277 弱点の再確認
左のバッターボックスに立ち、大きく構えながら美海ちゃんを見据える。
そんな俺の視線には、恐らく以前村山マダーレッドサフフラワーズの紅白戦で対戦した時とは比較にならない厳しさが滲んでいることだろう。
少なくとも、マウンド上の美海ちゃんが思わず気圧されてしまう程度には。
俺が本気で打ちに来ていることは分かるはずだ。
知り合いとのガチンコ勝負それ自体は、彼女達も磐城君や大松君で経験済みだ。
ただ、俺とあーちゃんは基本的に味方だった。
まあ、そもそも不在だった場合もあるけれども。
今回は彼ら2人や昇二と同じ白組だが、俺とあーちゃんは揃って敵対している。
勿論、練習などで何度も敵側に回ったことはあったし、その時には彼女達も俺達との対戦を楽しめるだけの余裕もあった。
しかし、それらは所詮ぬるま湯の中での余興染みたもの。
精神的な余裕も仮初のものでしかなかったのだろう。
外の厳しい環境で自分を容赦なく打ちのめしに来られるのは初めてで……。
特にその事実に対して、2人は内心かなりのショックを受けていたようだ。
過去を振り返れば美海ちゃん達の人生を導くような立ち位置にあった俺。
女性プロ野球選手の同志であるあーちゃん。
美海ちゃん達にとって、俺達という存在は他の仲間達とは比べものにならないぐらいに大きいものだったのかもしれない。
そういった面では、正直まだまだ磐城君や大松君よりも甘いことが分かる。
何せ、精神安定系のスキルがいくつも作用した上でコレだ。
もしそれらがなければピッチングもままならなかったかもしれない。
そんな風に考えると。
WBW本番ではなく、こういう場で経験することができたのは幸いだった。
「ストライクワンッ!!」
初球のナックルを見送る。
インコース低めいっぱいに決まり、ノーボール1ストライク。
見た目の動揺に反し、スキルのおかげで動揺は最小限に抑えられている。
そのため、1球1球のクオリティに関してはほとんど影響が見られない。
けれども、そこから続く2球目は別の意味でマズかった。
「……後で反省会だな」
フォームはナックル寄り。
球種もナックル。
リリースの時点では高さはストライクゾーンの中心付近に来る軌道。
コースは外の明らかなボールゾーン。
だからこそ、俺は思い切り振りに行った。
……これはバッテリーの明らかな失態だった。
――カキンッ!!
「うあっす!?」
慌ててマスクを外して立ち上がった倉本さんが、愕然としたような声を上げる。
引きつけて振り抜いたバットは、アウトコース低めに来たボールを芯で捉えた。
見送ればストライク。
ゾーンいっぱい。
ナックルのブレをカバーするため、スイングは極僅かながらアバウトに。
ボールの中心から少し下をアッパースイング気味に叩き、打球は反対方向へ。
抜けるような青空に高く、大きく舞い上がってレフトスタンド一直線。
角度はバレルゾーンの上限近いところではあったが、打球速度は十分だった。
完全に打った瞬間。確信弾。
ボールはそのままスタンドの遥か上空を飛んでいく。
「マジっすか……」
倉本さんは、それをキャッチャースボックスで立ち尽くしたまま見上げていた。
マウンドの美海ちゃんもまた、振り返って打球の行方を目で追っている。
「さすがに分かりやす過ぎる球だったな。色々な意味で」
「……っす」
俺も少しの間バッターボックスに留まり、ボールが場外に消えていくのを見届けてから、倉本さんにそう告げて1塁へと駆け出した。
マイペースなあーちゃんは淡々と進塁しており、既に本塁に到達しつつある。
試合再開は俺の走塁待ちになりそうだったので、急いでベースを回っていく。
この打席は、能力的な部分よりも倉本さんのリードが明らかにマズかった。
たとえ精神安定系スキルでステータスの低下や緊張を緩和していたとしても。
それで正解の行動を確実に取ることができるかと言うと、また別の話になる。
今の攻防において、先程の選択は全くの悪手だった。
そんな分析を頭の中でしながらダイヤモンドを一周し、俺もまたホームイン。
1回表から紅組が2点を先制する形となる。
幼馴染のチームメイトに対しても全く容赦なく放たれた豪快な場外ホームラン。
しばらくの間、フォスフォライトスタジアム那覇の観客席はそれを目の当たりにした人々のどよめきで満たされていた。
「しゅー君を意識し過ぎ?」
割と近しい空気が流れているベンチに戻ってきたところで、あーちゃんが少し疑問気味の口調でこの結果になった要因を口にする。
対して俺は、若干苦笑気味に「そうだな」と頷いて肯定した。
1番バッターにあーちゃん。4番バッターに俺。
そういった打順は村山マダーレッドサフフラワーズでは非常に珍しい。
もしも昨シーズンのチーム状況で俺とあーちゃんをその打順で固定しようとすると、昇二と倉本さんを間に入れるか後ろに置く形となる。
前者の場合にせよ、後者の場合にせよ。
俺に対する申告敬遠の数が一層増えてしまうのは間違いない。
更に前者であれば、残念ながら後続が打ち取られてしまう可能性が高くなる。
後者もまた、2番と3番でアウトカウントが増えて得点確率が大幅に下がる。
だから結局、2番打者最強説を踏襲するような打順にするより他になかった。
一方で。
この紅白戦は今シーズンからのルール改正よりも厳しい申告敬遠禁止設定。
たとえ先程のように2アウトランナー2塁という状況で俺に打席が回ってきたとしても、勝負を避けるという戦術を選ぶことは許されない。
あーちゃんが出塁した時点で、バッテリーはそれを意識させられていたはずだ。
結果、最も信頼性の高いナックルのみで俺と勝負することに決め……。
その逆算で前2人のバッターへのピッチングを組み立てようとしていた。
恐らくはそんなところだろう。
まあ、俺を意識し過ぎてしまったのか、やや怪しい配球になってはいたけどな。
しかし、いずれにしても――。
「どこに行くか分からないからこそのナックルなんだよな」
「ん。みなみーとみっく。安易に四隅に投げ込んできてた」
それがこの打席におけるバッテリーの最大の失敗だった。
同時に俺や磐城君、大松君にもよく見られる問題でもある。
即ち、コントロールがよ過ぎてセオリー通りに投げてしまうことだ。
ボール球無用で勝負を急いでしまうことも挙げられる。
これらは既知の問題なので何度か提起していたりするのだが、改善は難しい。
と言うのも、低めの内か外に投げておけば普通は間違いないとされるからだ。
誰だって余計なリスクなんて冒したくはない。
セオリー通りに投げて打たれたと言い訳も立つし、とにかく楽ではあるからな。
常に誘惑に晒されているようなものだ。
とは言え、完璧に読まれてしまっては打たれるだけ。
それでは何の意味もない。
「あの軌道だと、どう曲がっても外角低めに来る」
あーちゃんの言う通り。
四隅縛りで投げようとしている時点で選択肢は4つに絞られる。
どれだけ変化量が大きくとも物理的な制約はどうしてもついて回る以上、リリース直後の軌道からおおよそのどのコースに来るか分かってしまうのだ。
外のボールゾーンから来れば、まあ、アウトコースいっぱいだろう。
ボールが上昇したりはしないから、やや半端な高さに来た時点で低めいっぱい。
リリースポイントからホームベースまでどれだけ無作為に曲がったとしても、ストライクなら最後の最後、ホームベース上ではアウトコース低めを必ず通る。
その辺りを狙って振っていけばいい。
勿論、これは相手の制球力への絶大な信頼があってこその読みでもある。
【マニュアル操作】によってステータスを丸っと見通している俺や、長年の経験から事実として受け入れることができている身内同士でもなければ難しいだろう。
特に今回に至っては不規則変化のナックルだからな。
「みっくの勘あってのことだけど」
彼女が【生得スキル】【軌道解析】を持つことを知っていなければ、そもそもナックルを制御することができるという考えにすら至らないだろう。
それでも、バッターが転生者ならステータスから把握できてしまうし、美海ちゃんの投球を分析すればナックルの異様なデータに気づくことも十分あり得る。
特に野球の最先端を走るアメリカ代表なら傾向を掴んでいても不思議ではない。
それこそWBWでつけ込まれかねない。
俺も含め、矯正していかなければならない部分なのは間違いない。
そう改めて確認していると――。
「しゅー君」
「ああ」
1回の表が終了したため、俺はあーちゃんに促されるままに立ち上がった。
5番の白露選手に対し、美海ちゃんは開き直って投げることができたらしい。
低めのスライダーを打たせてショートゴロ。3アウトでチェンジ。
スコアは2-0のまま1回の裏へと突入した。
「さて」
そして俺の投球練習が終わったところで。
白組の先頭バッターである倉本さんがバッターボックスに入る。
どうやら先程の1発は、しっかり彼女達に活を入れてくれたらしい。
バッターボックスでバットをゆったりと構えた姿から、倉本さんもまた落ち着いて集中できていることが分かった。
「プレイッ!」
だから球審のコールを受け、俺はすぐさま投球を開始する。
【軌道解析】を持つ倉本さんに対しては、スキルによる予測と自分の感覚とのズレが生じやすい変化量が大きく速い球を中心にテンポよく攻めるのが吉。
球種としては高速スライダー、高速シンカー、SFF。その辺りだ。
更に変化の度合いを微調整し、少しでも迷いを抱かせることができれば尚いい。
昨シーズン打点王かつ最多安打の倉本さんの攻略法はそれぐらいしかない。
バッターとしてのあーちゃんもまた然り。
といったことは、兼ねてからの2人にも1つの弱点として共有済みだ。
自覚して難易度も上がっているはずだ。
この第1打席目。それを踏まえて全力で挑ませて貰うとしよう。




