ならないか? アルデガルド様もベルンもほら、困っているし」
「別に俺がいなくても良いのではありませんか? 俺はこちらでマリアンヌとソフィアの護衛として残ります」
「まあ、それでもいいっちゃいーけどよぉ」
平行線の話し合いに困惑顔のベルンが腕を組んで首を傾げた。
「心配なのはわかるけど、マリアンヌの貧血は治ったんだろ? あんまりベタベタしすぎるとマリアンヌに嫌われるぞお前」
ベルンの言葉にリオがショックを受け、どんよりとしたオーラを出し始めたところに、どこかに連絡を取っていたアルデガルドがヒョイっと戻ってきた。
「心配いらん。マグダレッタとフィオレとはライナー領の領主邸で落ち合うことになった。あそこはいま代官と派遣された武官が詰めておるくらいじゃからな。それならマリアンヌちゃんと離れんで済むぞリオ」
「なんだかんだリオには甘いのな、じーさん」
「曾孫じゃからな。それを差し引いても、『ライナー領の全ては、王の許可がない限りは持ち出しを禁ずる』という王命があるから、ライナー領で話をするのは向こうにも都合がいいらしい。準備ができたら《飛ぶ》ぞ」
そして慌ただしく出立の準備を終えた四人は、ヴィオレッタとギルミア、リュカたちとしばしの別れの挨拶をして、アルデガルドの転移魔法でローム国ライナー領へと転移した。
かつて賑わいを見せていたライナーの領主街チェステは、スタンピードの被害に遭った時のまま、人も街も時を止めたように静かだった。
警備の交代なのか、王国軍の鎧姿の軍人が数人ずつ行き合うのが目に入った。道を塞ぐ瓦礫は片付けられているが、崩れた建物はスタンピードに遭った日のままにされている。住人のいない街に復興のための予算が割かれないのは当然だった。本来なら領主が先陣きって復興すべきなのだが、肝心の領主一家もいないのだから。
爵位の継承権がなく、幼い身で平民になったベルンにはどうしようもない現実がそこにある。失った家族や、将来父を支え、いずれ自分も領民を守っていくのだと誓った想いまでがこの場所で静かに眠っているように思えて、やるせなさに俯いた。ソフィアがそっとベルンの腕に手を伸ばした。ベルンはソフィアに気遣われたのが分かり、その手をそっと握り、ぎこちなく微笑んだ。
ともに景色を眺めていたアルデガルドが口を開く。
「魔物の森からチェステまではこんな感じじゃが、スタンピードの被害が軽かった村もあるでな、そこは今派遣されとる代官が領主に代わって運営しとるようだ。さ、マグダレッタたちが待っておるから行くぞ。待たせるとうるさいんじゃあやつは」
先に領主城に入って行こうとするアルデガルドの背中を一行は追いかけた。
ベルンの生まれ育った領主城は、領地の中央、隣国バッサーニとの国境にまたがる魔物の森を背後に小高い丘の上にある無骨な砦のような城だ。領都チェステは魔物の森とは反対側、王都側に向けて扇形に広がっている。スタンピードで湧き出した魔物は丘を越え、領主城内を蹂躙してチェステに流れ込み、領軍、冒険者たちに数を減らされながらアーロスの森へと抜けていったのではないかと考えられていた。
いちばん被害が酷かった領主城は、役所として機能させるためかあちこち修繕されていた。
アルデガルドとともに城内に入ると、代官の補佐をしている文官が書類を抱えて廊下を歩いていたり、帯剣した武官が中庭で鍛錬をしている姿がみえる。アルデガルドに連れて行かれた執務室では、整えられた口髭につい目がいってしまう中年の男に出迎えられた。
「ようこそアルデガルド様。そしてベルノルト君、大きくなったな。あー、赤ん坊の頃に一度会ってはいるのだが覚えてはいないだろうな。バレリオ……君の父の友人で、王宮会計士の資格を持ち現在ライナー領主代理を任されているヴェリテだ。はじめまして」
差し出された手をベルンは握った。文官らしい柔らかい手を持つヴェリテはベルンの手をしっかりと握り返す。それからベルンの背後に目をやる。
「君が未成年ゆえにライナーの後継となれず、平民の冒険者となったことは陛下やアルデガルド様から聞いている。心配していたのだがいい仲間に恵まれて過ごしているようで安心したよ。バレリオの事は本当に残念だった。君の父は在学中は敵なしでな、貴族学校卒業後も先代の存命中は冒険者として名を馳せ、領主を継いだ後も国を守るために尽力してくれたすごい男だったんだよ。魔法の才能はなかったけど、国で三本の指に入るほどの剣豪だった」
懐かしそうに語るヴェリテの顔は、どこか誇らしげで、ベルンは面映くなってくる。
「僕は頭でっかちで剣はおろか、運動も苦手だったが、バレリオは座学が苦手でね。クククッ、よく二人で助け合ったもんだよ」
「父と仲が良かったんですね」
「そう! シリウス陛下も同時期に在学していたんだが、剣術の鍛錬で、みなが当時のまだ王太子だったシリウス殿下に遠慮して勝ちを譲っていたのに、バレリオときたら! 手を抜くのは失礼だと遠慮なしに殿下に打ち込んでいきやがった!」
「目に浮かぶようです」
自分に貴族のふるまいについて、口うるさく注意してきた父親の、若かりし頃の傍若無人さにたしかな血のつながりを感じる。ベルンも同じ立場なら、手心を加える方が失礼だと考えそうだ。
と同時に、父と仲の良い人が、ライナーの領主代理をしてくれていることを嬉しく思った。
「貴族学校といえば、現在、王太子殿下が貴族学校に在学なされているのはベルノルト君は知っているかな」
「あー、リゲル殿下とおっしゃいましたか。ええ、平民の冒険者稼業が長いとはいえ、そのくらいの情報は存じ上げております」
ベルンの答えに満足そうに頷くと、ヴェリテは声をひそめた。
「アヴィータ伯爵に気をつけなさい」
その一言にベルンは眉をひそめた。
「現在リゲル殿下の花嫁探しが始まっている。名だたる名家の令嬢を差し置いて、アヴィータ伯爵令嬢が有力視されているんだが、その理由がな、アヴィータ伯爵令嬢は全属性の魔法を操れるかららしい」
「全属性?」
そこにいた皆が驚いた顔を満足そうに見ると、ヴェリテは皆に聞こえる声量での内緒話を続けた。
「ああ、最初は誰もが王太子妃候補として抜きん出たいアヴィータ伯爵が嘘八百を言い出したと本気にしなかったんだ。アヴィータ伯爵家からはこれまで【塔】の魔法使いを輩出したこともないからね。親が魔法使いだからといって、子に魔力がない場合もあるにはあるが、やはり魔法使いの出やすい家系というものがあるようなんだ。しかも全属性だ。これまでそれを証明しようともしなかったのに、今度それを披露してみせると言い出している。それで僕はふと思い出したことがある。バレリオも貴族学校では魔法はからっきしだったのに、領地の魔物討伐では多属性の魔法を使いこなしていたんだ。領地に避暑に誘われるくらいにバレリオと仲の良かった僕くらいしかそれは知らないだろうけど、残念なことに現アヴィータ伯爵は僕らと同学年でね。なにかからくりがあるとすれば、いま王宮でもちきりの君の噂から何かを察するものが現れるかもしれない」
アルデガルドが、ゴホンと咳払いをした。ヴェリテはハッとして口をつぐむ。
「あー、ヴェリテ殿。積もる話はひとまずそのくらいにしてよいかの。話の腰を折るのは失礼じゃったとは思うが、マグダレッタとフィオレが待っておるでな」
「ええ、もちろんです」
案内を、と言ったヴェリテの申し出を丁重に断ってアルデガルドを先頭にベルンたちは、東の離れへと向かった。
「遅いよ、いったい何をしていたんだい」
東の離れに入った途端に、待ち構えていたマグダレッタはアルデガルドに向かって吠えた。
「すまんすまん、ヴェリテ殿の歓迎が篤くての」
ふん、とマグダレッタは唇を尖らせた。そしてベルンとリオに向かって笑顔を見せた。
「待たせたね。フィオレが向こうで実験の準備をしているんだ。さっさと行くよ」
マグダレッタの案内に付いて行く。辺境ゆえ、夜会などはあまり主催しなかったライナー家だが、そういった用途に使われるホールには、運び込まれた石化した人間たちが横たえられていた。当時の驚きの表情や、恐怖に満ちた顔のまま石化しているのが痛ましい。表情を歪めて見ていたベルンにマグダレッタが言った。
「この辺はライナー領の騎士や兵などライナー家に雇われていた使用人だ。さすがに全部は並べられないから、向こうの小ホールにも騎士の身なりのした者らがいたな。石化させられた領民は敷地内の礼拝堂と騎士たちの宿舎、あとは仮の倉庫を建てて安置してある、とヴェリテが言っていた。動物たちは騒動の時に逃げ出したり、死んだものも多くてそんなに数がない。騎士たちの馬が多数石化させられていたんだが、家畜あたりは石化解除薬を作るときの生体実験に使わせてもらった。馬や犬は数匹試させてもらったが、世話をするものが必要になるからな、ほとんどは石化解除していない。馬房と仮設倉庫に分けて入れてあるそうだ」
「そ、そうか」
ホールに並べられた石化した人間たちを、確かめるように見ながら、あいだを歩くベルンに、マグダレッタは言った。
「バレリオ殿とフレデリカ夫人は、元の寝室で寝かされているよ」
それを聞いて、ほっと胸を撫で下ろしたベルンの様子に、マグダレッタは小さく微笑んだ。
「ヴェリテがどうしてもそうしてやりたいって言ってね。無事だった内向きの使用人たちは希望を聞いて他家にきちんと雇われているし、生きていた領民は他領の親戚を頼りたい者はそう手続きし、ライナー領に留まることを選択した者は、街での暮らしや村を捨ててチェステと魔獣の森から離れた村に移り住んでいる。さ、こっちだ」
案内されるままに、ホールを突っ切って、隣りの小部屋の前に着くと、マグダレッタはドアを開けた。そっと立てた人差し指を唇に当てる。
「ライナー領から持ち出し禁止の上に、そもそも未発表の極秘の実験だからね。とはいえ大型動物たちは屋外で試させてもらったが。人間は室内で、なるべく人目に付かない形で石化解除しようと思って、ホールの隣の部屋を借りた。ここは夜会などの時に使用人たちが準備に使う部屋だね」
食器棚や流し台、他にも細々と来客の要望に応えられるように整えられた小部屋の真ん中に大きめの浴槽が設置されていた。その横でフィオレは杖をかざして浴槽に水を満たしていた。フィオレの横には大きな瓶が置いてあり、やや発光してみえる黄緑色の液体が入っている。
フィオレは入ってきた師匠とベルンたちに気付いて、水魔法を止めると小走りに近づいてきた。
「ご無沙汰してます、ベルンさん、リオさん。そしてお待たせしました。石化解除薬ができましたよ」
じゃん! と黄緑色の液体で満たされた瓶を手のひらで示しながら自信ありげににっこり笑ったフィオレの表情を見て、ベルンはぐっと喉を詰まらせたような音を出して俯いた。肩が細かく震えている。
リオがぽんとベルンの背中を叩く。
ベルンは細く長く息を吐くと、顔をあげてフィオレに礼を言った。その目が赤くなっているのに、その場の誰もが気付かないフリをする。
「フィオレ、ありがとう」
「どういたしまして、と言いたいところですが、ひとつお伝えしなくてはならないことがあります」
真剣な表情のフィオレが話を切り出した。
「ライナー領の石化した動物による実験では、石化は完璧に解けました。その後も後遺症もなく元気です。しかし、人間を使った実験は陛下の許可が下りませんでした。ロームでは一番重い犯罪奴隷でもある程度の人権は保障されているので、本人の同意がない人体実験はさせることができません。それはご存知ですよね?」
「あー、薬物の人体実験がどうのってのは知らねえが、人権がある程度保障されてて、人身売買は認められてねぇってのは知ってる」
ベルンの返事にフィオレは肯定の意味をこめてこっくりと頷く。
「そうです。奴隷として本人の意思を無視した人身売買が違法なことの延長線上に、薬物実験の被験体をやらせることも入っているんです。それでですね……陛下は、治療として石化解除薬を人間に使うことは認めてくださっているのですが、その順番はベルンさんに一任するそうです」
「順番…」
「ええ、ご家族からやるのか。領民の方からやるのか。人間には試していないので、後遺症もなく完璧に石化を解くことが実証されていない薬をです」
ベルンは絶句した。もちろん家族の石化を完璧に解きたい。けれど、両親の前に誰で効果を試すというのか。領民でそれを試すのは違う気がする。領民あってのライナー領。ならば……。
「あー、くそっ。なぁ俺がちょっくらダンジョンに潜って石化してくるってわけにはいかねぇよな」
「なにを言ってるんですかベルン」
吠えたベルンにリオが冷ややかにツッコむ。
「旦那様と奥様の石化がもし解けなかったとしても、俺はアンタまで石化させるわけにはいかないんですよ」
「心情は理解しますが、時間的にも現実的ではありませんね」
フィオレもまた冷静に否定するので、ベルンは少し頭が冷えた。
「だよなぁ、よし! 領主は領民を守るために前に出るもんだ。領主のいない土地に領民だけいてもみんなが困るしな。……親父で試そう」




