292 2番手ピッチャーの評価
1回の表。あーちゃんの先頭打者ホームランによって日本代表は1点先制。
続く倉本さんもヒットで続き、スコアは1-0でノーアウトランナー1塁。
そうした場面でアンジェリカ選手が迎えたのは3番バッターの山崎一裕選手。
彼は左のバッターボックスに入ると静かに構えを取り、深く息を吐き出した。
その様子を、俺はネクストバッターズサークルからジッと見詰めていた。
アンジェリカ選手は左投げで山崎選手は左打ち。
あーちゃんと倉本さんは右打ちなので、この試合初の左対左ということになる。
一般的には、ピッチャー有利とよく言われる組み合わせだ。
しかし、少なくとも山崎選手はそれを苦にするようなことはないはず。
この試合を観戦している人々もまた、そのように認識していることだろう。
左投手に強いことを示す数字が過去の打撃成績に刻み込まれているがために。
とは言え、それは少々危うい考え方でもある。
何故なら、根拠として使われた数字は安易に信用していいものではないからだ。
野球の成績は様々な要素が絡まった相対的なものが多い。
まあ、相手がいるスポーツは往々にしてそういうものではあるが……。
野球はとにかく指標が多過ぎる。
数字に騙されやすいスポーツと言うこともできると俺は思っている。
分かりやすいところを挙げれば高校通算本塁打。
これ程よく耳にしながらも信用ならない数字はないだろう。
多少なり野球を知っている者なら一も二もなく頷いてくれるはずだ。
何せ、地方大会で無名投手から打ったホームランどころか、非公式な練習試合で打ったものまで加算されている場合があるのだから。
そんな数字が当てになる訳がない。
だからこそ、何本打ったかよりもどこの誰から打ったホームランなのか。
プロのスカウトが注目するのは結局そういった部分だ。
サウスポーに対する得意不得意も似たようなもの。
左投げという大きな括りで判断するのではなく――。
「最低でもこのクラスのピッチャーを打たないと、その証明にはならない」
山崎選手に聞こえはしないだろうが、ネクストバッターズサークルから呟く。
主に自分自身に対して言い聞かせるように。
今や、彼の野手としての能力は世界を見渡してもトップレベルと言っていい。
今生の大リーグに放り込んだとしても十二分に通用するだろう。
だからこそ、そんな彼に課せられるハードルは並大抵のものではなくなる。
日本プロ野球の平均的な左投手が相手なら、今生のプロ野球選手達には申し訳ないけれども、当然のように打って貰わなければ困るのだ。
加えて言えば。
昨シーズンは頭1つ抜けた右ピッチャーの存在によって右腕の平均値を押し上げられ、球界全体で対右投手の打撃成績が悪くなっていた可能性もなくはない。
美海ちゃんに磐城君に大松君。
俺も半分はそうだ。
山崎選手の場合は特に、磐城君と同じリーグなので対戦機会もやや多い。
全体の打率として見ると微々たるものかもしれないが、左右に分けるとその影響が顕在化してしまってもおかしくはない。
仮にそうした要素によって対右投手の成績が悪くなっていたとして、それを以ってバッターが左投手に強くなったと言う者はいないだろう。
一方で俺やルカ選手、その他の転生者は【マニュアル操作】で対象のステータスと所持スキルを確認することができる。
そして山崎選手には左投手と対峙した時に能力が向上するスキルが複数あった。
これは比較的確度の高い根拠になるが……。
とは言え、100%信用できる訳ではない。
結局、最後はプレイヤースキルがものを言う。
スキル効果でステータスが強化されていても、それこそよく言われているように球の出所が見えにくいとかそういった要素で打てない可能性も十分ある。
ほんの僅かな誤差でミスショットが生まれるのも野球だ。
俺だってガチのレジェンド級左腕と対峙すればどうなるか分からない。
「その辺りも、この特別強化試合の中で試させて欲しいとこだな」
山崎選手は左に強い。
その証明は必要だ。
味方に対しては勿論のこと、敵に対しても。
WBWにおいて対左投手の戦力になることを。
あるいは、相手が左投手の起用を躊躇うような脅威を示さなければならない。
特に後者。
左が得意という情報を敵に意識して貰うことは非常に重要だ。
時に配球にも影響が出てくる訳だから。
実際、それを証明するように。
「ボールツーッ!」
アンジェリカ選手は山崎選手に対してアウトコースへのボール球を2球続けた。
イタリア代表バッテリーは彼のスキルを認識している訳ではない。
しかし、ルカ選手によって一定の情報は共有されているのだろう。
その上、パワーという点では前の2人を遥かに凌駕している3番バッターだ。
結果的に打たれたにせよ、ストライクを先行させることができた彼女達よりも警戒していることが、このボール先攻の配球からも透けて見える。
ただ、ランナーが1塁にいる上に次の打順は4番バッターの俺。
さすがに3球連続ボールとする考えはなかったようだ。
更には、なまじコントロールに優れているせいで。
――カキンッ!
「あっ」
3球目。インコース低めいっぱいに投じられたスライダー。
体にぶつかるような位置から入ってきたキレのあるフロントドアを、しかし、山崎選手は冷静に普段通りのスイングですくい上げた。
打球はライトスタンド一直線。
超集中状態でもなく、普通に配球を読み切っての一撃。
完璧なホームランだった。
「安易な四隅への投球はどこも同じだな……」
コントロール強者共通の課題だ。
特別強化合宿の紅白戦で美海ちゃんにも注意したばかり。
反面教師にしないと明日は我が身だ。
まあ、だからと甘い球を投げるのは恐ろしくて難易度が高いけれども。
言うは易しで、簡単にできれば苦労はしない。
とにもかくにも。
まず1塁ランナーの倉本さんが淡々とホームイン。
それから少し遅れて、山崎選手もまた特に喜びの表情を浮かべるようなこともなくダイヤモンドを一周してホームベースを踏む。
初回。ノーアウトのままスコアは3−0となった。
「……このレベルの戦いだと球速がとにかくネックになるな」
いくら左でもMax151km/hという最高球速は微妙に遅い。
今生の世界も今やそういう時代だ。
それこそ山崎選手クラスのバッターなら、変化球を待ってストレートを打つという天才にのみ許されたバッティングだって実践できるだろう。
トップクラスの変化球も併せ持つとは言っても、所詮は最高球速に準じた速さ。
【比翼連理】のバフがあっても、速度が遅いせいか、未だかつてない程のキレとは感じない。
四隅に来ると予測できていれば、このような結果になるのも不思議ではない。
緩急を作るにしたって、遅い球ともっと遅い球では効果が乏しいからな。
前世には球速が遅くともエース級の活躍を見せたピッチャーも存在したが……。
上手投げで、となると長い球史においても数える程しかいない。
それこそが困難さの証明になるだろう。
美海ちゃんについても、完全にナックルという特殊球が生命線だ。
次のステップを目指すにせよ、そこを軸にすることは変わることがないだろう。
アンジェリカ選手は……インフレした戦いで活躍するには少々力不足だ。
「やっぱりルカ選手に登板して貰わないとダメだな」
Max167km/hに多彩な変化球。絶対的なコントロール。
しかも左投げ。
アンジェリカ選手の完全上位互換と言っていい。
本気の彼を打ってこそ、左投手を苦にしないと胸を張ることができる。
「アンジェリカ選手には早く降りて貰わないと」
そんなことを考えながら右のバッターボックスへと向かう。
アンジェリカ選手とルカ選手が左投げなので、恐らく今日はずっと右打ちだ。
「さて」
バットを構え、マウンド上のアンジェリカ選手を見据える。
完膚なきまでに叩きのめすために、超集中状態に入る。
だが――。
「ボールッ!」
「っと」
警戒か、動揺か。
初球はシンカーがアウトコース低めに外れてボール。
「ボールツーッ!」
2球目はフォークがインコース低めから更に落ちてボール。
3球目はスライダーが高めに抜けて連続ボール。3ボール。
精神安定系のスキルも追いついていない様子だ。
このまま行くと、臭いところに投げてフォアボールでお茶を濁しそうだ。
「うーん……」
イタリア代表チームは2番手投手がこれでは厳しさがある。
転生者を含むチームがひしめくトーナメントで勝ち上がるには、3番手ぐらいまでは球速160km/h台のピッチャーが欲しいところだ。
この惨状を見れば、彼らも重く受け止めてそう考えるはずだが……。
そのためには、やはり【体格補正】に優れた投手を新たに育成するしかない。
しかし、それは普通に考えれば長期的な計画が必要になってくる。
それを念頭に置いた上で、次回WBWまでに彼らにできることと言えば――。
『貴方はピッチャーをやる気はないのですか?』
『は?』
アントニーノ選手に問いかけるも、訝しげな声を出すのみで返答はなかった。
【成長タイプ:マニュアル】である彼、あるいは彼らの所属球団であるキウーザ・カネデルリにいるもう1人のキャッチャーをピッチャーにコンバートさせる。
俺が今すぐ考えつく案はそれぐらいだ。
といったことを伝えようとする間もなく、アンジェリカ選手が投球を開始する。
再度超集中状態に入る。
4球目。
投じられたのはアウトコース低めからボールゾーンに少し外れるシュート。
もう次のバッターから仕切り直そうという意図だろう。
だが、そうは問屋が卸さない。
実質的には敬遠にもかかわらず、それを隠すために僅かに逸れてボールになったかのように見せかける球は昨シーズン散々経験した。
四球攻めを崩すためのバッティングは何度となく経験がある。
これぐらいの外し方では、その時の焼き直しになるだけだ。
――カキンッ!!
強引に踏み込んで振り抜いたバットは、真芯でボールの中心を捉える。
低い弾道の打球は、狙い澄ましたようにライトのポールを直撃。
それを見届けてから、俺はゆっくりと走り出した。
未だノーアウトのまま4-0。代え時だろう。
そう思ったが……。
「え、代えないのか?」
アントニーノ選手とルカ選手がマウンドに集まったのみで、イタリア代表チームのベンチに動きはなかった。




