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22.ベルンとリオ、恋人に嫉妬する水妖討伐

 タルガ川の渡し船は大きく、細長い船体の両側、喫水線の少し上の窓のような開口部分から数十本の櫂がニ段に突き出ていた。マストにはオイーリアとロームの国旗の刺繍がされた三角の帆が川風に揺れている。

 船の横からは、人足が大きな積荷をロープで引き上げて積み込む様子が見えた。

 船着場から伸びた板を渡り、船に乗り込んだベルン達は、甲板にある階段を降りた。船の構造を支える柱の他は、広々とした客室になっており、国境を越えようとする者が思い思いに床に腰を落ち着けていた。商人がいちばん多いが、冒険者もいる。貴族は別の客室を用意されているのか、それっぽい服装のものはいなかった。

 そうこうしている間に、腕や胸の筋肉が盛り上がった屈強な体格の男達が階段を降りてきた。客室の乗客たちが拍手で迎え、声をかける。その声に応えるように、男達は筋肉美を見せつけて力こぶを作り、浅黒い肌に笑顔を浮かべ、白い歯を見せた。


「オレ達のぉぉぉ! 筋肉にかけてぇ! 守るぜ! 定期運行とぉ、乗客の命ぃぃ!」


 応!! と男達の野太い掛け声が上がると、乗客の拍手が一層盛り上がった。そして拍手の嵐の中、男達は意気揚々と階段を下りていった。


「なんだあれ」


 ベルン達は初めて見たために、場の雰囲気についていけず、唖然と彼らを見送った。背後に何者かが立つ気配に振り向くと、先ほどの男達よりはひとまわり筋肉が少ないものの、浅黒い日焼けした顔と胸筋が盛り上がり窮屈そうな体躯を白い軍服に押し込んだ壮年の男がベルンを見ていた。


「彼らはこの船の漕手ですよ。国家に雇われる専門職で、定期運行と安全な航行にプライドを持っています。最近は彼らのファンも増えてきて、なにやら一種の見世物のようになってますがね。ああ、申し遅れました。船長のサンチョス・マゼランです」

「ああ、サンティスの言ってた」

「ええ、サンティスは私の甥です。私の姉の嫁ぎ先がダーウィン男爵家でして。どうぞお見知り置きを」

「どうもご丁寧に。だけど俺達は一介の冒険者だから気にしないでくれ。で、依頼の件だが」

「ええ、場所を移して話しましょう」


 サンチョスの案内で操舵室の隣の船長室へと通された。船長室は狭く、ベルンとソフィアが並べば、リオとマリアンヌは室内に入れないほどだ。船員に迷惑そうな顔を向けられながらも、操舵室の中で船長室を覗き込むようにして話を聞く。


「サンティスから聞いてもらったとは思いますがロームからオイーリア入国口へ向かう航路の中程に、霧が多く発生する岩場があるんですよ。この船は船体が細長く、熟練の漕手と操舵で、岩場なんかもスイスイとすり抜けるように航行できるんですがね。ある条件の乗客がいた場合に『出る』んですよ」

「恋人たちに嫉妬する川の妖精だったか」

「そんな可愛いもんじゃありませんがね」


サンチョスが苦い表情を浮かべた。


「我々はシレーヌと呼んでいる、そいつらは上半身が美しい娘の姿、下半身は魚の姿をもつ異形の化け物です。見目の良い男が好きで誘惑しようとしてきます。見目の良い男が恋人と一緒だった場合は、仲を引き裂いて男を水底に連れて行こうとします」


 ヒッとソフィアの息を飲む音が小さく聞こえた。ベルンはソフィアの背中に手のひらを当てて、宥めるように撫でる。


「これまでの被害は相当なもんなのか」


 ベルンの質問にサンチョスは、困った表情で頬を掻いた。


「いや、それが奴らの審美眼はなかなか高いようで、私が船長に就任してからの三十年間、そのような被害は発生していません。しかし、過去には実際に人命が失われ、新婚直後に寡婦となられた婦人もおられると聞きます。見目の良い独身男性の場合は、耳栓をしてマストに縛りつけますんですが、恋人同士やご夫婦の場合は、念のために船を分けて乗ることをご提案するなどして、魔物に遭遇しないように念を入れております。今回Bランク冒険者の皆様に討伐していただけるとサンティスから聞いて、本当に感謝しております」


 サンチョスは帽子を脇に抱えて、深々とベルンに頭を下げた。


「まだ討伐を完了してないんだからよ、感謝してもらうのは早えよ。……その、シレーヌが出てくるかも分からねぇし」


 サンチョスは、ベルンとソフィア、リオとマリアンヌと順に視線を向けると、にっこりと微笑んだ。


「常に冒険者ギルドに討伐の依頼を出しておりまして、過去には水生魔物の討伐が得意だとおっしゃる冒険者が依頼を受けてくださったこともありましたが、どうやってもシレーヌは出てこず、討伐するより誘き出すのが難しい魔物として、いつまでも未解決依頼として残っておったんです。皆様であればシレーヌも間違いなく出てくるかと。常なら出てくるな、出てくるなと祈っているのですがね。さて、まもなくシレーヌが出る岩場が近づいて参りました」


 海かと見紛うほどに川幅の広いタルガ川。ローム国を出国してしばらくは、両岸は深い森の間を航行していた。やがて両岸は岩壁になり、大きな岩が川底から顔を見せ、水の流れが複雑になってきた。魔力を含んだ霧が辺りを漂い始め、視界が霞む。船員たちは緊張感を漲らせながらも慣れた動きでそれぞれの仕事に専念している。

 ベルンたちは敢えて甲板に立ち、ベルンはソフィアと、リオはマリアンヌと並んで辺りの景色を楽しむ恋人の雰囲気を出しつつ警戒していた。サンチョスが言うには、いつも魔霧の発生する場所だが、今日は特に霧は深いという。


《〜〜♫ 〜〜♩〜〜〜〜♬》


 濃霧といってもよいほどの霧の向こうから、美しい歌声が聴こえてきた。魔力を含んだ歌声には魅了魔法の効果を乗せているのだろう。

 大きな岩に美しい女性たちが座り、せつなげな視線を送りながら歌っているのが見えた。


「思ったより多いな。全部で何匹いるんだ……リオ、見えるか?」

「ええ、こちらの岩の上に1匹、少し離れた向こうに2匹、船を遠巻きに囲む影が3匹と言ったところでしょうか」


 マリアンヌが心配そうにリオを見上げた。


「な、なあ。お前たち大丈夫なのか? 魅了魔法に操られたりはしないのか?」

「大丈夫ですよ。私もベルンも魔力耐性は強い方ですし、特に魅了魔法は効きにくいんです」

「そ、そうか。それなら良かった」

「心配してくれたんですか。心変わりしたりはしませんから安心してくださいね」

「そ、そんなことは心配していない!!」


 マリアンヌが真っ赤になって吠えた。さすがに敵に囲まれている状況で、羞恥に負けて走り去るということはしないが、ふるふると羞恥に耐えて震えている。


「リオ、そのくらいにしといてやれ」

「リオさん、お手柔らかにお願いします。マリアンヌはそういう言動に慣れていないので」

「すみません。マリアンヌが可愛い反応をするのでつい。さてベルン、一発大きいのをお見舞いしましょうか」

「おう! 待ってたぜ」


 ベルンが杖を構え雷魔法の詠唱を始めた。リオはソフィアに視線を移す。


「ソフィア、あちらの岩場にいる魔物をファイヤーアローで川に落とすことは可能性ですか?」


 確認するようで、リオはできない人には頼んだりしない。これはソフィアにはできると信頼されての指示なのだ。ソフィアはキリッと表情を引き締めて答えた。


「できますっ!」

「ではお願いします。私はこっちの岩のシレーヌを海に落としますから、マリアンヌは万が一シレーヌがこの甲板に揚がってきた時に仕留めてください。ベルンとソフィアを頼みます」

「任せろ」


 マリアンヌがコクリと頷いた。


「ベルンは、全てのシレーヌが海に落ちたら雷撃を落としてください」


 詠唱途中のベルンが僅かにアゴを引いた。では、とリオが助走を付けて、甲板の縁を蹴り、一足飛びにシレーヌがいる一番近い岩まで跳んだ。一番近いとはいえ八メトルは離れている。

 シレーヌの好みに合ったのか、シレーヌはリオが近づいてくるのを歓迎しているようだ。下半身のヒレがぴちぴちと喜びに跳ねる。リオは岩の上に着地と同時にシレーヌを斬り伏せ、上下泣き別れになったそれを川に蹴り落とした、

 船の甲板から、風を切る音と共にソフィアのファイヤーアローが飛んでいく。岩に腰掛けていたシレーヌがより有利な川の中へと避難した。もともと水面にいたシレーヌ達は、リオやソフィアが餌ではなく敵だと認識したようで、水魔法のウォータージェットに似た攻撃を向けてきた。


「はぁっっ!!」


 掛け声とともにマリアンヌがソフィアの前に躍り出て、勢いのある水砲を斬った。勢いが削がれた水は川面へと還る。リオもまた水砲を斬り、避ける。


「ベルン今です!」

「《ライトニング》!」


 金の魔法陣が、天に掲げた杖の先に花開く。バチバチっと紫電が走り、刹那、電撃が川面に突き刺さる。水中に逃げる隙を与えない雷撃だったために、5匹と、リオに真っ二つに斬られたシレーヌ達はプカリと水面に浮かびあがり、ぴくりともしない。


「ソフィア! とどめいくぞ!」

「はいっ!」


 ベルンの掛け声に、ソフィアは浮かぶシレーヌ達を矢で貫いた。特訓の成果かグリムの弓のおかげか、こちらも精度が上がっている。


「もういっちょおまけだ! 《ライトニング》」


 刺さった矢に雷が落ち、シレーヌ達が一度ビクンと跳ねた。辺りに焦げた臭いがただよう。

 甲板に戻ってきたリオが、水面で焦げた背中を晒すシレーヌを見て微笑んだ。


「他にシレーヌの気配はありませんし、これで討伐完了ですね。ベルン、少しオーバーキルではありませんか? この匂いを嗅いでいると魚の塩焼きが食べたくなるんですけど」

「さっきまで餌に見られていたっていうのに、リオの方が怖えよ」

「お互い様ですよ、ベルン。ソフィア、マリアンヌもお手柄ですね。助かりました、ありがとうございます」


 リオの労いの言葉にソフィアとマリアンヌはギョッと驚き、とんでもないと謙遜を始める。


「いや、本当だぞ。仲間がいると戦闘が楽だよな」


 ベルンがソフィアの頭をポンポンと撫でながら微笑みかけると、ソフィアは嬉しそうに頬を染めた。


「マリアンヌ? さっきの珍しいものを見たような態度はなんですか? 私でも努力の成果は認め、褒める時は褒めますよ。失礼な」

「そ、そうだな。い、いや。そうなんだが」

「褒め足らないということですかね。でしたら今夜は存分に褒めて甘やかして差し上げますね」


 何を想像したか、全身を赤く染めたマリアンヌは、オロオロと退路を探してソフィアの陰に隠れる。背の低いソフィアの陰に隠れたところで丸見えなのだが。


「リオ〜〜、揶揄うのはそのくらいにしてやれ」


 このところこんな役割ばかりだなと思いつつ、ベルンが助け船を出した。結局リオはマリアンヌが可愛い反応をするから揶揄っているだけなのだ。


「しかたがありませんね。さて、シレーヌを引き上げてきます。討伐証明が必要ですし」


 リオは足取り軽く岩場に降りると、岩に引っかかっていたシレーヌを大剣で突き刺し、甲板へと放り上げる。

 

「すみません、流れが速い場所だったみたいで、他は流れてしまってます」

「しかたがねぇな。ま、サンチョスも見てただろうし証言してもらうしかねぇか」


 どうせサンティスに情報料代わりに頼まれた依頼だ。これからの航行に問題がなければいいと考える。


「んじゃ、サンチョスに討伐完了と、船を動かしてもらうように言ってくるぜ。リオは船に戻って来とけよ」

「わかりました」


 リオが甲板に戻ってくると、サンチョスを連れたベルンが戻ってくるところだった。サンチョスは甲板に打ち上げられたシレーヌを見て驚く。背中に焦げた矢が刺さっている半魚の人型の魔物を見ても青ざめたところはない。彼もまたロームの訓練された軍人なのだ。サンチョスは興味深げにシレーヌを観察する。確かに上半身は人間の女性に似てなくはないが、肘の下にヒレがあり、肌は青白くぬめりがある。鼻梁はなく、鼻の穴だけが開いているし、歯は小さいのがたくさん生えていて尖っていた。


「美しい半魚の魔物だと聞いていましたが、こうしてみるとそうでもないですね」


 少し残念そうなサンチョスの感想に、ベルンは笑った。


「魅了魔法で美しく魅力的に錯覚させてんだろうな」

「そういうことなんですね」

「あー、全部で6体いたんだが、拾えたのはこいつだけなんだ。あとは流れちまった。すまん」

「いえいえ。足場もないところでの戦闘ですし、この辺りは流れが複雑ですので、回収までは期待しておりませんでした。それよりあなた方ならシレーヌが出てくると思っておりました。討伐ありがとうございました。報酬をお支払いいたしますので、船長室までお越し願えますか。伝令魔法で冒険者ギルドにも知らせますので、オイーリアに着きましたら冒険者ギルドをお訪ねください」

「ああ、わかった」


 ベルンたちはサンチョスに付いて船長室へ向かった。

 それからの船旅は快適に進んだ。やがてオイーリアの出入国管理事務所が見えてきた。


「それにしてもどうして出国入国口をずらしているんだろうな」


 生まれて一度もローム国を出たことがないマリアンヌとソフィアは首を傾げた。


「あー、それはアレだ。万が一に戦争になった場合に、お互いにスムーズに領土に入られないようにするためだ」

「あとは、密入国をさせないためもあります」


 ベルンとリオの返事に、マリアンヌはますます首を傾げる。


「でもさ、確かに川幅は広いけど、泳ぎが得意なものなら泳いで渡れないか?」

「毎年、入国税や出国税をケチろうと人目を掻い潜って泳いで渡ろうとする奴がいるんだがな、出入国口以外の国境は魔法結界が張られているから、密入国できないんだ。それの維持は、どの国も【塔】の魔法使いに委ねられていて、その広域結界魔法は【塔】の一部の魔法使いしか知らない秘匿魔法なんだ」

「まあ、国境の結界のことは、貴族には常識ですが、あとは一部の商人や、一部の冒険者くらいしか知りませんから、そういう悪知恵を考えついても仕方がありませんよね」

「さすが選ばれし冒険者は違うな!」

「ベルンさんたちはBランクですものね」


 さすがは高ランク冒険者だと感心するマリアンヌ。ソフィアはベルンに元貴族のボンボンだったと話されているから、なるほどと思うが、それをここで口に出すのは良くないと思い、マリアンヌの尻馬に乗った。船着場の宿屋の窓から脱出して、予約した便と違う船に乗ったことに違和感を感じないわけはない。ベルン達がソフィアに事情を話してくれないことが少し不満ではあるけれど。


 船は無事にオイーリアの出入国口に到着した。オイーリア側の出入国管理官が幅広の板を船に渡す。順番に乗客が船を降り、出入国管理事務所の入り口に列を作った。


 オイーリアはエルフの国だ。昔は森と共に生きる狩猟民族で、他の国との国交はなかった。オイーリア国民は魔力が高く、耳が長く尖っていて容姿が優れたものが多い。

 今は国交は開かれて、純粋なエルフ以外の姿も見られる。昔の狩猟民族だった頃の名残か、森は深く、ローム国には見られない植物がそこかしこに自生していて、全体的に緑が多い印象を受ける。

 船を降りたベルンたちもまた列に並び、入国手続きを待った。ロームとは違う制服をまとったエルフたちが働いているのを見たマリアンヌは、隣に立つリオを見上げた。その視線に気付いたリオは、マリアンヌを見下ろす。


「どうかしましたか?」

「……いや、耳が尖ってればリオはエルフだって言っても信じられそうだよな、美人だし」

「そうでしょうか? 自分では分かりませんが」


 マリアンヌは、リオが遠くに行ってしまうような胸のざわめきを感じて、思わずリオの袖を掴んだ。

 リオがこそっとマリアンヌの耳に唇を近づける。


「マリアンヌ、こんなところで『今夜のお誘い』ですか? 大胆ですね」

「ちがぁう!!」


 真っ赤になって思わず大きな声で反論したマリアンヌだが、周りの視線を集めてしまい、ますます全身を赤くしてしまった。



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