323 キレたあーちゃんの害悪(?)戦法
どうやら、あーちゃんは相当に腹を据えかねたらしい。
まあ、彼女は俺や美海ちゃん辺りが絡むと喧嘩っ早いところがあるからな。
そして未だに正樹に口撃をしたりと、割と根に持つタイプでもある。
もっとも、それ以外のほとんどは野球のプレイでやり返しているので健全だ。
以前のイタリア代表との特別強化試合でもそうだった。
試合直前のやり取りでルカ選手の言動に腹を立てたあーちゃんは8球粘った挙句に、9球目に先頭打者ホームランをぶちかまして意趣返しをしていた。
だから、今回もムキになって無駄な力が入りやしないかと心配したのだが……。
――カキンッ!
「ファウルッ!」
今日の彼女は野球のルールの範疇で最大限にエグい仕返しをしようとしていた。
グループリーグ第3戦、日本代表対オランダ代表は第2ポットの日本が先攻。
第1ポットであるオランダは後攻だ。
故に、1番打者たるあーちゃんは試合開始と同時にバッターボックスに入った。
そして先頭打者のセオリー通り、1ボール2ストライクまではフェリクス選手の球筋を見極めるようにピクリとも動かずにボールを見送った。
しかし、続く4球目からは一変。
――カキンッ!
「ファウルッ!」
今のところ、ボール球以外は全てバットに当ててファウルにしている。
結果、フェリクス選手の球数は嵩んでいき……。
「これで13球目ね」
今日の試合への出場予定はないものの、ベンチであーちゃんの打席を見守っていた美海ちゃんが淡々とした口調で数えた通りとなっていた。
ちなみに、その13球の内訳は次の通り。
ストライク。ストライク。ボール。
ファウル。ファウル。ボール。
ファウル。ファウル。ファウル。ファウル。ボール。
ファウル。ファウル。
カウントは3ボール2ストライク。
追い込まれたまま徐々にボールカウントが増えていってフルカウントまで来た。
それでも尚。
――カキンッ!
「ファウルッ!」
「これで14球目」
あーちゃんはまだファウルにして粘っている。
待球作戦を超えたカット戦法。
イタリア代表との特別強化試合でも片鱗を見せていたが、彼女はそれを遥かに上回る状況を作り出そうとしている。
ここでミソなのは、あくまでもカット戦法であってカット打ちではないことだ。
勿論、カット打ちが制限されているのは今生でも高校野球だけの話。
日本プロ野球でも、このWBWでもルール上は許されている。
と言うより、この領域ではカット打ちなんてものを容易に実行できるはずもないから放置されている、とでも言った方が正しいかもしれないが……。
まあ、それでも余りにあからさま過ぎると反感を買うこともあり得るだろう。
強制的にバント認定されてアウトになる可能性もゼロではない。
だが、あーちゃんがそんな状況に陥ることは基本的にないはずだ。
――カキンッ!
「ファウルッ!」
「15球目。三振前の馬鹿当たりになりそうな打球ね」
何故ならば。あーちゃんは全てフルスイングしている。
今の球に至っては思いっ切り引っ張ってレフトポールの脇に叩き込んでいる。
つまりバットをとめたり、ただ当てに行ったりというようなことはしていない。
僅かなりとも力を抜いて打っているようには見えない。
キッチリ振り抜いて、その結果としてのファウルになっている状態だ。
実際に彼女がどういう意図を持っているかはともかくとして、傍から見ている人間がこれをカット打ちと呼ぶことはあり得ないだろう。
イタリア代表との特別強化試合の時は嫌がらせの意味もあり、わざと相手に伝わるようにしていた部分もあったのかもしれないが……。
今回は故意か偶然か曖昧にして、フェリクス選手を完全に潰しに行っている。
――カキンッ!
「ファウルッ!」
「16球目。今のは明らかにボール球だったわね」
さすがに痺れを切らしたのだろう。
オランダ代表バッテリーは、ボール球を投げて歩かせようとしたようだ。
しかし、外し方が甘い。
あーちゃんが踏み込んでバットを届かせ、またファウルにしてしまった。
「もっとハッキリした球を投げないと」
「だな」
ボールにしたければバットが届く範囲に投げる必要はない。
ウエストボールを投げれば済む話だ。
いくらあーちゃんでもバットを放り投げてまで当てに行ったりはしない。
そこまでしたら故意だとバレるからな。
と言うか、何なら申告敬遠でもいい。
打席の途中で申告敬遠に変更することも、ルールでは許されているのだから。
にもかかわらず、そうしなかったのは。
試合開始直後の先頭バッターに対してウエストボールを投げたり、申告敬遠したりするのはさすがにどうなのかという感覚があったためだろう。
あるいは試合前のやり取りであーちゃんにも何か反感を抱いている気配もあったし、逃げる形で四球にはしたくないという気持ちもあったのかもしれない。
いずれにしても、フェリクス選手が既に冷静さを欠いているのは確かだ。
何せステータスを見て対戦相手の能力を把握しているはずなのに、あーちゃんの持つスキルを失念してしまっているようなのだから。
【直感】という反則染みた【生得スキル】の効果を。
――カキンッ!
「ファウルッ!」
17球目。
ここまで来てようやくフェリクス選手も少し頭が冷えたようだ。
ベンチに視線をやり、それを受けて監督がベンチから出てくる。
そして――。
「あ。やっと申告敬遠したわね」
これ以上あーちゃんと対戦しても埒が明かないと思い知ったのだろう。
あーちゃんは申告敬遠を告げられて出塁した。
1塁ベースに向かう途中、フェリクス選手を鼻で笑うようにしながら。
「茜もエグいことするわね。WBWの舞台で」
2ストライクからファウルで粘って相手エースの球数を投げさせる。
正に言うは易く行うは難しの典型ではあるが、あーちゃんの【直感】を以ってすれば難易度はそこまで高くない。
加えて審判や観客にもカット打法とは思わせない、しっかりとしたスイングをすることで自身の意図を相手に確信させにくくしている。
この時点で人によっては害悪戦法と捉える者もいるかもしれないが……。
ことWBWにおいては、確かにそう呼ぶに相応しい効果もある。
「後48球。1イニング分無駄にしたようなものだわ」
WBWでは球数制限があり、グループリーグにおいてその数は65球。
1回表ノーアウト1塁。
この時点でフェリクス選手は17球投げてしまった。
最後、ウエストボールではなかったのも更に1球増やしたくなかったからだ。
目安となる1イニング15球で考えると、美海ちゃんの言う通りあーちゃん1人のために登板可能なイニング数を1減らされてしまったと見なすこともできる。
オランダ代表としては継投の想定を初っ端から崩された形だろう。
あちらのベンチでは1アウトも取っていない内から監督と投手コーチが焦ったように話をしており、動揺しているのが見て取れた。
「自業自得だ」
「彼女、怒らせると怖いもんね。くわばらくわばら」
正樹が呆れ気味に言い、昇二もわざとらしく身震いするような素振りを見せる。
見たところ、2人もあーちゃんの戦術に思うところは特にないようだ。
待球作戦にせよ、カット打ちにせよ。
俺としても無条件で忌避することはない。
ただ、高校時代の酷使で正樹は何度も怪我をしてしまっているからな。
選択肢の1つとしては頭の中にあっても、正直採用する気にはならなかった。
真正面からぶつかって勝った方が経験値になると思っていたのもある。
そのため、あーちゃんの行動は完全に自発的だ。
更には――。
「あーあ、未来も続いちゃった」
「倉本さんも、フルスイングでのカットうまくなったね」
「俺と対戦した時はやれてなかったのにな」
会話を続ける3人の口調に陰はない。
当時を昇華できているのもそうだが、ここはWBWグループリーグの戦いの場。
それこそ球数制限という絶対的なリミットが存在している。
球数が嵩んでも続投させるといったことは、そもそもルールで禁止されている。
それだけに、待球作戦やカット戦法を取ることへの心理的な障壁が甲子園の時よりも遥かに低くなるのは当然のことだろう。
――カキンッ!
「ファウルッ!」
そうこう言っている内に、倉本さんもフェリクス選手に10球投げさせていた。
カウントはまだ2ボール2ストライク。
2人連続で申告敬遠は回避したいという気持ちもあるのかもしれない。
倉本さんも歩けば1回の表からノーアウト1塁、2塁になる場面でもあるしな。
そして続くバッターは3番バッターの山崎選手。
その後には4番バッターの俺。
倉本さんでどうにかアウトを取りたいという気持ちも分からなくはない。
ただ、彼女も【軌道解析】という野球においてもチートとなるスキルを持つ。
【全力プレイ】や【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ】で補正されて尚【体格補正】では僅かに劣っているにせよ、コンタクト力という点では俺よりも上だ。
正直、シングルヒット相当であれば御の字とした方がいいと思う。
少なくとも俺が日本代表と対戦するなら3番バッター以降でアウトを取る方向で考えるし、あーちゃんと倉本さんの打席も球数が嵩んだらすぐに歩かせる。
俺はそこまで考えてから、もしかするとフェリクス選手は余り考えて野球をやっていないのかもしれないと思った。
ステータスに不安がなくなったのが高校レベルのステージからということは、イコール十分な場数を踏んでいないということにもなる。
それが祟って今もフィジカルゴリ押しで野球をやっている可能性がある。
実際、ここまで投球に何の工夫もなかった。
ともすれば、アマチュアの各ステージで荒波に揉まれてプロ野球に到達したであろう後続のピッチャーの方が老獪かもしれない。
……もしそうなら、彼にはとっとと降板して貰った方がいいのかもしれないな。
経験値的な意味で。
ステータスの比較でも、2番手以降のピッチャーは決して侮れないレベルだし。
そんなことを思いながら――。
「懲りないわねえ。結局、15球も投げて申告敬遠なんて」
「しょうがないよ、1回の表でノーアウトだし」
俺は既に今の段階で32球も投げてしまったフェリクス選手から視線を外し、ネクストバッターズサークルに向かう準備を始めたのだった。




