閑話49 私達の息子(野村美千代視点)
村山マダーレッドサフフラワーズ2年連続日本シリーズ優勝。
その歓喜の輪の中心にいるのは私達の最愛の息子と義理の娘。
私達夫婦はそれをどこか幸せな夢を見ているような心持ちで見詰めていました。
2度目の経験ではありますが、何だかより現実味がなくなっている気がします。
「こんな人生を、送ることができる人間は、そういないだろうな」
「そうですね……」
隣から聞こえてきた夫の呟きに、私はしみじみと同意しました。
この日本にとって、秀治郎はかけ値なしに唯一無二と言っていい存在です。
そんな彼を息子に持つこと。
これ以上の特別があるとすれば、それこそ本人である秀治郎ぐらいでしょう。
あるいは、そのお嫁さんになってくれた茜ちゃんもでしょうか。
彼女が義理の娘というのも、それはそれで特別感がありますが。
「去年のあの時は、少し心配したけど、立ち直ってくれて、本当によかった」
「ええ。本当に」
健也さんが口にしたあの時とは、昨シーズンの交流戦で埼玉セルヴァグレーツの海峰選手の腕を粉砕してしまった時のことです。
あの日から度々口にしているのですぐに分かります。
年を取ると同じ話を繰り返すと言いますが、それだけ強く記憶に刻まれているということでもあります。
あれは恐らく、久しく訪れていなかった家族にとっての危機だったと思います。
勿論、秀治郎が故意にボールを当てたりした訳ではありません。
自然な勝負の中で、普通にバットとボールがコンタクトした瞬間のことでした。
己の限界を超えたかのような海峰選手のスイングと、秀治郎渾身のストレート。
それらがぶつかり合った大きな衝撃のほとんど全てが彼の腕へと向かい、復帰まで2ヶ月以上かかると診断された程の大怪我を負うことになったのでした。
ビジターゲームだったので画面越しの映像ではありましたが、マウンドで動揺して蒼白となってしまった秀治郎の表情は今でも時折瞼の裏に浮かびます。
健也さんも恐らく同じで……だからこそ、こうして何度も何度も確認をするように繰り返しているのかもしれません。
茜ちゃんがいなければイップスになっていたかもしれないとは秀治郎自身の談ですが、その後もしばらくは秀治郎の表情に影があったのも1つの要因でしょう。
海峰選手には色々とよくない噂もあり、怪我もあくまで試合中の事故。
そういったこともあって世間の目は厳しくはありませんでしたが、秀治郎にとってはとにかく怪我をさせてしまったということが衝撃だったようです。
そこから完全に立ち直ることができたのは健也さんのおかげとも言っていましたが、それは親を気遣ってのことではないのは間違いありません。
表情を見れば息子のことですから分かります。
去年の父の日に行われたファーストピッチセレモニー。
そこで健也さんは必死に練習を重ね、マウンドの上からキャッチャースボックスに座った秀治郎のところまでボールを届かせることに成功しました。
秀治郎はその1球の重さを噛み締めるように正面から受けとめてくれて、以降はより一層迷いなく野球の道に邁進していっているように思います。
「海峰選手の件が、不可避だったとすれば、俺の病気も、無駄じゃなかったな」
健也さんの投じたボールに重さが宿っていたのは、彼が4年程前に仕事中に脳卒中で倒れて危うく命を落としかけたからこそ。
確かにそのように考えることもできなくはないでしょう。
不幸中の幸いで九死に一生を得ることこそできましたが、その後遺症は依然として残っていて、病が発症する以前のようにスムーズに話すことは今もできません。
歩行についても、杖があった方が楽なのは確かです。
しかし、厳しいリハビリを乗り越えて、これでも随分と回復してくれました。
今の状態への慣れもあり、当時程にはもどかしさを感じてもいない様子です。
ですが、だからと言って大病を患ったことそれ自体が100%ポジティブな要素になるかと言えば、そんなことは決してあり得ません。
無駄じゃなかったと思い込みたい部分もあるのだと思います。
それでも――。
「幸せな人生だ」
健也さんは、その不幸な出来事を含めた今この瞬間に至るまでの道のりを丸ごと肯定しているかのような穏やかな表情を浮かべながら、そう断言しました。
「はい」
そんな彼に私もまた微笑みかけながら頷きました。
半身麻痺となった健也さんに勝る苦しみではないことは間違いありません。
それでも、彼が病に倒れた時は目の前が真っ暗になりました。
まだ高校に入ったばかりの秀治郎の未来が閉ざされてしまうのではないか、と不安でどうしようもなくなりました。
せめて秀治郎だけはこの身と引き換えにしてでも守らなければと考えつつも、精神的に追い詰められて憔悴してしまいました。
けれど、秀治郎は自らの力で自分のみならず、私達のことも支えてくれました。
情けなさも感じましたが、それ以上に誇りに思っています。
「素晴らしい子の親となることができて、本当に幸せなことです」
色々ありましたが、私もまた胸を張って幸福な人生だと言うことができます。
勿論、未来がどうなるかは分かりませんが、少なくとも今この瞬間においては。
全ては秀治郎という私達の宝物のおかげです。
孝行息子という言葉は、秀治郎のためにあるのかもしれません。
「まだまだ。これからもっと幸せになることができますよ」
と、健也さんと逆側から朗らかな笑顔と共に私達に言ったのは加奈さん。
秀治郎のお嫁さんであり、私の義理の娘である茜ちゃんのお母様。
茜ちゃん個人についても日本にとって特別な存在なのは間違いなく、同じ母親として似たような立場にあるとも言えるでしょう。
秀治郎の義理の母でもありますしね。
そうした家族としての親近感もあり、かけがえのない友人でもあり……。
私達の関係を表すなら、同士という言葉が最も適切だと思っています。
……振り返ると長いつき合いです。
偶然。本当に偶然、同い年の子供が保育園で一緒だった。
正にその子供同士が家族ぐるみのつき合いになるぐらい仲を深めてくれた。
その縁がここまで繋がった訳ですから、運命めいたものを感じてしまいます。
ありがたいことです。
「WBWでアメリカを倒して優勝して、そうしたら初孫ですよ」
「初孫……アメリカを倒して、から……?」
彼女がよく口にしていることではありましたが、WBW優勝の部分の規模感が余りにも大き過ぎて、毎度どうにも感覚が狂ってしまいます。
割と一般的なイベントがロードマップの後ろの方にあるのは不思議な感じです。
それこそ私達ぐらいしか経験することのできない特別な状況でしょう。
「確かに茜ちゃん、WBWで優勝することができたらすぐにでも引退するようなことを言ってはいますけど……」
前提が前提なので、正直なところ大分先のことのような感覚がありました。
常々秀治郎は公言していたWBW初優勝はアメリカ以外の国にとっての悲願ではありましたが、ほとんど空虚な夢物語でした。
私達も人生の半分以上をそれが当たり前の世界で生きてきた訳ですから、中々考え方をアップデートできるものではありません。
しかし――。
「秀治郎と茜ならきっとできますよ」
茜ちゃんのお父様である明彦さんは力強く言います。
実の娘の名前よりも義理の息子である秀治郎を先に呼んでいるのは、何も私達への配慮だけではないでしょう。
秀治郎のことも本当の息子のように思って下さっていることを知っています。
経営者の一族としてクラブチームを所有していて、だからこそプロとの大き過ぎる格差を私達よりも遥かにリアルなものとして理解していた彼。
その遠く儚かったはずの遠い夢を叶えてくれた秀治郎に、明彦さんは深く深く感謝しているのです。
一方で私達よりも余程野球の現実を知っている彼は、こういったことに関して安易な気休めを口にすることはありません。
可能性が低くとも、ゼロではないことを明彦さんは感じているのです。
であるならば、いえ、そうではなくても。
私達もまた、息子の頑張りを信じるべきでしょう。
「そうですね。全部うまく行って欲しいものです」
私達よりも秀治郎自身のために。
自ら掲げた打倒アメリカの目標を達成してくれれば私達も嬉しく思います。
そして、そうなれば初孫……。
私も遂におばあちゃんですか。
秀治郎は40歳手前で産んだ子供だったので年齢的に何もおかしな話ではありませんし、特に抵抗もありませんが、正直なところ悪くないですね。
むしろ楽しみです。
そうやって意識すると気が逸ってしまいます。
これでは加奈さんを笑うことはできません。
ですが、WBWを制覇することができなければ遠退くばかり……なんて、打倒アメリカにそんな未来を賭けているのは私達ぐらいのものでしょうね。
『村山マダーレッドサフフラワーズは2年連続の日本一を果たすことができましたが、年が明けて少しすればWBW本選が始まります。むしろここからが本番です』
シリーズMVPのインタビューを受けている秀治郎の声が山形きらきらスタジアム全体に響き渡り、私達はその言葉に耳を傾けます。
『今大会では落山監督の指揮の下、打倒アメリカ、WBW優勝を目標に掲げて戦い抜く覚悟です。そして――』
秀治郎は少し溜めてから高らかに続けます。
『WBW優勝の功績を以って大リーグの門戸を抉じ開けて、野球発祥の地であるアメリカに殴り込みをかけに行きたいと思っています!』
その強気な宣言に、観客達から割れんばかりの歓声が沸き上がります。
私達が初孫で浮ついている一方で、秀治郎はもっと先を見据えていたようです。
少々恥ずかしくなりましたが、そんな秀治郎を改めて誇らしくも思います。
彼は、私達には考えも及ばないような明日を作っていくのかもしれません。
だからこそ、この人生が続く限り秀治郎の道行きを見守っていきたい。
そう改めて強く思います。
『皆さん、これからも応援して下さい!』
「ええ。どんな時も応援していますよ、秀治郎」




