312 スパイ大作戦報告会②
目的はどうあれ、アメリカもまた他国の情報を積極的に集めている。
世界最強。常勝無敗の絶対王者のイメージにはないような慎重さで。
勿論、イメージは所詮イメージに過ぎない。
バンビーノ選手の言う通り、数十年単位で勝ち続けるとなれば油断のない用意周到さもまた必要不可欠なファクターではあるが……。
まあ、いずれにしても。
アメリカが俺達のことも注視していると明確化できただけでも、海外情報収集部隊は1つ成果を上げることができたと言って差し支えないだろう。
この事実は、今後の行動方針を考える上で非常に重要な情報だ。
「――えっと、どういうこと?」
さっき俺が提示したシフトの穴を突くバッティングとはまた別の側面からのシフト破りについて、それは一体何なのかと陸玖ちゃん先輩が首を傾げながら問う。
他の面々も同様の疑問を抱いているようで、全員の視線がこちらに集中する。
対して俺は、少し勿体ぶるようにしながら人差し指を立てて答えた。
「つまり相手の情報収集を逆手に取って、誤情報を掴ませてやろうってことです」
「誤情報……」
「はい。そもそも極端なシフトというものは、そのバッターの打球方向に関する情報が正確に、そして十分に蓄積されている前提で成り立っています」
「それは当たり前……って、成程。そういうことか」
更に言葉を重ねる必要もなく、陸玖ちゃん先輩は俺の考えを把握したようだ。
彼女は深く納得したように1つ頷いてから口を開く。
「確率のスポーツって言われるものは、基本的に統計的確率だもんね」
「ええ。まさしく」
一口に確率と言っても、いくつか種類が存在する。
その中でも、野球で扱われるのは正に陸玖ちゃん先輩が口にした統計的確率だ。
数学的なルールに基づいて計算される、いわゆる数学的確率とは異なる。
具体的に言うと「コインを投げて表になる確率が2分の1になる時……」みたいな設問に出てくるような確率ではないということだ。
統計的確率は、言うなれば「ある形の歪んだサイコロを1000回振って1の目が300回出た時……」みたいな設問の場合に問われている確率に近い。
乱暴な言い方をしてしまえば、結果からの逆算でしかない。
「もし間違った母集団を基にしていたとしたら……」
「そんな統計データには何の意味もないよね」
陸玖ちゃん先輩の言葉を引き継いで、五月雨さんが複雑な表情を浮かべて呟く。
そこを疑い出したらデータ分析なんてやっていられない。
分析を行う側としては余り考えたくない想定だ。
仕事で委託されて機械的にやる分には別に構わないだろうけど。
「だからこそ、例えば俺が今後の試合で意図して常に逆方向に打ち続けた場合、打球方向に関する情報の信憑性を無に帰すことができる……かもしれない訳です」
野球にしろ、他のスポーツにしろ。
勝利するためには、とにかく確率の高いプレーをしていくことが重要だ。
逆に言えば、相手選手も首脳陣もこちらがそれを実行してくる前提で動く。
その判断には当然、統計的なデータから導き出した確率も用いることになる。
しかし、もしも。その確率自体が誤った考えに基づいたものだったとしたら。
意図的に歪められたデータを仕込まれていたとしたら。
全ての前提が崩れ去ってしまうことになる。
そうなると、守備シフトは効果を発揮しないどころか逆効果にもなり得る。
誤情報の与え方によっては、自分にとって都合のいい守備シフトへと捻じ曲げることだって不可能ではないのだから。
「けど、急に打ち方を変えたりしたら不審に思われるんじゃない?」
「うん。普通にバレそう……」
「それでも情報に疑いを持たせることはできるはずです。それだけでも十分有用でしょう。何より、効果はシフト破りだけではありませんからね」
それこそバッターに対する配球だって変わってくるはずだ。
逆方向ばかり狙って綺麗に流し打ちを打ってくるような選手がいたとして、そんな相手に対して安易にアウトコースを投げるのは中々に躊躇われる。
意識的にせよ、無意識的にせよ。
インコース勝負を選択してくる確率を上げることができるはずだ。
それを思い切り引っ張れば、打球速度を上げて長打の可能性を高められる。
飛距離が伸びてホームランにもなり得るかもしれない。
そんな風に誤情報で相手の思考を攪乱し、誘導することによって。
自分にとって有利になる状況を作り出す訳だ。
勿論、そう都合よく簡単に行くとは考えていないけれども……。
こうした無形の力の積み重ねこそ、地力で劣る弱者の兵法でもある。
たとえ100%想定通りに嵌まらなくても、相手に僅かでも迷いを生じさせることができれば、それだけでも価値はあるだろう。
「そういう風に考えると、私達が集めてきたバンビーノ選手達の情報の信憑性まで怪しくなってこない?」
「それを疑い出したらキリがないですけど……俺達がこれから流そうとしている誤情報よりは余程信用できると思います」
「そう言える根拠は?」
「胸を張って言えることじゃないですけど……アチラは日本よりリーグ全体としてレベルが高いですし、代表選手同士が勝負することも割とあるみたいですからね」
そもそも、こういったことは照準を合わせているのがあくまでも短期決戦であるWBWだからこそ可能なことだ。
加えて、国内トッププロ内でのレベル差が桁違いに大きい必要もある。
レギュラーシーズンの中で自分のバッティングを崩すことなく、代表選手に選ばれる程度には成績を担保したまま、情報操作を長期的に継続して行う。
言葉にすれば単純だが、実現の難易度は非常に高い。
残念ながら俺の仲間達とそれ以外の平均的な日本人選手との差は現状、レジェンドの魂を持つ選手達と平均的な大リーガーのそれよりも甚だ大きいのが現実だ。
だからこそ、この情報戦に限れば俺達の方が容易に実行することができ、反対にアメリカにとってはハードルが高い策となる訳だ。
……弱さを誇っているようなものなので、全く喜べる話ではないけどな。
「可能性だけで言うなら全ての選手に通達して演じさせることもできるかもしれませんが、バンビーノ選手達が頷くとはとても思えませんしね」
それ以前に、自由の国を掲げるアメリカで野球選手に強要できるとも思えない。
独裁国家とかならあり得るだろうが、現実的ではない。
「そうだね。国家ぐるみで情報収集を盛んに行っていたとしても、彼ら自身がそういう小細工はしてくることはないと思うよ」
流れで陸玖ちゃん先輩に小細工と断じられ、思わず苦笑いが出てしまう。
しかし、まあ、事実ではある。
如何にも小市民らしい小物っぽさがある。
それだけに、それこそ絶対王者としての誇りがそのやり方を許さないだろう。
過去の記者会見などを見ても、真正面からのぶつかり合いを求めているはずだ。
その一方で。
他国に自分達と同じような考えを強要することもないと思う。
希望的観測ではあるけれども、野球のルールや理念に反しない限り、勝利のためにあらゆる手を打つことは歓迎してくれる気がする。
日本的に喩えるなら、立ち合いの変化も正面から受け止める横綱のように。
そんな勝手な予想が外れて反感を持たれてしまったとしても。
こちらのやることに変わりはない。
何やかんやと手を打っても、最後には直接サイクロン選手やジャイアント選手を打って点を取らなければならないことにも変わりはない。
「けど、そういうことで信憑性が揺らぐって考えると、データを妄信して振り回されないように注意しないといけないって改めて思うよね」
「大事なことです。意図した誤情報に惑わされる懸念もそうですけど、それ以前に単純に試合前までのデータでしかありませんからね」
それまで深刻な打撃不振に陥っていたとしても、その試合の第1打席で突然スランプから抜け出してしまうこともあるかもしれない。
実績がないと侮っていた相手が急成長していて、データを覆すかもしれない。
フィクションのデータキャラは往々にしてそういったものに屈することが多い。
その情報が実際にはどういうものなのか正確に把握し、適切に扱う必要がある。
数字は嘘をつかないとはよく言われるが、数字を使う人間はよく誤るからな。
結果として嘘になることも多々ある。
だからこそ、取り扱いは慎重に。
それを合言葉として掲げるように全員で共有してから、更に報告を続けて貰う。
とは言え、大枠での話以外はまだまだ情報の蓄積が必要という感じだった。
そうして報告会を終えて一先ず解散となったところで。
「ところで陸玖ちゃん先輩。アメリカでの野球観戦はどうでした?」
堅苦しい話としてではなく、単純に感想を聞くように軽い口調で尋ねる。
対して陸玖ちゃん先輩は、五月雨さんと顔を見合わせてから口を開いた。
「やっぱり、鳴り物がないのは独特な雰囲気だったかな」
「あっちは観客自身の歓声と拍手が基本だもんね」
「一応、特別強化試合はそれに準拠してやってましたけど……」
「多分、またちょっと違うと思うよ。何て言うか、無秩序だけど割とメリハリがあるような? 日本は秩序立ってて、ちょっと予定調和な感じがあるかな」
「その、やっぱり鳴り物と応援団の存在が大きいんだと思います」
陸玖ちゃん先輩の言葉に首を傾げると、五月雨さんが苦笑気味にフォローする。
「アチラは観客1人1人が応援団長のような感じで……目の前のプレイ1つ1つに素直に大きくリアクションしてる様子が見て取れました」
「そうそう。一応、7回に応援曲をかけるみたいな球団側からの働きかけもあるけど、個人個人が足し合わさって球場全体の雰囲気を作ってる印象だったかな」
「日本は、その、語弊があるかもですけど、同調圧力があると言うか……鳴り物で指揮をして統率して1つの集合体になってる感じです」
「成、程……?」
何となく、言わんとしていることは分かる気がする。
けど、体感しないとハッキリとは分からない部分かもしれない。
「だから特別強化試合もそれが抜け切ってなくて、こう、個人の熱を100%表現し切れてない感じがしたんだよね。多分、WBW本番はもっと色々激しいと思う」
あれはあれで相当盛り上がってはいたものの、本場アメリカの球場だとそれ以上があるという感じか。
「WBW決勝トーナメントの舞台はアメリカ。ピンチになったらブーイングも起こるはずだしね。敵地で追い詰めて、勝つんでしょ? 秀治郎君」
「はい。勿論です」
精神安定系のスキルもあるのでそれに動揺し過ぎることはないだろうが、こういう部分の慣らしもあった方がいいのは間違いない。
そう考えると、男性陣にそういったVRを作って貰うのもいいかもしれないな。
やはり選手のデータだけでなく、こういった現地観戦で体験した話も貴重だ。
だからこそ尚のこと、この情報収集は非常に重要だと胸を張って言える。
彼女達もまた、間違いなく打倒アメリカの仲間だ。
「陸玖ちゃん先輩。五月雨さんも。引き続き、よろしくお願いします」
「任せて!」
「が、頑張ります……!」
改めて頭を下げ、言葉を交わしてから別れを告げる。
そうして俺達はまた、それぞれの戦いの場へと戻っていったのだった。




