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17. フィオレとマグダレッタ、師匠との語らいと命の木の実

 ベルンとリオが新しい仲間を加えて、西の隣国オイーリアに向かって旅立った頃、魔法市国の中心にある【塔】のマグダレッタの研究室では、ベルンから届けられたコカトリスの尾から、コカトリスの石化を解く薬の精製の研究が行われていた。


 マグダレッタは、不老不死の薬の作成に成功したのではないかと噂されるほどに妖艶な美女の姿を何十年も保っている。各専門分野に1人ずつしか選出されない【賢者】のうち、錬金術の賢者である。賢者は【塔】の最高議会であり、魔法市国の権力なので、その部屋には賢者が許可したものしか入る事は許されない。他の弟子はそれぞれ自分の研究者を与えられていて、滅多にやってこないし、勝手に入ってもこられない。ゆえに、フィオレがここで研究している内容は、フィオレ本人かマグダレッタが誰かに話さない限りは漏れることはなかった。

 マグダレッタは可愛い弟子が、自分の研究ノートと素材を相手に、より効果的に、より効率よく効く薬を開発しようと奮闘しているのを、微笑ましく見守り、時に助言をしたりしていた。


「うーん、命の木の実って実在するんですかね」


 フィオレが錬金術の魔術書を見ながら言った。

 マグダレッタは皿のクッキーをひとつ摘み、サクリとひとかじりしてから答えた。


「フィオレ、このクッキー美味しいよ」

「ありがとうございます。バターの配合を変えてみたんです」

「小麦も変えたんじゃない? 前のより粘りが少なくなっている気がする」

「あ、それは温度と混ぜ方を研究しまして」

「ふぅん、なるほど。ところで命の木の実は実在するよ」


 マグダレッタはクッキーを咥えつつ、ティーポットから紅茶をカップに注いだ。

 フィオレは本から顔をあげた。椅子から立ち上がってマグダレッタの座るテーブルの側までいくと、マグダレッタが差し出すティーカップが乗ったソーサーを受け取る。そしてマグダレッタの正面の椅子に座り直した。


「え、どこで採取できますか?」

「命の木の実がなぜ必要と思うの?」

「これまでの研究には使ったことがないんですけど、石化期間が長ければ長いほど、石化が解けたあとの衰弱が心配だと思うんですよ」

「ふむ、それはそうだろうね」

「細胞単位での石化によって、時が止まった状態になっているわけですが、石化が解けた途端に衰弱して死んでしまっては意味がないので……命の木の実は死んでさえいなければ、失った脚さえ生やすことができるポーションの材料になるというのは本当ですか?」

「それは本当」

「そんなに素晴らしいものなら、なぜみんな使わないんだろう。命の木の実を使ったポーションって、今はないですよね」


 マグダレッタは口内のクッキーを飲み込んでから言った。ついでに次のクッキーを取ろうと、皿に手を伸ばしている。


「端的に言うと戦争になるからだな。もう何百年も前に世界協定で使用が制限されたんだ。今や命の木の実自体が御伽話のように語られているけれど、この世界のどこかのダンジョンで採取できると言われている。が、その採取も難しくてな。熟れた実しか、その効果を充分に発揮しないうえに、それが水に落ちた途端に溶けて消えてしまうらしい」

「水場の近くにその木があるということですか」

「綺麗で、魔力が豊富な水のそばでしか育たない木なんだそうだ。諦めて、石化を解いたすぐにポーションを与えるか、回復魔法師を待機させればいいんじゃないか?」

「それしかないですか」

「で、石化を解く薬の方はどうなんだ? 国王から許可が出たんだろう?」

「はい。ライナー領の動物に限り、石化を解く薬の実験を許可していただきました。明後日にライナー領に赴き実験を行います」

「私も共に行こう」


 驚くフィオレの表情を見てマグダレッタはニンマリ笑った。


「アルデガルドにくれぐれもと頼まれているからな。それに可愛い弟子を守るのが、師匠の役目じゃないか」

「それだけですか?」


 フィオレがくすくす笑った。マグダレッタもまた笑みを深くするが、ふいに真剣な顔を見せた。


「もちろん研究結果が気になるというのもある。だが、ロームの王宮が少しきな臭いみたいだ。フィオレもロームの貴族だろう? 何か聞いているのではないか?」

「なにか、とは……?」


 弟子の顔色を読むことなど、マグダレッタには容易いことだったから、フィオレが本当に何も知らないのだと知った。


「お前は社交デビューこそしたが、お茶会や夜会に出るより、研究をしているのが好きな娘だったね」

「ええ、今は夫公認で【塔】での研究ができるようになりました」


 晴れ晴れとして笑う弟子にマグダレッタは、安堵の笑みをみせた。


「元ライナー領の嫡男ベルノルトは、ずいぶんと色々な属性の魔法が使えるそうだね」


 紅茶カップに口を付けていたフィオレは、噴き出さないように細心の注意を払って飲み込み、そっとカップをソーサーに戻した。


「それは存じませんでした。私の研究ノートを工房から持ち出してくれるよう依頼をしましたが、別行動だったものですから、その現場を私は見ておりませんので」

「そうか。この噂の火元はガストンという町の顔役が酒場で酔って、ポロリと喋ったそうだ。それをたまたま聞いていた貴族家の家臣がいたようでね。冒険者で、それだけの遣い手ならば、普通は召し抱えようと動くだろう?」


 フィオレはこくりと頷く。


「調べてみると、元ライナー領主の嫡男だと分かった。記録を調べると社交デビュー前に市井に身を落とし、冒険者になったようだが初等貴族学校は出ていた。そこに記録されていた彼の魔力量と属性魔法と、噂と食い違いがある。となれば、何か秘密があるのではないかと疑っているのさ。まあ、その顔役の話が大袈裟に話していただけで、実は大したことがない可能性も捨てきれないそうだが」

「もしそんな魔法の遣い手であれば、【塔】もまた囲い込みたがるのでは?」

「そうなんだけれどね。記録上は【塔】がスカウトする基準にギリギリ届くだろうという程度の魔力量だし、彼はアルデガルドの弟子でもあるから。アルデガルドが言うには【塔】で大人しく研究するより、外を走り回るのが性に合う小僧らしい」


 フィオレは出会った二人を思い出して納得したように深く頷いた。


「彼を【塔】に迎え入れない理由は他にも色々とあるようだけれど、主にアルデガルドが抑えているからのようなんだ。まあ、それはいい。優秀な魔法使いの存在だけは把握しておく必要はあるがね。しかしローム王宮はどう出るか分からない。王は今のところ、元ライナー領を直轄領としているけれど、その領主に任命されたいと願っている家もあるようだ。他にも属性を増やす秘密があるのなら、それを我が物にしたい者もいるだろうし……」

「元ライナー領は強い魔物が多い土地です。南方の隣国との国境も近い。生半可な戦力では国防の要になれないのでは?」

「そうなんだよね。代々のライナー領主は、ずいぶん努力してきているんだよ。そこにきてベルノルトは魔法の素養のある人物だっただけに、王は彼に継いで欲しかっただろうけど、彼は今や立場が弱い冒険者だからね。一度貴族籍を失った者を再び貴族として取り立てるのは難しかろうね。【塔】の魔法使いであれば、どの国に行っても貴族相応の身分は保証されて発言力も認められる。アルデガルドがさっさと彼を【塔】に迎えいれていれば、風除けになったかもしれないがね。ライナー領主家の努力と献身を考えずに、豊かな土地から得られるものの金勘定しかできない貴族がいるってことだね。嘆かわしいことだ」


 マグダレッタはふぅとため息を吐くと、喉が渇いたのか紅茶を飲んだ。


「秘密を暴こうとする家からは、ベルノルトに監視が付けられているかもしれない。スカルラッティ伯爵家とリオーネ侯爵家が付いているとはいえ、彼にはまだまだたくさんの味方が必要だ。そしてライナー領の領民や、石化した領主夫妻の石化を解いた暁には、その功績が認められて、再びライナー領主を任ぜられるのではないかと恐れている輩からお前も妨害を受ける可能性がある。【塔】には、そういった貴族家と繋がりのある魔法使いがお前の研究を横取りしようとするかもしれない。だから同行しようと思ったんだ」

「ご厚情痛み入ります」

「さて、休憩はこのくらいにしよう。命の木の実だが、ひとつならば素材倉庫にあるのを使ってもよいよ。なんでも試してみよう」


 滑るようにマグダレッタの研究室の隣にある素材倉庫へと移動するマグダレッタの後ろを、フィオレが慌てて付いて行く。


「本当に良いのですか? さっきは……」

「外に出さなければ良いのだよ。昔、アルデガルドからもらったのを刻止めの魔法具に入れてあったはずだ」

「アルデガルド様はどこからそんなものを」

「あの人は魔法そのものを研究しているからね、時々攻撃魔法を使いたくてダンジョンに赴くらしい。そこで素材を拾ってくるのが趣味なんだ。私にも時々お裾分けしてくれるのだよ」


 ふふふとマグダレッタは艶やかに微笑んだ。


「さっさと実験を終えて、ライナー領のみんなを元に戻してベルン坊やを驚かせてやろうじゃないか」

「ええ、私も彼らには恩がありますから。驚いた顔が今から楽しみですわ」



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