278 彼らの進化(トレース)
気合を入れてマウンドに登ったとしてもピッチングはあくまでも普段通りに。
サイン交換は無用。
俺が意図したコースとは別の位置にキャッチャーミットを構えてキャッチャースボックスに座っているあーちゃん目がけ、速やかに第1球目を投じる。
完全に彼女の【以心伝心】と【直感】の力を頼みにした、傍から見ている人々にとっては無茶苦茶な俺達のいつもの投球方法だ。
ストライクゾーン近辺であれば、あーちゃんはどんな球でも捕ってくれる。
ショートバウンドもお手のもの。
昨シーズンの捕逸は脅威の0だった。
それはキャッチャーとしての出場試合数=俺の登板数(50試合)と比較的少ないからという理由もあるにはあるが……。
いわゆるブロッキング。
比喩的に壁性能とも呼ばれているその能力は正にこの2つの【生得スキル】のおかげもあり、俺のそれを遥かに超えていると言っても過言ではない。
もっとも【以心伝心】の方は完全に俺限定ではあるけれども。
それこそ俺とあーちゃんのバッテリーであれば。
今まで1度も投げたことがない球を事前共有なしにいきなり投げたとしても、物理的に手が届く範囲であれば何の問題もない。
――パァン!
「ストライクワンッ!!」
まずは初球。
白組の先頭打者である倉本さんは、どことなく困惑したように見送った。
インコース低めいっぱいへの変化球。
あーちゃんが気持ちのいい音をうまいこと鳴らしながら捕ってくれたそれは、まさしく俺が実戦では1度も投げたことのない球だった。
とは言え、倉本さんが戸惑いを覚えた主な理由はそこではない。
初見ではなく、明らかに見覚えのある球。
変化の起点。そして軌道。
だからだろう。
彼女がこれに近い変化球を目の当たりにしたのは先般。
ブルペンのキャッチャースボックスの中。
あるいはシートバッティングなどでのバッターボックスの中でのことだ。
この球を投げたのは俺ではなく、大松君。
つまるところ、これは彼が今回の特別強化合宿で初披露した新球だった。
俺は今、それをトレースした訳だ。
そんな大松君の新たな武器の正体はチェンジアップの亜種。
サークルチェンジの握りから中指と薬指を縫い目に合わせ、中指をナックルのように立てながらリリースでは薬指をうまく使って回転を調整して投げる。
前世ではキックチェンジと呼ばれていた球だ。
スプリットよりも若干緩く落ちる。
比較対象がそれなので容易に察することができるだろうが、球種の括りはチェンジアップでありながらも比較的球速が出る。
しっかりと腕を振ることが求められ、そこの意識としてはストレートに近い。
大松君は昨シーズン終了直後からこれの習得に取り組んでいたらしい。
そして、僅か3ヶ月弱という短い期間で持ち球に加えるに至っていた。
ちなみに、彼はこれをOHMATSUチェンジなどと銘打っている。
その名称が定着するかは、この新球の活躍次第だろう。
まあ、それはともかくとして。
――パァンッ!!
「ストライクツーッ!!」
2球目。意図した抜けスラによるジャイロ回転の球がインコース高めに決まる。
続けて投じた球もまた大松君のトレース。
お馴染み(?)OHMATSUジャイロだ。
ただし、俺が投げたことによって本家を超えてしまっていた。
一体どういうことなのかと言えば。
大松君は一般的な日本のプロ野球選手と同様に【体格補正】のマイナス分が残っており、ステータスカンストでも球速は162km/hが上限。
一方で、俺は【全力プレイ】と【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ】のおかげで最高球速が170km/hに至っているからだ。
当然ながら【怪我しない】からこそメリットだけを享受できているのだが……。
俺の投げるOHMATSUジャイロは8km/h増しということになる。
最初のOHMATSUチェンジにしても本家より5~6km/h程度は速い。
トレースとは言いながらも、実質的にはアップグレード版だ。
勿論、ピッチングは速ければ速い程いいという単純な話でもないけどな。
……さて、次だ。
あーちゃんから返ってきたボールを手に一呼吸置く。
彼女は視線を1度倉本さんに向けてから、こちらを見た。
【以心伝心】が注意を促してくる。
「うん」
俺はそれに対してマウンド上から小さく頷いた。
倉本さんは2球目も見送る選択をした。
それは反応できなかったからではない。
一足飛びで理解してしまったが故に迷いが生じたのだ。
しかし、彼女はそこで1つ深く息を吐いた。
そして深く精神を集中させるように眼光を鋭くし、再びバットを構える。
冷静さを取り戻しているのがよく見て取れる。
ノーボール2ストライク。
追い込んだ形だが、ここでストライクゾーンに投げるのはさすがに躊躇われた。
俺達のストライク率は極めて高いのは、あくまでも圧倒的なステータス差故。
全て他の誰かが相手の、参考程度の数字でしかない。
今ここで対峙しているのは倉本さんだ。
ことコンタクト力においては仲間内で最強と言っても過言ではない。
そんな彼女と3球勝負を仕かけるのは正直なところ心理的に難しいものがある。
一先ず臭いところに投げて、引っかけてくれれば儲けものといったところか。
と言う訳で、インコース低めのストライクゾーンから落ちる球を投げる。
関係各所で名称に突っ込みを入れられている落ちるOHMATSUジャイロだ。
倉本さんが新球OHMATSUチェンジと混同しないものかと期待しての選択。
だが……。
「ボール」
倉本さんはキッチリと見極めてバットをとめた。
ボールはワンバウンドする。
あーちゃんはそれを全く危なげなく捕球していた。
ランナーがいないので別に後ろに逸らしても構わない状況ではあるものの、普段からしっかりブロッキングしてくれると安心感が全く違う。
躊躇うことなく厳しい球を投げ込むことができる。
そういったところからも彼女のキャッチャーとしての能力の高さが窺い知れ、世間一般にも広く知られていくことだろう。
まあ、相変わらず彼女に俺以外の球を受ける気はないようだけれども。
とは言え、この3球目。
ストライクゾーンから外れていることに変わりはない。
あーちゃんがどれだけ捕球力を見せてくれてもボールはボールだ。
カウントは1ボール2ストライクとなった。
それでも、まだボール球を投げる余裕はある。
4球目も落ちる球を続けていく。
次はまた球種を変えてスプリットだ。
「ボール」
倉本さんは、自らの【軌道解析】を頼みにして微動だにしなかった。
いい加減、彼女も自分の予測の精度は十二分に理解したと見るべきだろう。
如何に超常的なものであってもこれだけ積み重なれば現実だ。
特別強化合宿の紅白戦という割と特殊な打席においても、彼女はそれを信じた。
そうと確認できたことは非常に有意義と言える。
大松君トレースへの戸惑いももはや皆無だ。
それはいいことだが、こうなってくると。
もう力でゴリ押す以外に倉本さんを打ち取る手段がなくなってくるな。
やはりコンタクトという要素において【軌道解析】はチートスキルだ。
今シーズンの安打数も彼女には適わないかもしれない。
ともかく2ボール2ストライクの場面。
5球目は再びOHMATSUジャイロを選択する。
倉本さんの体を起こすことを目的に、これをインハイの更に厳しいところへ。
「ボール」
ここまでは外れても問題ない。
3ボール2ストライク。フルカウント。
6球目は170km/hの綺麗なフォーシームを対角線。
アウトコース低めいっぱいに全力で投げ込む。
だが、やはりと言うべきか。
前の1球は倉本さんにとっては効果が薄かったらしい。
彼女は迷いなく踏み込んで、淀みなく滑らかなスイングをした。
──カンッ!
流し打った打球は、しかし、直球の威力に押し込まれた結果だった。
打球の勢いは弱々しい。
それでも内野の頭を越えていく。
外野の前に落ちてライト前ヒット。
ノーアウトランナー1塁。
1回の裏もまたシングルヒットながら先頭打者が出塁した訳だ。
「……どうにかしてもっと詰まらせるか、わざと打たせて外野が間に合うとこまで持っていかせるってところか。中々難題だな」
思わず口の中で呟いたものの、味方の立場でなら非常に頼もしい。
倉本さんは間違いなく、WBWでも戦力になってくれるはずだ。
ヒットを打たれてしまったのは悔しいが、改めて確信を得ることができた。
今はそれでいい。
「切り替えていこう」
そしてバッターボックスに2番バッターの昇二が入ってくる。
3イニング右投げの俺に対し、彼は両打ちなので左打席だ。
セットポジションから1球目はシンカー。
今度は磐城君をトレースしたピッチングで変化量を調整し、アウトコース低めギリギリに行くと見せかけてちょっと甘いところに投げた。
「って、おいおい」
――カツン!
対する昇二は初球を打ち上げてしまってサードファウルフライ。
簡単に1アウトランナー1塁。
俺はその様に思わず嘆息してしまった。
昇二指針にも早打ちの傾向は指摘しておいたし、彼もまた自覚してはいた。
にもかかわらず、その傾向が更に過剰になってしまっている。
あるいは、俺が客観的に球界の至宝とでも言うべき存在になっているからか。
それとも直前でフルカウントまで行った挙句にヒットを打たれたからか。
その両方共か。
いずれにしても、まるで消耗させないように相手投手を助けるような早打ち。
これは本当によくないことだ。
「……反省会パート2、だな」
全く以って根が深い。
何か変化の切っかけが欲しいところだ。
そんなことを頭の中で考えながら3番バッターの大松君を迎える。
打順はクリーンナップに突入。
ここからも方針は変わらない。
主に磐城君と大松君をトレースしていく。
特に3番と4番の彼らには、己をモデルとした己以上の投球と対峙して貰う。
野村秀治郎はピッチャー野村秀治郎と対戦できない。
よく見かけるネタだ。
それと似たようなことは磐城君と大松君も言われている。
しかし、2人には。
本来戦うことのできない自分と戦い、それを乗り越えて欲しい。




