32.ベルンとリオ、ソフィアの嫉妬とマリアンヌの戸惑い
「お待ちくださいヴィオレッタ様」
ようやく硬直が解けたリオは慌ててヴィオレッタの後を追った。呼びかけるリオの声は届いているはずなのに、ヴィオレッタは侍女のネネットとともに歩みを止めないでいた。
「お祖母様お待ちください」
改めて呼び止めると、ヴィオレッタはようやく足を止めて、にっこりと微笑んで振り返る。
「何かしら。本来結婚式には一年から二年は準備に必要なのよ。それなのに貴方たちは季節ひとつ分しかオイーリアに滞在しないつもりでしょう? 急がなくては間に合わないわ」
「奥様のおっしゃる通りです。公爵家ともなれば家格にあったドレスをオーダーし、善き日を選んで教会を押さえ、五大公爵家には招待状を送らねばなりませんもの。披露宴に相応しい食材も今から商人に集めさせても間に合うかどうか」
頬に手を当てて困ったわと言わんばかりのヴィオレッタに、同意いたしますとばかりにネネットも頷いた。
リオは頭痛がするように眉間に皺を寄せて顔を顰めた。
「そのような盛大な結婚式は俺たちには必要ありませんよ」
「あら、殿方はそういうけれど、結婚式は乙女の憧れなのよ。マリアンヌを喜ばせたくないのかしら?」
「マリアンヌも俺も平民です。貴族の結婚式は分不相応です」
「なら、マリアンヌの養子先も考えなくてはね」
「そういう意味で言ったのではありませんよ。俺たちはその、こじんまりとした式でいいのです。恥ずかしがり屋のマリアンヌが緊張せずに、二人で愛を誓える場所であれば、司教と俺とマリアンヌだけで誓いを立てても良いのです。お披露目も必要ありません。むしろ新妻となったマリアンヌを大勢の男の不躾な目に晒したくない……!」
マリアンヌを想いながら、理想的な式のイメージを伝えようと必死に言い募るリオを、ヴィオレッタとネネットは微笑ましく眺める。
「ンフフ、貴方の気持ちは分かったわ」
「ウフフ、リオ様がマリアンヌ様を大切になさっていることがようく分かりましたとも」
ねえ、とヴィオレッタとネネットが顔を見合わせて軽やかに笑った。リオは揶揄われて頬が熱くなった。
「マリアンヌの意見も聞きますけれども、そうね、ここ数日マリアンヌを見ていれば、あの子は貴族の結婚式をしたいとは言わない気がするわ。小さめの教会なら良いのね。貴方たちのことを知らないオイーリア貴族を招待するのも諦めましょう。するなら貴方が我が公爵家の者だというお披露目を先にしなくてはいけなかったわ。私としたことがうっかりしていたわね」
さらりととんでもないことをヴィオレッタが口にしたが、リオはあえて深掘りせずに流すことにした。
「けれど、私たち家族は祝福を授けに参りますよ? そのくらいはさせてもらえるのよね?」
「ええ、それはもちろんです」
最大の譲歩ともいえるヴィオレッタの言葉に、リオは素直に頷く。
「ドレスはいちおうマリアンヌの希望は聞くけれど、こちらが用意しますからね?」
「ええ、よろしくお願いします」
リオが頷くのに機嫌を良くしたヴィオレッタが満足そうに微笑む。
「お披露目も身内だけならばいいかしら?」
「まあ、そのくらいなら」
孤児だったマリアンヌには親族はいないし、リオ自身もアルデガルドとフォレストラ公爵家の人たち以外に親族といえる相手はいない。家族には縁の薄い二人だが、身内だけならば祝福される結婚式も悪くはないとリオは思った。
屋敷の中で、ベルンとソフィア、ギルミアやリュカたち、それと公爵家の使用人たちに祝われるくらいの祝宴ならば、マリアンヌも緊張せずに楽しめるだろうとリオは判断し是と答える。このとき、ヴィオレッタの『身内』がどこまでかを確認しなかったリオのおかげで、マリアンヌが目を回すような事態になるのだが、この時のリオは自分の詰めの甘さを自覚していなかった。
「やはりマリアンヌには貴族の養子先を用意した方がよくないかしら? その方が周りから余計なことを言われなくて済むわよ?」
「何度も言いますが、今回フォレストラ公爵家の血縁者であったことが分かりましたが、俺もマリアンヌも平民の冒険者です。そうそう貴族と関わることはありませんし、マリアンヌを社交場のような場所に連れて行くこともありませんので、口さがない者に何かを言われることもありませんよ」
「なあ、俺は元貴族の血統だけど今は平民だろ? だからマリアンヌを俺の妹にすれば元貴族ってことでオイーリアの貴族に連なるリオとバランスが取れねえかな?」
「ベルン?」
いきなり相棒の声がしてリオが振り返ると、ラフな服装に着替えたベルンが、後ろ頭を掻きつつ廊下を歩いてきた。
「いや、茶をもらおうと思って部屋を出たら声が聞こえてさ。盗み聞きするつもりはなかったんだけどな。つーか、いつまで廊下で話してんだよ」
「そうでしたね、失礼いたしました」
「いや、俺はいいんだけどよ。まあ元貴族だから結局は平民なんだけどな。平民でいたいリオと、オイーリア貴族の血統に相応しくあって欲しいと思うヴィオレッタ様の気持ち、どちらも分かるんだよ。でもさ、マリアンヌは相応しくないってオイーリア貴族の娘と無理矢理結婚させられるってこともありえたわけだし、養子先を見つけてでもリオと結婚することを認めてくれてるって結構すげえことなんだぜ」
「誰かの認めなんて必要ありませんよ」
これまで放っておいたくせに、とリオは横を向く。そんな相棒の様子にベルンは苦笑した。
「拗ねてやがる」
「拗ねてるわね」
「まあ、お可愛らしい」
「拗ねてなんていませんよ。お茶をご所望でしたね。湯をもらって参りますので、部屋で大人しくお待ちやがれください」
「たいした従者ぶりだこと」
さっさとその場を離れたリオの背中に、ヴィオレッタとベルン、ネネットの揶揄う笑い声が届いた。
それから数日、ベルンとリオはアルデガルドとウヴァーと共にロランディのダンジョンに何度か向かった。マリアンヌとソフィアは、ベルンたちと一緒にダンジョンに向かう日もあるが、ヴィオレッタのお誘いを受けて公爵邸でお茶会をする日もあった。そんな日はヴィオレッタによる淑女教育も二人に施される。二人にとっては、ダンジョンの魔獣より、貴婦人の姿勢や礼、紅茶の種類を覚えることの方が難敵であり、ダンジョン帰りのベルンとリオよりよほどぐてりと疲れきっていた。
そんなある日、淑女教育で習ったという作法でお茶を淹れるソフィアの表情がいつもより暗いことにベルンは気付いた。リオが淹れるものより少し濃いお茶をベルンは美味しそうに飲む。
「ソフィアどうした?」
ベルンの問いかけにソフィアは、ぶんぶんと首を横に振った。
「なんでもないです」
「なんでもないってことはないだろ? それとも悩みを聞かせてもらえないほど、俺は甲斐性なしか?」
「うっ、そんなことないです。なんていうか、自分が浅ましいなぁって自己嫌悪で」
「そりゃあ、人間なんだからよ。聖女のように無欲にってのは無理だろ。でも俺は人間らしいソフィアが好きだぜ?」
横に座ったソフィアの頭を優しくポンポンと撫でる。
「ここがリオさんのお祖父様のお家だからっていうのは理解してるんです……上手く言えないんですけど……リオさんとマリアンヌの結婚式の準備もお手伝いさせてもらえて楽しいんですけど……」
普段、粗野な言動をしているが、聡いベルンはソフィアの告白にピンとくるものがあった。ボリボリと困ったように首の後ろを掻く。
「あー、ソフィア。これから出かけるか」
「え?」
「ダンジョンに行く途中にいい感じの場所を見つけたんだ。どうだ?」
「どこに行くんですか?」
ソフィアはきょとんと目を瞬かせて、小首を傾げた。
「だからよ、ウヴァーに聞いたんだが、こっちの庶民は街の教会の精霊樹の下で愛の誓いをするんだってよ。ロームに帰ってからって話だったが、ちょっと早まってもいいんじゃねぇかってな。ソフィアがロームでやりたいって言うんなら待つけどよ。豪華な式もドレスもお披露目もねぇがいいか?」
「わーん、ベルンさん嬉しいです。行きたいです。一生ついていきます!」
がたりと椅子を鳴らして立ち上がったソフィアは、逞しいベルンの首に抱きついて嬉し涙を流した。
ソフィアが『幸せそうなマリアンヌ』にちょっぴり嫉妬していたその頃、渦中のマリアンヌはマリアンヌで、降って湧いた結婚式とお披露目の話に目を回して卒倒しそうになっていた。
「むむむむむ無理だ、そんな!」
「マリアンヌは俺と結婚するのが嫌ですか?」
卑怯な問いかけだという自覚はありながらも、リオはマリアンヌの手を取りながら問いかける。
マリアンヌは涙目でリオを見返しながら、ぶんぶんと首を横に振った。
「リオと一緒になるのは構わないんだ。けど、私は平民で孤児なんだ。こんな大きなお屋敷で、立派な教会で、結婚式を挙げさせてもらえるような身分じゃない。リオは……公爵家のお坊ちゃんだってことが分かったんだ。私より相応しい女性と結婚した方が……」
「それ以上言うと怒りますよ」
「う……でも」
「でももだっても要りません。これでも公爵家の家格に合う結婚式とお披露目とやらを取りやめてもらったんです。たぶん、これまで疎遠だった分を埋め合わせたいと思っての厚意なんですよ。それに俺もマリアンヌがたくさんの祝福をもらって幸せそうに笑う姿が見たいです。どうか俺のために頑張ってもらえませんか」
「うぅ〜、リオは卑怯だ」
「綺麗に着飾ったマリアンヌを見る為ならなんと言われても構いません」
「私が着たところでドレスに着られるだけだ……似合わない」
「一糸纏わぬマリアンヌの方が綺麗なのはもちろんですが、ドレス姿のマリアンヌももちろん素敵です。似合うドレスを俺が選ぶので着てください」
「うわぁぁぁ! リオのバカぁぁぁ」
恥ずかしさに目を回して逃げ出しそうになるマリアンヌをガッシリと捕獲しているリオの姿を、複数のフォレストラ公爵家の侍女と侍従が目撃していた。




