286 信じるべきもの
もう【好感度】稼ぎどころではなくなってしまった俺は、黒井選手達に別れを告げるとロビーを離れて割り当てられたホテルの部屋にあーちゃんと一緒に入った。
そうして2人切りになったところで。
「しゅー君、大丈夫?」
彼女はいつになく心配そうに俺を見上げながら、そう尋ねてきた。
【以心伝心】が動揺の気配を伝えてきている。
いつもマイペースな彼女が大分珍しい。
「ん。うん。……ちょっと、な」
「悩みがあるなら言って欲しい」
周りに人がいた時は俺の意図を汲んでスルーしてくれていたようだが、さすがに看過できなくなってしまったようだ。
あーちゃんは真剣な口調で懇願するように迫ってくる。
「分かってはいるんだけど、どうにも整理がつかなくてさ」
真っ直ぐ見詰めてきた彼女の姿に若干の気まずさを覚え、少し視線を逸らす。
それでも彼女の肢体が視界には入っていて、ステータスの確認ができた。
あーちゃんの【好感度】は幼い頃から変わることなく100+のまま。
少なくとも【比翼連理】を取得できない原因が彼女にあるとは思えない。
やはり何かしら特殊な条件があるのか、俺に何か足りないものがあるのか……。
「……しゅー君。もしかしてアイツのせい?」
考え込んでいると、彼女は怒気のこもった底冷えするような声で尋ねてきた。
いつもボンヤリとしている目が、半ば闇に堕ちていそうな暗さを湛えている。
俺がこんな状態になったのはテレビでルカ選手を目の当たりにしたタイミング。
そのせいで、彼に全ての責任があるとあーちゃんは認識してしまったようだ。
「ち、違う違う。そうじゃないよ」
慌てて否定する。
切っかけはともかくとして、これはあくまでも俺の内面的な問題だ。
それで害敵認定されてしまうのは、さすがにルカ選手が可哀想だろう。
「ただ、その――」
しかし、色々と複雑な気持ちが胸の内に渦巻き、途中で言葉をとめる。
何と言うべきか、自分の心に対する不信感と疑問のせいで変に心細い。
無意識に、あーちゃんに向かって両腕を開くようにしながら伸ばす。
すると、彼女は一瞬驚いたように僅かに目を見開いた。
それから微笑みと共に俺の求めに応じ、正面からハグをしてくれた。
柔らかな感触と温もりに波立っていた心が幾分か落ち着く。
しばらくして言葉を選び終え、俺は改めて切り出した。
「……ちょっと、俺のあーちゃんへの気持ちが弱いんじゃないかって思ってさ」
そのせいで【隠しスキル】【比翼連理】を習得できないのではないか。
というところまでは言うことができない。
言うつもりもない。
それでも彼女には、問題の根幹が何なのか【直感】的に分かったようだった。
「そんなこと、絶対にない」
俺を強く抱き締めたまま首を横に振り、あーちゃんはそう断言する。
「ちゃんと伝わってる。しゅー君がわたしを愛してくれてること」
その声色には彼女からの愛情もまたハッキリ滲んでいたが、それに加えて【以心伝心】を通じて一層明確に感じることもできた。
同じように、あーちゃんにも俺の気持ちが普段から伝わっている。
その度合いもまた。
だからこそ、彼女のその言葉には確かな信憑性が存在していた。
「わたしがしゅー君を愛してるのと同じぐらい」
「……えっ、そこまで!?」
だが、続く言葉に俺は驚愕の声をつい上げてしまった。
それはいくら何でも過大評価過ぎるんじゃないかと思って。
「……それはどういう意味?」
対して、身長差で俺の首筋に顔を埋める形になっていたあーちゃんが顔を上げて唇を尖らせながら不満げに問うてくる。
そこまで好きじゃない、という風にも捉えられてしまいかねない返答だったか。
慌てて言い訳を考えて答える。
「いや、えっと。あーちゃんの好きって気持ちは……その、世界で1番と言っても過言じゃないぐらい強い、だろ?」
矢印が自分に対してのものであるだけに、間違っていれば自意識過剰な問い。
【以心伝心】や【好感度】の数値がある程度担保してくれているとは言え、そういうことを自分から尋ねるのはちょっと気恥ずかしかった。
「ん。当然」
しかし、あーちゃんは当たり前とばかりに断言する。
それこそが自分のアイデンティティと誇っているように自信満々だ。
「うん、だから。そんなあーちゃんと同レベルってのに少しビックリしちゃって」
俺がそう告げると、彼女は成程と納得したようだ。
じんわり伝わってきていた不満の気持ちが消えていく。
「……得てして人は自分のことは分からないもの」
今回の事例に適用できるかはさて置き、それはその通りだ。
自分も知らない自分を他人が知っていることは往々にしてある。
身近で親しい人なら尚更だ。
「しゅー君のわたしに対する愛情は、しゅー君が思っている以上に深い」
「あーちゃんがそこまで言うんだったら、そうか」
「そう」
強調するように頷いて肯定してから、あーちゃんは更に続ける。
「しゅー君はわたしを愛してて、幸せにしたいと強く思ってる」
「そこは疑ってないよ」
「ん」
キッパリと言い切った俺に、彼女は心の底から嬉しそうに微笑んだ。
問題にしているのは愛の有無ではなく、あくまでもその度合いだ。
そうでなければ結婚して夫婦生活を送るはずもない。
まあ、広く世の中を見渡せば打算的な関係もあるかもしれないけれども。
少なくとも俺とあーちゃんの間には確かな情がある。
「ただ、しゅー君は時々不安定。罪悪感とか義務感とかが顔に出る時がある」
【以心伝心】というスキルを自覚していない彼女は、あくまでも表情や雰囲気を読んで感じ取ったというような表現の仕方をする。
勿論、【以心伝心】によって伝わってくるものだけが全てではないだろう。
一般的な共感力に+αされているような形になっているのは確かだ。
もっとも彼女が普通の共感力を発揮できるのは極めて親しい相手のみだが……。
いずれにしても、俺に対しては的中率が一際高くなっているのは間違いない。
「しゅー君は結構頑固者。何度も何度も、わたしの人生は、幸せは、しゅー君あってのものだって言ってるのに」
実際、この前の食事会の時に先輩達の前で諭されたばかりだ。
にもかかわらず、この有様。
「こればっかりは、一生こうかもしれないな……」
頭では理解している。
それでもふとした拍子に顔を出してしまう。
ある意味【マニュアル操作】という他人の人生を左右する力を得た時点で、一生背負うことが定められた業のようなものかもしれない。
まあ、このスキルを使用した自分の責任でもあるけれども。
「だったら一生、隣で言い続ける」
「……うん。そうして欲しい」
頬に触れながら言うと、あーちゃんは当然と頷く。
彼女はしばらく俺の手に頬ずりするようにしてから再び口を開いた。
「けど、ずっと昔に比べると大分減った。しゅー君の変な罪悪感とか義務感」
「それは、うん。あーちゃんのおかげだ」
1つの大きな切っかけとして覚えがあるのは、割と近い話で去年のことだろう。
埼玉セルヴァグレーツとの交流戦で海峰永徳と対戦し、正に俺が投げた球が直接の原因で彼は左手有鉤骨骨折という大怪我を負った。
あの時、マウンド上で動揺を顕にした俺にあーちゃんは寄り添ってくれた。
言葉を重ね、深く沈み込もうとしていた心を引き留めてくれた。救ってくれた。
もし彼女が傍にいてくれなければ。
拭えないトラウマを植えつけられ、イップスになっていた可能性もある。
正に選手生命の危機だった。
「ん。内助の功」
あーちゃんの笑みに、まさしくそうだと思う。
正直なところ。
俺は前世とかステータスといった要素のせいもあって、この世界に生まれてから長いこと1枚厚い膜に隔てられたような感覚で生きていた。
どことなく画面越しに世界を見ているお客様のような気持ちもあった。
野球狂神とのやり取りもあって、シミュレーションゲームをやっているかのように両親やあーちゃん達とも接していた部分もなくはない。
あーちゃんに対する好きも、罪悪感や義務感に端を発したものとも言えた。
もう少しよく表現しても、最初は推しキャラクターぐらいのものだっただろう。
勿論、過去形ではあるが、全く褒められたものではないと思う。
それが自覚のある形で明確に変わったのが海峰永徳の怪我の時だ。
あの瞬間、世界を隔てていた膜は欠片も残さず消え去ったように思う。
彼女こそ俺の一生の伴侶だと認識しているし、純粋に愛情を抱いてもいる。
ただ、経緯が経緯だけに王道的では決してない。
ドラマ仕立てにしたら白眼視されても不思議ではない。
まあ、あーちゃんはあーちゃんで大分ズレたところもあるが……。
ともかく、割れ鍋に綴じ蓋としか言いようがない。
「……愛の形に正解なんてない。条件があるとすれば互いの幸せだけ。わたし達にはわたし達なりの愛がある」
【以心伝心】どころの話ではなく、思考を読んだように告げるあーちゃん。
だが、それは真理だろう。
少なくとも実態も知らない余所様と比較して引け目を感じる必要などない。
そう納得し、改めて彼女を少し強めに抱き締める。
「俺は、あーちゃんが俺を愛してくれてるぐらいあーちゃんを愛してるんだな」
「ん。その通り」
我が意を得たりと抱き締め返してくるあーちゃん。
であれば、今や俺の彼女に対する【好感度】も同じように100+だろう。
そして【比翼連理】の発生条件は恐らく【好感度】ではない。
いや、【好感度】も発生条件に含まれているかもしれないが、少なくとも俺達に足りていないのはそれではない。
何かよく分からないマスクデータのようなものがあるに違いない。
正樹の【雲外蒼天】にしても発生条件は『選手生命に関わる怪我を繰り返す』であって、厳密には怪我の度合いも回数も分からないからな。
そういった部分が【比翼連理】にもあるのだ。
それが本当に正しいかどうかは知り得ないが、そう思っておくとしよう。
そこまで考えて、ようやく心が軽くなった。
目を瞑ってそれを実感していると、ふと唇に何かが触れる。
瞼を開けると、あーちゃんが悪戯っぽく笑っていた。
「愛の確かめ方にも色々ある」
「……そうだな」
家族には家族の。親子には親子の。そして夫婦には夫婦の。
夜は始まったばかりだった。




