閑話53 不完全燃焼の中(フェリクス視点)
1回の表が終わり、ネーデルラント代表側のダグアウトに戻ってきた俺はベンチの隅の方に力なく腰かけると思わず頭を抱えて項垂れてしまった。
1イニング打者8人に対して被安打3。四死球2。失点は……4。
球数は47球で既に監督から交代を告げられている。
50球以上投げて中4日空けなくてはならなくなるよりも、50球未満で中1日とした方がいいという判断と見て間違いない。
中4日だと決勝トーナメント1回戦に投げられない可能性がある。
俺はこの重要な試合でエースピッチャーとしての責任を果たすことができなかったばかりか、チームに多大な迷惑をかける降板劇となってしまった訳だが……。
恐らくそこで、もう1度チャンスを貰うことができるのだろう。
首脳陣に余計な苦心を重ねさせてしまったことが申し訳なくて堪らない。
個人的にも不完全燃焼としか言いようがなく、無念以外の何ものでもない。
試合前に宣戦布告しに行ったこともあり、忸怩たる思いが募るばかりだった。
「フェリクス、気持ちを切り替えろ。まだ今日の試合でも野手として挽回の余地があるし、そもそもここで負けたとしても決勝トーナメントには進めるんだ」
「……はい」
同じアムステルダム・ピングインスに所属する先輩投手のスティーブがフォローを入れてくれるが、そう簡単には割り切れない。
何故なら相手は同じ転生者。
それも自己を対象とした【生得スキル】しか持っていない男。
にもかかわらず、全てがうまく行っているように見える存在なのだから。
「くっ」
己の髪をぐしゃりと掴み、胸に渦巻く感情をどうにか落ち着けようとする。
前世の俺は……とにかく愚鈍な男だった。
いや、こうなっては今生も何も変わっていないのかもしれない。
優しさが取り柄だと言われた。
それを鵜呑みにした。
自分でもそれしかないと思っていた。
そもそも優しさというものの意味を履き違えていたのだろう。
俺のそれは、単なる弱さに過ぎなかった。
だから俺を優しい優しいと煽てる人間達に流され、都合よく利用されてきた。
そうして生きてきて、気づいた時には自分の手元には何もなくなっていた。
自ら誇ることのできる成果も何1つとしてないまま死に至った。
何の価値もない人間だった。
だから最期の瞬間、さすがの俺も自分のあり方は間違っていたのだと思った。
しかし――。
「ワシの世界の不具合を解消するため、お主の力を貸して欲しいのじゃ」
神を名乗る存在に死の淵から拾い上げられて、2度目の人生を与えられた。
その時、むしろ前世の人生は間違いではなかったのだと思い直してしまった。
あの弱さに起因した優しさは善で、だからチャンスが与えられたのだと思った。
……どうやら、それもまた単に都合よく利用されていただけだったようだが。
『馬鹿かお前は。アイツは俺に対して好きに生きろと言ったぜ』
それが分かったのはジャパンに倣って開催された国際親善試合でのこと。
金さえ積めば基本的にどことでも試合をするらしいメキシコ代表の転生者、エドアルド・ルイスと対面した時のことだった。
『この世界では野球選手こそが最も儲かり、崇め奉られる存在だともな』
もっと口汚い言葉で告げられたような気もするが、大まかにはそんな感じだ。
どうやら神を名乗るあの存在は、相手によって言葉を使い分けていたらしい。
その内容には決定的な嘘もないものの、真実を事細かに語っている訳でもない。
俺に対しては頼られると断り切れないこの性格も全て承知の上で、自発的に野球に従事するように誘導したのだろう。
前世の人生の報酬としての今生。
そう思いたかった俺としては信じたくなかった。
だが、このエドアルド・ルイスという極めて自己中心的な人物があの神を名乗る存在に選ばれて2度目の人生という機会を得ている。
その事実は何よりも確かな証拠だと言えた。
だから俺はまた、自分がいいように使われていたのだとこの時に自覚した。
だとしても、この男が正しい存在だとは思いたくなかった。
その後、オーストラリアの転生者ジョシュアと対面する機会を得た。
今生においてもネーデルラントはヨーロッパにおいて最初にオーストラリア大陸に到達した国家であり、それもあって比較的関係が深い。
そのおかげでオーストラリアとも親善試合を開催することができたのだ。
俺はその場で、告げ口をするようにエドアルド・ルイスについて非難した。
併せてジャパンのシュウジロウについても。
彼らは利己的な【生得スキル】の取得の仕方をしていると。
それは間違っていると。
同意してくれると思った。
同意して欲しかった。
【タイプチェンジ】という他人のための【生得スキル】を持つ彼には。
しかし――。
『貴様のそれは偽善にすらなり得ん。自らの行為がもたらす結果から目を逸らさんとする様は卑劣としか言いようがない。私を貴様と一緒にするな』
吐き捨てるように言われた。
『結局、貴様は搾取する側に回った。どれだけ言葉を尽くそうと、その事実は変わらん。ある意味、身勝手さを隠さぬエドアルド・ルイスよりも邪悪ですらある』
反論できなかった。
ジョシュアの言葉は真実だったから。
前世でも俺はネーデルラントの人間だった。
ネーデルラントは他のヨーロッパ諸国に比べれば割と野球人気は高い方ではあったものの、当然ながら国民的スポーツという訳ではない。
俺が好きだったのは多分に漏れずにサッカーだった。
正直、野球はルールもよく知らなかった。
それでもスポーツはスポーツ。それもチームスポーツだ。
ならば、仲間がいる。
1人だけが突出していたところで必ず勝てるというものでもない。
それがチームスポーツというものなのだから。
つまるところ仲間を集め、そして育てなければならない。
そのために必要なのは多量の【経験ポイント】だ。
そこまでは今生の母の胎内でステータスを操作していた時に窺い知れた。
だから俺は【経験ポイント共有】と【キャッシュバック】を選んだ。
仲間と全員で、最大限の効率で強くなるために。
しかし、それは罠だった。
そもそも、この世界のシステムに馴染みがなかったというのが大きい。
どうやら野球選手育成ゲームを基にしているらしいのだが……。
前世で俺がやっていたのはサッカーゲームぐらいのもので、少なくともそれにはポイントを割り振る類の育成モードはなかった。
だから、想像できなかったのだと思う。
【成長タイプ:マニュアル】以外の者に【経験ポイント】を奪われるその仕様に。
……あるいは、因果応報という奴なのかもしれない。
他人から搾取されていた前世の俺からすると象徴的だ。
何度生まれ変わろうとも、その立ち位置が変わることはないと突きつけられているかのようだった。
いずれにしても。
この【生得スキル】のせいで、初等教育段階でも中等教育段階でも野球チームに所属してから得た【経験ポイント】は全て他の誰かに奪われてしまった。
数人いた他の【成長タイプ:マニュアル】の子供達もまた。
俺達の【経験ポイント】は主力選手に割り振られたことで学校としてはまずまずの成績を収めていたが、当然ながら俺が誰かの目に留まるようなことはなかった。
だから高等教育の段階で学校を変えた。
野球の才能がなかった者達が入るような学校だ。
そこでようやく【成長タイプ:マニュアル】のみのチームを作ることができた。
始まりは同好会のようなチームだ。
もっとも――。
『貴様の情報は多少なり得ている。高等教育段階からの短期間で代表選手にまでなるには明らかに【経験ポイント】が足りない』
そう。タイミング的にもう間に合わないと思った。
神を名乗る存在の期待に応えられない。
当時は選ばれたと思い込んでいただけに、そのことが何よりも恐ろしかった。
そして至ってしまった。悪魔のような考えに。
それをジョシュアに見抜かれた。
『貴様は選別した。自らと数人を。それ以外の仲間達から【経験ポイント】を上納させ、一気にトップ層の選手となった。そして――』
彼は俺を侮蔑するように見て問うた。
『今もストックしているんだろう? 何人も』
何も言えなかった。
事実だったから。
俺はどうにかネーデルラント野球界のトッププロリーグたるホーフトクラッセで最も伝統ある球団、アムステルダム・ピングインスの一員になることができた。
【経験ポイント】を集中させた幾人かの選手も。
しかし、当然そこにいるのは【成長タイプ:マニュアル】以外の選手達。
再び【経験ポイント】を奪い取られ、俺達は徐々に衰えていく。
初等教育段階から中等教育段階の二の舞だ。
そうなるだろうことは容易く予想できていた。
だから俺は高等教育段階の間に「それ以外」の仲間に媚びを売った。
【好感度】を上げてチームメイトではなくなったとしても【経験ポイント共有】の対象として維持することができるように。
それは正にジョシュアの言う通り【成長タイプ:マニュアル】の選手の【経験ポイント】をストックとして確保することに他ならなかった。
『球団の全選手のステータス減少分を補填するには十分ではないようだがな』
俺のステータスを見ているのだろう。
少しばかり目減りして、そのままになっている数値を。
プロ野球選手でもない者の得られる【経験ポイント】はそう多くない。
となれば質より量。
少なくない人数のストックがある。
しかし、カンストに近いところからの減少分をカバーし切れていない。
『お前に誰かを身勝手などと罵る資格はそもそもない。そも、人間の性質はスキルなぞに左右されるものではないのだ』
ジョシュアはそう一方的に告げると去っていった。
それ以上の会話はなかった。
自覚はある。俺は矛盾している。
意図して目を逸らしている。心が不安定だ。
けれども、取り繕って誤魔化して生きることしか今の俺にはできない。
前世の、搾取されるばかりだった俺が今は図らずも搾取する側となっている。
そんな人間にもなりたくはなかったはずなのに。
相手ベンチを見る。
彼らが身勝手な存在であってくれないと。
そんな彼らに勝利することができないと。
俺はこれからどうしていいか分からない。




