319 時差ボケ調整とアメリカ球場事情
「3月のロサンゼルスって結構あったかいのね。何だか気分も晴れた気がするわ」
WBW本選の開催地であるアメリカに到着した翌日。
調整用に日本代表に割り振られた現地の練習球場でウォーミングアップをしていると、美海ちゃんが心地よさそうに伸びをしながら機嫌よさそうに言った。
朝は時差ボケによる体調不良で何とも渋い顔をしていたが、グラウンドに立って練習を始めたことで効果を発揮したスキルがあったのだろう。
この調子なら、登板予定日までに万全の状態に持っていくことができるはずだ。
「今日は軽めの調整だけなのよね?」
「ああ。昨日の今日でフライトの疲れもあるし、時差ボケもあるからな」
スキルのゴリ押しができない選手達は普通に自らの回復力で体調を立て直さなければならないし、試合までの日程の組み方はそれを前提としている。
今日の様子を見て明日以降のメニューは変わるかもしれないが……。
さすがに10時間以上の移動を行った翌日の段階では、見た目には既に回復しつつある俺達も含めて様子見をするのが首脳陣としても無難な判断だろう。
そして時差ボケ解消には日光を浴びながら軽く運動するのがいいと言われていることもあり、今日に関してはその範囲でメニューが組まれているのだった。
「何より、ここは結局本番用の球場でもないし」
「……そういう部分でもアメリカ優位なのよね。WBWって」
「仕方ない。それも優勝国の特権だから」
「ウチらはこれから各球場の癖を把握しないといけないっすからね。まあ、アメリカ以外の国は皆同じ条件っすけど」
あーちゃんや倉本さんの言葉に内心同意する。
こればかりはな。
文句があるなら優勝しろと言われるだけだ。
「何にしても、そこら辺の適応力も国際試合では必要な能力なんだよな」
野球に使われる球場には当然ながら規格がある。
例えば内野の形状なんかは非常に厳格だ。
塁間の距離は27.431m(90フィート)とし、ベースを正方形の頂点に配置することが定められている。
ファウルグラウンドのフェンスまでは18.288m(60フィート)必要だ。
ここに抵触して問題になった新球場も前世では存在していた。
しかしながら、その規格には穴、という訳ではないが、緩々な部分が割とある。
特に外野のフェンスの位置や形状についてだ。
ホームベースから両翼までの距離は97.534m(320フィート)以上。
センター方向の距離は121.918m(400フィート)以上であることが野球規則上で一応は定められているが……。
右中間、左中間のフェンスまでの距離は76.199m(250フィート)以上であればよく、更にはフェンスの高さについても規定がない。
グラウンドの形状が左右対称の扇形である必要も全くなく、フェンスについても綺麗に円周上に配置しなくてもいい。
滑らかな曲線である必要すらなく、規則性もなく角ばっていたっていい。
前世の大リーグにおいて歪な球場の代表例としてよく取り上げられていた、高くそびえ立つ緑の怪物のような馬鹿高いフェンスを作ったって構わないのだ。
極論を言えば、外野が無限に広い球場を作ったっていい。
と言うよりも実は、野球の起源を考えるとその方が正しかったりもする。
これは完全に余談になるが、そもそも昔はフェンスなんてなかった訳だからな。
だから柵越えなんて存在せず、ホームランは全てランニングホームランだった。
観客を入れるためにフェンスで区切る必要が生じたに過ぎない訳で……。
そういった野球史的な部分も影響して、フェンスまでの距離は○○m以下のようなルールをつけ加えることもできないのかもしれない。
一方で興行的には可能な限りフェンスは近く、観客席は広く取りたいところ。
そうした部分からの制約もあって球場の大まかな広さは収束していくのだろう。
フェンスが歪になるのは限られた土地に対応した形状にするためだとか、変な形そのものがブランドになるとか、打撃傾向を調整するためだとか諸説あるが……。
さすがに話が脱線し過ぎているので、ここら辺にしておこう。
とにもかくにも。
これからアメリカでWBW本選に挑む俺達にとって最も重要なのは――。
「クッションボールの対応とか、慣れが必要だからね」
昇二が困ったように口にしたそれだ。
外野として守備につく機会も多い彼にとっては、大き過ぎる問題だろう。
「アメリカは特に変な球場が多いからなあ」
「とは言え、グループリーグで使うイヴェイダースタジアムは左右対称でやりやすい方だろ。ファウルグラウンドの形も割とスタンダードだし」
「まあ、それはそうだけど……それでも芝の感じとかは違うでしょ?」
基本的に内野を守るからか若干そっけない正樹の言葉に昇二が反論する。
グループDの戦いの場であるロサンゼルス・イヴェイダーズの本拠地のイヴェイダースタジアムは、左右対称で綺麗な扇形。
外野のファウルグラウンドの半分ぐらいのところで観客席が大きく張り出しているものの、そこは日本でも最近は似た形状が多くなっているので歪とは言えない。
ただ、イヴェイダースタジアムは総天然芝だ。
勿論、日本にもそう多くはなくとも総天然芝の球場もあるが……。
芝生の長さとか密度、その下の土の具合は完全に同じではない以上、球足やバウンドの仕方はその球場独自のものとなる。
その微妙な感覚が命取りになることもあるだろう。
それは何もアメリカに限った話ではないけれども。
「後、フェンスの材質とか高さとか、防球ネットの有無とかさ」
「アメリカのフェンスは総じて柔らかいらしいっすよね」
そこが違えばクッションボールの具合は間違いなく変わる。
芝生の影響が加わると、日本の球場とは明らかに異なった形で跳ね返って外野を転々と転がって行ってしまうような事態もあり得る。
それを捕り損ねようものなら、ランナーに1つ先2つ先の塁へと進むことをみすみす許してしまうことにもなりかねない。
それが勝敗を分ける要因にもなりかねない。
外野手のみならず、チームにとっても死活問題だ。
「ファウルグラウンドの方もファウルグラウンドの方で、ネットがない上にこうもフェンスが低いと簡単に打球が越えちゃいそうよね」
打球がフェアグラウンドでバウンドしてからスタンドに入るなどすると、2塁打相当のエンタイトルツーベースとなる。
日本だとファウルグラウンドの最前列の前には高いネットが設けられていることが多いが、アメリカだとそれがないことの方が多い。
観客の臨場感を増すためというのが主な理由だが、フェンスが低いことも相まってバウンドしたボールが観客席に飛び込んでしまう可能性が高くなる。
そういった部分も加味して守備をしていかなければならない訳だ。
ただ、まあ、正樹が言った通り。
イヴェイダースタジアムはアメリカ大リーグの球場の中でもやりやすい方だ。
むしろ、全球場の中で対応難易度は最も低いと言ってもいいぐらいだろう。
だから問題はグループリーグではない。
決勝トーナメントの方だ。
「クジ引きでアース・スピリッツ・フィールドになったらどうしよう……」
「あそこはホントに凸凹してるからなあ」
前世では緑の怪物を持つボストンの球場がよく知られていたが、フェンスの配置だけで言えばこのアース・スピリッツ・フィールドの方がおかしいと思う。
何せ、規則性がなく出っ張っていたり引っ込んでいたりするのだ。
余所の球団の選手は中々慣れないだろうし、ここを本拠地にしている球団の選手に至っては逆に他の球場に対応できなくなるんじゃないかとすら感じる。
正直なところ、昇二が嫌がるのも無理もないことだ。
「ただ、決勝トーナメントの球場はどこも左右非対称型の球場だからなあ。決勝戦の舞台になるバンクノート・パークも大概だし」
さすがにアース・スピリッツ・フィールドよりはマシだと思うけれども。
センターやや左の辺りに馬鹿デカいオブジェ(ホームの選手がホームランを打つと稼働するらしい)があり、それが微妙にグラウンドに迫り出しているのだ。
そんな球場を世界大会の決戦の場にしていいのかという思いもあるが……。
あーちゃんの言う通り、これもまた優勝国の特権というもの。
1度日本が優勝して、キッチリ綺麗な扇形の球場で可能な限り公平公正な場を整えれば今後のスタンダードも変わっていくかもしれない。
「それでも他の国に比べれば俺達はマシな方だろ?」
「まあな」
「インターンシップ部隊様様ね」
そういったアメリカの球場事情は有名な話だ。
この世界だと正確な寸法は公表されていないけれども、非対称で歪な球場が多いことは野球関係者であれば誰もが承知している。
だからこそ、インターンシップ部隊にはそうした情報も収集して貰っていた。
藻峰さんの【完全記憶(野球)】と五月雨さんの【瞬間記憶】。そして【俯瞰】。
それらを活用して球場の正確な寸法を把握し、近しい形状でフェンスを再現してクッションボール対応の練習を行ったりもしていた。
「ただ、当たり前のことだけど、あれは実物じゃないからな」
さすがに見ただけでは分からない部分、特に芝生の生え具合やフェンスの素材といったところまで同じにすることはできなかった。
どこまで行っても偽物に過ぎない。
実際の環境を正確に把握するには、結局は現地で試す以外にない。
「ええ。勿論、分かってるわ」
美海ちゃんは1つ頷いてから、表情を引き締めて続ける。
「だからこそ、事前に本番の球場で練習ができる日と試合直前の練習の時間でその辺の齟齬をキッチリ補正していかないとね。死ぬ気で」
「そのためにも、今は体調を万全に整えておくのが大事っす」
「ま、そういうことだな」




