318 渡米
日本はWBW本選グループリーグにおいてグループDに割り振られた。
グループDはまず西海岸、カリフォルニア州ロサンゼルスに本拠地を置くロサンゼルス・イヴェイダーズの本拠地球場たるイヴェイダースタジアムで試合を行う。
それを勝ち抜いて決勝トーナメントに進めば東に移動することになるのだが、戦いの場となる球場がどこかは現状まだ確定していない。
1回戦と2回戦は4つの球場で行われ、クジ引きの結果で変わってくるからだ。
決勝トーナメントで使用される球場は以下の4つ。
まずテキサス州アーリントンのアース・スピリッツ・フィールド。
次にテキサス州ヒューストンのアワーサーヴァント・フィールド。
ジョージア州アトランタのソーラーリライアンス・パーク。
そしてフロリダ州マイアミのバンクノート・パーク。
グループDの戦いの地たるロサンゼルスも含め、3月でも比較的暖かい球場だ。
余談だが、日本がWBWで優勝したら開催国になる。
もしそうなったら、南の方の球場やドームをチョイスすることになるだろう。
普段オープン戦で使っているからと言って、WBWで来日する温暖な気候の国の選手にとっても不公平感のない球場とは限らないからな。
次回開催までに座席数を増やす必要のある球場も出てくるかもしれない。
まあ、それはともかくとして。
WBW決勝トーナメントの1回戦と2回戦は先程挙げた4つの球場においてそれぞれ1日に1試合ずつ、3日間の日程で行われることになる。
つまるところ1回戦前半、1回戦後半、2回戦の3試合だ。
準決勝戦はアワーサーヴァント・フィールドとバンクノート・パークの2球場。
決勝戦は以前の大会と変わらずバンクノート・パークで行われる予定だ。
決勝トーナメント1回戦で前半の試合になれば5日間で4試合、後半の試合になると4日間で4試合。いずれにしても短期決戦となる。
50球以上投げると球数制限で中4日以上空ける必要があることから、1回戦で50球投げたら後はもう決勝トーナメントでは投げることができなくなる。
WBW本選は一層、選手層の厚さと投手の起用法が重要になる訳だ。
また、西海岸のカリフォルニア州ロサンゼルスから4球場の所在地へは最低3時間以上のフライトが必要で、2時間以上の時差がある。
特に西から東への移動となると時差ボケが厳しくなるらしく、長距離移動に慣れている大リーガーでも影響がないとは言い切れないと聞く。
それだけに、この距離的なギャップが決勝トーナメントにおいて不利に働いてしまうのではないかと懸念されていたりもしていた。
こうした体調管理もまたWBWの結果を左右する要素の1つだろう。
というようなことを、俺はロサンゼルスへと向かう飛行機の中で考えていた。
搭乗した機体は大統領専用機並に設備が充実した特別製の大型チャーター機。
それこそ日本のハイソサエティだけが搭乗することができるような飛行機だ。
今生においてWBW日本代表に選ばれるプロ野球選手は正に上流階級であることが、こうしたところからも再認識させられる。
正直なところ場違い感もあるが、俄成金染みた俺達が今いるのは正にそのハイエンドな機体の象徴のように設けられた機内バーラウンジだった。
「はあ……」
そんな最高級のくつろぎ空間にいるはずが、深く深く溜息をつく美海ちゃん。
「WBW地区予選の時に人生初の海外は経験済みだけど、やっぱりアメリカはアメリカを経験しないと意味がないわね」
彼女は手の持ったものの口をつけていないソフトドリンクをテーブルに置き直してから、落ち着かない様子で呟いた。
まだアメリカの地を踏んでないにもかかわらず、随分と入れ込んでいる様子だ。
彼女の言う通り、海外ということであれば既にWBW地区予選でいくつかアジア圏の国には足を踏み入れているのだが……。
やはり野球発祥の地は今生の世界の人間にとって特別なのだろう。
ある種の聖地巡礼と言ってもいいかもしれない。
「みなみー、今からそんなに緊張してると身が持たない」
体に無駄な力が入っている彼女に対し、あーちゃんが呆れ気味に注意する。
「そうっすよ。本番はまだ少し先っす。今は力を抜くべきっす」
続けて倉本さんもまた同じように諭すが、声色には緊張が見え隠れしている。
俺も正直に言えば少しソワソワしている。
何度かWBWを経験しているベテランも含め、他の選手達も同様。
完全にマイペースを保っているように見えるあーちゃんが異常なのだ。
「分かってはいるんだけど、ね。遂に本選まで来たから」
引きつり気味の苦笑いをしながら応じる美海ちゃん。
試合中じゃないと発動しないスキルがあったりなかったりすることもあって、移動中は若干精神安定の効果が乏しいからな。
更に初めてのアメリカともなれば、中々冷静ではいられないだろう。
そんな心のざわつきと向き合うにしたって、お空の上ではちょっと芳しくない。
こういう時は別の話題で気を逸らす方がよさそうだ。
「まあ、数日は時差ボケに対応するための調整期間になるんだから、その間の食事のリクエストでも考えてた方がいいんじゃないか?」
「WBW地区予選の時も何でも作ってくれたっすからね。栄養バランスも完璧に整えて。スタッフの皆さんにはホント頭が下がるっす」
「先人の積み重ね」
「ああ。昔は本当に食事で苦労したらしいからな」
前世では海外で活躍するための素養の1つとして、現地の食事を楽しむことができるというものが挙げられることもあった。
実際、食事が合わなかったがために体調管理が困難で調子が出ず、碌に結果を出すことができないまま終わった、なんて話は前世でもよく聞いた。
一方で、例えば前世のサッカー日本代表などはワールドカップには専属シェフを帯同させて食事面のサポートをして貰っていたそうだ。
当たり前過ぎて今更言うまでもないことではあるが、スポーツにおいて食事の充実はパフォーマンスを十二分に発揮する上で必要不可欠な要素だ。
今生においてWBWは正に国家の一大事なのだから、デフォルトで料理人がスタッフに組み込まれるのも当然というものだろう。
ただ、まあ。WBW開始当初からそうだったという訳ではない。
精神論が蔓延っていた頃は、内容はともかく食えればいいという思想もあっただろうし、そもそも保存や流通の問題で食材を入手できなかったりもした。
その辺りが大幅に改善したのは割と最近の話だ。
「陸玖ちゃん先輩達もアメリカに偵察に来て食事に困ったって言ってた」
「アメリカでは、安くて手軽なものは大概高カロリー高脂肪だって話っすからね」
勿論、探せばヘルシーな食事はいくらでもある。
アメリカは菜食主義者の人口だって世界トップクラスに多い訳で、その人達が食べているものが存在するはずなのだから。
実際、スーパーマーケットには色々な国の食材が置かれている。
日本のものだって当然ある。
とは言え、旅先で現地日本人が利用しているような店を的確に探し出し、尚且つ必要な調理器具が使える環境を構築できるかと言えば難易度が高い。
先立つものの関係もある。
世知辛いけれども、結果として近くのファストフード店でアメリカのステレオタイプなハイカロリーな食事で済まそうと考えてしまうのも無理もないことだろう。
「行く度に太ったって言ってたわよね」
「傍から見てる分には、そうは見えなかったっすけど……」
「頑張って運動したらしい」
「え、陸玖ちゃん先輩達が?」
あーちゃんの言葉に目を丸くする美海ちゃん。
陸玖ちゃん先輩はどちらかと言えば、実践より分析が好きなタイプだからな。
一応、中学時代は人数合わせ的に練習に参加して貰ったりもしたが、選手の頭数が十分に揃った高校以降は主にサポートに徹していた。
大学でも体を動かしているような感じはなかったが、アメリカに行って目に見えて体重が増えたことには彼女も強い危機感を抱いたようだ。
体型は人それぞれ適したところがあるとは言っても、アメリカで脂っこいものを食べたことでいきなり太ったとなれば明らかに健康にはよろしくないからな。
カロリーを消費しようと思い立っても不思議ではない。
「……折角だから、落ち着いたらまた皆で野球したいわね。何も考えずに」
「いいっすね」
「ん。それも悪くない」
「そうだな……」
特に俺は常に義務感でやってきたところがあるからな。
アメリカを打倒してWBW優勝を成し遂げたら、そういったものから解放されて純粋に白球を追う時間を作るのもいいかもしれない。
少し無言の時間が続く。
しかし、何となく穏やかな雰囲気が流れている気がする。
陸ちゃん先輩の話題のおかげだろう。
美海ちゃんと倉本さんの表情も随分柔らかくなった。
フライトは始まったばかりでまだまだ続くが、一先ずリラックスできたようだ。
「……さて。まだ10時間近くあるし、俺は少し仮眠を取ろうかな」
「そうね。私は映画でも見てようかしら」
「わたしはしゅー君に添い寝する」
「茜。飛行機の中でぐらい自重しなさい」
「シートが広いから2人でも余裕。他の選手と席を離して貰ってるから問題ない」
まあ、席は前の方から首脳陣、女性陣、俺を含む既婚者、そして独身者みたいな感じになっているからな。
そして座席もファーストクラスよりもゆったりとしていて、2人並んでも余裕があるぐらい広いのもまた事実ではある。
「これはパフォーマンスを保つために必要不可欠なこと」
「ホントこの子は、もう。屁理屈言って」
真顔で言うあーちゃんに、美海ちゃんが呆れたように嘆息する。
そんな普段通りのやり取りをして、より一層普段の精神状態に近づいたようだ。
美海ちゃんは背伸びをしてバーラウンジの席を立ち、自分の席に戻っていく。
俺とあーちゃんもまたその後に続いた。
「あ、そう言えば村山マダーレッドサフフラワーズの広報からSNSに上げる写真を撮っておいて欲しいって言われてたっす」
背後からそんな倉本さんの声が聞こえてきて、そう言えばそうだったなと思い出しつつもそれは仮眠明けにしようと座席を倒して横になる。
そして当たり前の顔で隣に入り込むあーちゃんに苦笑しながら俺は目を閉じた。
それから数時間後。
俺とあーちゃんが毛布に包まりながらくっついて眠っている写真が、村山マダーレッドサフフラワーズ公式SNSにアップされたのだった。




