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21.リオとマリアンヌとソフィア、宿の酒場で絡まれる

 ベルンがサンチェスと部屋へ上がっていった後、リオはソフィアとマリアンヌと三人でテーブルを囲んでいた。

 腹は充分満たされているので、それぞれが好きな飲み物を片手にしゃべったり、つまみにとサービスされたナッツをつまんだりしている。

 店内は食事はあらかた済んだだろう客達がそれぞれ談笑したり何かに乾杯したりとだいぶ賑やかだ。酒以外の注文が減ってきたのだろう、ウェイトレスはせわしなく動き回っているが、厨房で店主が休憩がてらぼんやり座っているのが見える。


 リオはエールの入ったカップを傾けながら視界の端で入り口付近のテーブルを観察していた。そこには男ばかり三人が座っている。ごく普通の旅人ふうの装いで、年の頃は三人とも二十代後半から三十代といったところか。さりげなく振る舞ってはいるが、よく観察していればわかる。着ている服は王都にある有名な服飾店のロゴが入っているし、こっちをチラチラと見ている。


(あいつらがずっと俺たちを尾行してきた奴らか)


 尾行されていることには気がついていたが、きちんと顔を見たことはない。ここにきて顔がわかってむしろよかったかもしれない。

 それにしてもあれでばれないとでも思っているのだろうか。あんなに神経を尖らせた状態で飲んでいれば、様子がおかしいとすぐに気づいてしまう。下手くそか。リオはポーカーフェイスのままエールを一口飲んだ。その袖口をマリアンヌが軽く引いた。


「リオ、あの入り口あたりの客、やたらこっちを気にしてないか?」


 見ると、マリアンヌだけでなくソフィアもさりげなくそちらを警戒しているようだ。見張られていることに気がついているらしい。

 そういえば二人にはまだベルンが【塔】や貴族達に狙われているかもしれないことや尾行がついていることを話していなかった。とはいえ、積極的に説明する気は今のところまだないが、そろそろ話してもいい頃合いかもしれない。ベルンに相談しようとリオは頭の中のメモに書き込んだ。


「何だかやな感じですねえ。じろじろ見るなんてマナー違反です」


 ソフィアがちょっとむくれた顔で小さくこぼす。マリアンヌもうんざりした顔で頷き、ソフィアに追随する。


「時々ああいうのがいるんだ。じろじろ見て、やたら絡んでくる奴。女二人だから舐めてるんだろうな。おまけに今回は――」


 マリアンヌが同意しつつちら、とリオを見る。こんな美女と見まごう美形がいれば、男でもいいなんていう不埒者がいるに違いない。うん、絶対だ、とマリアンヌは心の中で確信した。


「今回は、何ですか?」


 リオはにっこり笑って聞き返した。笑ってるけど目がちょっと笑っていなくて、マリアンヌは何かまずいことを言ったことを悟る。地雷か。地雷を踏んだのか。


 マリアンヌはリオが女に間違われることを大層嫌がっていることにまだ気がついていないのだった。

 リオがそっとマリアンヌの耳元へ口を寄せ、吐息混じりに囁いた。


「ちょっとばかりお仕置きが必要ですか? 今夜は」

「ひうっ」


 マリアンヌが真っ赤になって飛び上がる。リンゴのように真っ赤になってしまったマリアンヌにソフィアは生暖かい視線を送った。


「はいはい、ごちそうさまです。リオさん、そういうことは二人っきりの時にしてあげてくださいね」

「ああ、これは失礼。そうですね」


 ソフィアは二人のやりとりに慣れたようなことを言っているが、少しばかり頬が赤い。


(まったくベルンはいつまで彼女を待たせるんでしょうねえ)


 自分の手が早いだけとは決して思っていないリオは、相棒の奥手っぷりというか真面目っぷりに嘆息した。まあちょっと先行きが面白いと考えている節もあるが。

 けれどそんな和やかな(?)テーブルに影が落ちる。隣に誰かが立っているのだ。


「よう、姉ちゃん達。女ばっかりで飲んでたってつまらねえだろ、俺たちと一緒に飲もうぜ」


 酒臭い食堂の中でも一際酒臭い息で男二人がソフィア達に話しかけてきた。途端にソフィアとマリアンヌの顔がいやそうにゆがむ。


「――っと、なんだ、野郎が混じってるじゃねえか。まあいいか。なあ姉ちゃん達、俺たちと一緒に飲もうぜ」

「なあでも野郎だけどえっらい別嬪さんじゃねえか。どうだ、セクシーなドレスでも着てさ、俺たちに酌でもしてくれよ」

「ああ、そっちの姉ちゃんはそのままでいいぜ。ビキニアーマーなんてそそるよなあ」


 ひひひ、と下品な笑い声で男達が笑う。よっぽどツボに入ったのか、少しの間腹を抱えて笑っていた。


 ダン!

 マリアンヌがカップを机に叩きつけた。


「黙って聞いてりゃ勝手なことばっかり言いやがって。こっちは仲良く飲んでんだよ、邪魔すんな」

「ああん?」

「第一、あんたたちみたいな酔っぱらいとリオとじゃ、どっちと飲みたいかなんて比べるまでもないな。鏡みて出直しな。それにあんたたち口が臭いし」

「んだとぉ! こ、このアマ、ちょっと乳がでかいからって」


 酔っぱらい2人が激昂してマリアンヌに掴みかかろうと手を伸ばす。テーブル越しだったので、まだ下げられていない皿やカップが勢いよく床に叩き落されて派手な音を立てた。

 だが酔っぱらいの手はマリアンヌには届かない。寸前でリオの手が男の手首を掴んでいる。


「さて、いい加減にしてもらいましょうか。その腐ったタマネギみたいな臭い口を閉じてとっとと帰れ、生ゴミ」

「な――なっ」


 美貌の男の口から放たれた言葉は容赦がない。酔っぱらいの顔が怒りでわなわなと震えた。


「生ゴミが不満ですか? なら――」

「そのへんにしとけ、リオ」


 ちょうどそこへベルンが降りてきた。まだまだ毒舌を吐き足りないという空気をぷんぷん醸し出しているリオの肩をぽんとたたき、耳元でこそっと囁いた。


「半刻後に出る船に変更、荷物まとめとけ」

「入り口脇テーブルの三人組、追っ手です」


 瞬間的に情報共有をする。それからソフィアとマリアンヌを安心させるようににかっと笑って見せた。


「あれだ、リオの毒舌が冴え渡った後か」

「そうですね。ちょっと煽りすぎな気もしますけど」

「まあリオのいうことも決して間違ってはいなかったぞ、ベルン」


 ソフィアは困ったように笑い、マリアンヌはなぜかドヤ顔だ。


「あの二人組が絡んできたんです。私たちにこっちに来てお酌しろって」

「それもな、その『私たち』の中にリオが入っててな」

「あー」


 とんでもなく綺麗な面立ちをした相棒の逆鱗に触れた、というか地雷を踏み抜いた、というか。その時のリオの様子が手に取るようにわかる。


「よくあいつら首と胴が繋がってるな」

「多分ね、マリアンヌがいたからじゃないですかね。怒り狂ってるところを見せたくなかったとか」

「何をコソコソやってんだてめえら! 無視すんじゃねえよ!」


 チンピラが吠え立てる。そういえばまだいたんだ、と振り返る。二人組は怒りで顔が真っ赤になっている。


「ちょいとマッチョと交代したからって舐めんじゃねえ! それでも2対2なんだからな! おとなしく女こっちに寄越せや!」


 どうやらソフィアとマリアンヌは数に入っていないらしい。今どき活躍している女性冒険者なんて山ほどいるのに、なぜ彼女たちが戦力外だと思っているのだろうか。

 ここに来るまで女子二人にはベルンとリオがみっちり稽古をつけ、それなりに魔獣とも戦って経験を積んでいる。クラスはまだCだが、実力はかなりBに近づいてきているとベルンは思っている。何しろソフィアとマリアンヌは二人共とても素直なのだ。今まで独学だったというだけあって、ベルンとリオの言うことを素直に受け入れ、まるで海綿が水を吸い取るようにスキルアップしてきている。こんなチンピラたちなどソフィアとマリアンヌの敵ではない。

 とはいえベルンはもちろん彼女たちを矢面に立たせる気など毛頭ないが。


 ベルンは床に散らばった食器類を見てわざとらしく大げさにため息をついて首を振った。


「騒がせちまったみたいだな、すまねえ店主」

「あ――いや、お連れさんはむしろ絡まれた被害者みたいだからな」

「そう言ってもらえると助かるぜ――リオ、俺はここの片付けしてっからさ、着替えて来いよ。服にワインかかってるぞ」

「あ、ああ、そうですね。すみませんベルン」

「ほら、ソフィアとマリアンヌも」

「は、はい」

「わかったよ」


 三人が席を立ち、階段へ向かうのを後目にベルンは床に散乱した食器類を拾い集め始めた。店主がそれを止めようとしたが「まあまあ」とベルンは拾う手を止めようとしない。

 だが腹の虫が治まらないのは二人の酔っ払いだ。


「おい、勝手な真似すんじゃねえよ!」

「あー、はいはい。ほらもう三人とも上に行っちまったからな、諦めて帰れ」

「んだとぉ!」


 酔っ払いの片割れが腰にさしていた短刀を抜いた。途端に食堂内がどよめきと悲鳴に包まれ、全員が壁際に退避する。ベルンと酔っ払いを中心にして少し広めの空間が空く。


「おいおまえ、あの女二人呼び戻せ。これが目に入らねえのか」


 そう言って手にした短刀をちらちらと見せつけてくる。


「何でだよ。呼び戻すわけねえだろ」

「この野郎っ!」


 酔っ払いは短刀を片手で握り、振りかぶってベルンに斬りつけてくる。ベルンは拾い上げた金属製のフォークで瞬間的に短剣を受け止めてみせた。フォークの先端に短刀の刃を挟んで止め、そのままひねりを利かせて短刀を酔っ払いの手から弾き飛ばす。短刀はそのまま入り口付近のテーブルの上を飛んで壁に突き刺さった。


「危ねえな、室内でそんなもん振り回すなよ」


 ちらり、とナイフが飛んで行った方へ視線を走らせる。さっきリオが短く囁き返して教えてくれた「追っ手」らしき三人組の男達が、目の前を通過して壁に刺さった短刀を見て顔を青くしているのが見える。


(まあ、ちょっとぐらい脅し――じゃねえ、警告したって魔法使ってねえからノーカンだよな)


 そう頭の中で誰かに言い訳をして、酔っ払い二人に向き直った。


「暴力は良くないぞ、暴力は。店にも迷惑だし、他の客にも迷惑だ」


 そう言いながら手にしたフォークをビシッ! と酔っ払いの目の前に突きつけた。もちろん目からほんの少し離れたギリギリのところで止めたが、酔っ払いにとってはよほどの恐怖だったのだろう。フォークを突きつけられた方は「ひ、ひい」と悲鳴を上げて腰を抜かしてしまい、もうひとりに支えられながら這々の体で店を出て行ってしまった。

 ベルンは拾い集めた食器を店主に渡し、ポケットから銀貨を数枚取り出した。


「店主、これで今いる客に一杯ずつ奢ってくれ。騒がせた詫びだ」


 店内にいた客達が一斉に喜びの声を上げた。そしてベルンは店主を手伝って酒のカップを運び始めた。10卓ほどあるテーブルのうち、2,3卓へ運び、更にもう1卓へカップを3つ運んだ。

「追っ手」たちのテーブルだ。


「いや~、悪かったなあ、あんたら。騒がせた上にこの短剣こっちに飛ばしちまっただろ? お詫びだと思って飲んでくれ。他のテーブルよりちょっと上等なカクテルを淹れてもらった」

「あ、ああ、いや、君たちのせいじゃないからな。気にしないでくれ給え」


 まさか直接自分たちが尾行しているターゲットから接触されるとは思っていなかったのだろう。ひどくカチンコチンな返答をされて、ベルンは内心笑ってしまった。

 こいつらは自分たちが「追っ手」だという自覚があるんだろうか。庶民の口調じゃない。

 知らず知らずのうちにリオと同じ感想を抱いてしまうベルンだった。


「ああ、夜はまだ長いからな、ゆっくり楽しんでくれ」


 ベルンはにこやかにそう挨拶をすると階段を上って部屋へと戻っていった。




 酒のカップを運んでいる間に店主には予定が変わったので今すぐチェックアウトする旨を伝え、金も払ってある。部屋へ戻ると、そこにはしっかり旅装を整えたリオとマリアンヌ、ソフィアが待っていた。


「待たせたな」


 ベルンは船を早い時間に変更した経緯をざっと話し、窓を開けた。


「今の騒ぎのおかげで出航まで四半刻だ。まあ、全然間に合う時間だけどな、さっさと行こうぜ」


 自分の荷物を肩に提げ、そのまま窓から飛び降りた。宿の部屋は2階、飛び降りても全く支障はない。続いて飛び降りてきたソフィアを抱き留め、その後からマリアンヌがリオに抱えられるように飛び降りてきてミッション完了だ。

 ちなみにマリアンヌはどうやら飛び降りるのを躊躇していたらしく、無理矢理抱えて飛び降りさせられたらしい。


 四人は暗がりの中、船着場へ向かって静かに歩き出した。



 ★★★


「しかしまずかったですね、ベルノルトにこちらの顔をはっきり見られてしまいました」


 追っ手の中で一番若い男が真面目な顔でつぶやいた。後の二人も思うところがありそうだ。


「まあ一瞬ではあるがな。奴がちゃんと我々の顔を覚えているかどうかは怪しいものだ」

「だが油断はならん。何しろあのバレリオ・ライナーの息子だ。それに従者のヴィットーリオも相当の切れ者と聞く」


 ぼそぼそと話し合いながら年上の二人がカップの酒を飲む。ベルンが持ってきたカクテルだ。


「む、確かに先程の杯より幾分ましだな」

「ああ、庶民が飲む酒としてはいい方だろう」


 年上の男二人はカクテルで少し機嫌が上向きになってきたらしい。だが一番年下の男はまだ手つかずのカップを手にしたままちらちらと階段の方を気にしている。


「ルッジェーロさん、ファブリツィオさん。俺、ベルノルト達の部屋を念のためチェックしてきます」

「ラファエロは心配性だな。気づかれないように気をつけろ」

「はい」


 ラファエロ、と呼ばれた一番年若い男が階段を上がっていく。食堂の喧噪がだんだん遠ざかり、二階の静寂があたりを占める。ベルンとリオの部屋は2階の一番奥から2番目と3番目の部屋だと調べはついている。忍び足で3番目の扉へ近づき、そっと扉に耳を近づけてみると、何やらガタガタと音がしている。在室は確認できた、とラファエロはほっと胸をなで下ろす。


「さあマリアンヌ、今度はあなたの番ですよ」

「ああ――ちょっと勇気が要るな」

「大丈夫、俺にすべてを任せてください。ほら力を抜いて」

「え、いやああああっ!」


 ガタガタッ!


 聞こえてきた音にラファエロの顔が赤くなる。悪いタイミングで来てしまったのだろうか――


 だがそこから何も音が聞こえてこなくなった。しばらく様子をうかがっていたが、想像していたような物音も人の気配も何もない。ラファエロは嫌な予感がしてそっとドアノブに手を掛けた。案の定、扉は開いていてすんなり中へ入ることが出来た。


「いない……!」


 中はもぬけの殻、ざっと見ても荷物らしきものはなく、そして窓が開いている。ラファエロは慌てて食堂に駆け戻り、ルッジェーロ達へ報告した。


「いません! 四人で窓から出て行ったようです!」

「何だと? 荷物は」

「ありませんでした」

「まあ、慌てることはあるまい。船は明日にならないと出ないからな」

「けれどもし今夜の最終便に乗ってしまったら」

「ラファエロは心配性だな。よし、船着場まで確認しに行くか」


 よいしょ、と席を立とうとするが、二人はなぜかふらふらと足下がおぼつかない。


「ルッジェーロさん? ファブリツィオさん?」

「む、悪酔いでもしたか」

「所詮は庶民の酒ですからね、そうかもしれません」


 実のところ、カップを運んできたときにベルンが強い蒸留酒とワイン、それを誤魔化すための果汁や蜂蜜を使った適当なカクテルを淹れてきたせいなのだが、飲んだ二人は味が良くわかっていなかったらしい。もしベルンがルッジェーロとファブリツィオが話した「カクテルの感想」を聞いたら腹を抱えて笑うに違いない。


 それでも何とか三人は船着場へたどり着き、今まさに出航しようとしている船を見た。


「お、おい、あれ」


 船に乗り込んでいくタラップの上をベルンとリオが歩いているのが見えた。すかさずラファエロが事務所に飛び込む。


「あの船に乗りたいんです! 今すぐ!」

「無理だよ、満席だ」

「それじゃああの船の次に出る船は!」

「明日の朝だね」


 受付の老人にすげなく断られ、ラファエロは自分たちの任務が暗礁に乗り上げたことに気がついた。事務所を出ると、ルッジェーロとファブリツィオが桟橋にいた係員に大声で「乗せろ」と詰め寄っているが、酔っ払いだと思われたのか(事実そうなのだが)煙たそうに追い払われていた。


 そして船は定刻通りに出航し、三人の追っ手たちはそれを呆然と見送るしかないのであった。


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