269 現地到着
「んーっ……ふぁ。さすがは沖縄。1月も暖かいわね」
那覇空港のチャーター機専用ラウンジから外に出たところで、美海ちゃんが1つ軽く伸びをしてから心地よさそうに表情を和らげて言った。
村山マダーレッドサフフラワーズは去年の春季キャンプを久米島で行っているので、それに参加した彼女達は当然2月の沖縄を体験している。
1月の沖縄は初めてではあるものの、気候的には2月と大きく変わらない。
少なくとも雪国である山形に比べれば、天国と言って差し支えない暖かさだ。
まあ、調子に乗って薄着になったりすると海風にやられて体が冷えてしまうこともあるようだが、適切な服装であれば快適に過ごすことができる。
スポーツをする分には何の問題もない。
「ん。春の気分」
あーちゃんは美海ちゃんに同意し、俺の隣で機嫌よさそうにしている。
「改めて雪国の不利を感じさせられるっす……」
その一方で、倉本さんは複雑な表情を浮かべながらしみじみと言った。
気持ちは分かる。気温もそうだけど、何よりも雪がな。
何年暮らしても本当に厄介だと思う。
勿論、ウインタースポーツをやる分には有利ではあるけれども。
野球に狂った世界であるところの今生においては、正直なところメリットとデメリットの釣り合いが全く取れていないと言わざるを得ない。
冬であろうと結局は野球が1番だし、大雪が降ってグラウンドで野球ができなくなったとしても代わりにウインタースポーツをやろうとはなりにくい。
屋内野球練習場や屋内バッティングセンターに流れ、そこが混雑して予約が取れなかったり、待ち時間に嫌気が差したりしたら巣籠が増えるだけだ。
だからと冬の需要に合わせて屋内施設を増やせば、今度は夏場に無駄が出る。
野球公園の数は多いものの、全体練習が難しい。
グラウンドが雪で使えなくなると、方々にしわ寄せが行って球児達の練習時間はどうあっても目減りしてしまうのだ。
「それにしては僕達全員雪国出身だけどね」
昇二がそう反証を口にするが、それは俺というイレギュラーがいるからこそだ。
もっとも、だから雪国の不利は絶対に覆すことができないと言うのは違う。
前世でも東北や北海道から超1流の選手達がナチュラルに生まれているからな。
あるいは、思考する力や反骨心を養うことができるのかもしれない。
さすがに雪による交通渋滞だけは百害あって一利なしだと思うけれども。
……まあ、雪国事情を愚痴っていても仕方がない。
「何にしても、さっさとホテルに向かおう」
「ん」
事前に予約して貰っていたジャンボタクシーに5人で乗り込み、宿泊先へ。
特別強化合宿は明日からのスタートだ。
スキルのおかげで移動の疲れは微々たるものだが、万全の状態で臨みたい。
今日のところはホテルでゆったりと休んで明日に備えるべきだろう。
「1月の特別強化合宿と特別強化試合で使う球場。空港から随分近いのね」
タクシーが動き出して少ししたところで。
3列シートの真ん中の列に倉本さんと一緒に座った美海ちゃんが、窓の外に見えてきた屋外野球場に視線をやりながら言った。
「ん。沖縄で多分1番いい球場。実際やりやすいとこだった」
対して、後列で俺にくっつきながら発したあーちゃんの言葉は経験者のもの。
俺とあーちゃんはあの球場に訪れたことがあり、他の3人はない。
そうであるが故の会話だ。
ちなみにホテルは球場にほとんど隣接している。
どちらも那覇空港から歩いて行こうと思えば行けなくもない距離ではある。
しかし、こんな俺でも今や知名度は日本トップクラスだ。
無用の混乱を避けるために飛行機もチャーター機だし、移動はタクシーとした。
と言うか、そういう指示を受けている。交通費は支給だ。
ただし、ここで練習するのは合宿期間の前半だけ。
後半になったら別の球場を使用することになっている。
宿泊先もそちらの近くのホテルに移動する予定だ。
「……こっちの球場でずっと練習させてくれればいいのに」
「まあ、そこは海外選手も来るし、しょうがないさ」
試合をする関係上、2月になったら練習メインで使えなくなるのは当然として。
海外代表チームも早めに日本入りし、この球場で練習する日程が組まれている。
可能な限り体を慣らし、良好なコンディションで勝負をするためだ。
一方で、選手間の交流はあくまでも試合だけ。
練習については互いに非公開ということになっている。
その辺りのノウハウはある種の機密だ。
だから、選手を近くに集めて余計な問題が起きないように配慮している訳だ。
「後半の球場は琉球ライムストーン球場だっけ?」
「ああ。よく愛知ゴールデンオルカーズが春季キャンプで利用してるとこだな」
助手席に座っている昇二の問いかけに、軽く頷きながら答える。
春季キャンプ招致のためか、沖縄県には設備の整った球場が多い。
琉球ライムストーン球場はその内の1つだ。
「試合をやる方は地元プロ野球球団の本拠地球場だったわよね?」
ホテルの前に停車したタクシーから降りたところで美海ちゃんが問う。
球場は本当に目と鼻の先にある。
道路を渡った反対側だ。
「私営3部ウエストリーグの沖縄クリアオーシャンズの本拠地っすね」
「球場の名前は確か――」
「フォスフォライトスタジアム那覇」
沖縄県唯一のプロ野球球団、沖縄クリアオーシャンズ。
そことは村山マダーレッドサフフラワーズが3部リーグに昇格し立ての頃に、練習試合やオープン戦で何度か戦ったことがある。
その時に訪れたのが、このフォスフォライトスタジアム那覇という訳だ。
しかし、さすがに1部リーグに昇格してしまってからは戦力差が大き過ぎることもあり、3部リーグの球団と練習試合をする機会はなくなった。
だから、3人はこの球場を訪れたことがないのだ。
そんなフォスフォライトスタジアム那覇はボールパーク系の屋外野球場だ。
季節がよかったからか、あーちゃんの評価通り割と使い心地がよかった。
3部リーグながらプロ野球球団の本拠地だけあって収容人数が結構多い。
公称30000人と、かつての山形きらきらスタジアムよりも上だ。
規定を満たしているので、日本シリーズに使うこともできる。
まあ、沖縄クリアオーシャンズの1部リーグ昇格という、より遥かに厳しい条件を達成しなければならないが。
一方で、特別強化合宿後半に利用する予定の琉球ライムストーン球場。
こちらは収容人数15000人と半分程度。
特別強化試合がフォスフォライトスタジアム那覇開催になるのは当然だろう。
ちなみに観戦チケットも売り出しており、既に完売しているそうだ。
それだけで海外代表チームを招致するのにかかった費用をペイできるかは分からないが、特別グッズも販売するとのことなので恐らく利益は出るだろう。
「入り口で話をしてても邪魔になるだけだし、早く中に入ろうよ」
「っと、そうだな」
昇二に促され、全員でホテルのエントランスホールに入る。
そのままフロントでチェックインし、それぞれの部屋に行く前に予定の確認。
「今日は夜に懇親会があるのよね?」
「……面倒臭い」
「茜っちは平常運転っすね」
「全く、大人になっても変わらないわ」
「いや、まあ、昔に比べれば大分成長したけどな」
未だマイペースなのは事実だが、これはそれこそ正樹と同じ。
身内への甘えのようなもの。
そのことは長いつき合いの美海ちゃん達も承知の上だ。
「ともかく。皆、部屋で寝過ごしたりしないようにな」
「ええ。秀治郎君こそ、ちゃんと茜を連れて来なさいよ?」
「分かってるって」
「心外。妻として夫の評判を悪くするようなことはしない」
「はいはい。じゃあ、また後でね」
そうして一先ず皆と別れ、一旦荷物を置くために割り当てられた部屋に入る。
俺とあーちゃんはダブルルームで美海ちゃん達は個室だ。
「……昔みたいに一発かます?」
「え、いや、それは……」
クラブチーム時代の村山マダーレッドサフフラワーズの練習に初めて見学に行った時のことを、彼女は言っているのだろう。
だが、当時の俺はどこの馬の骨とも知れない中学生だった。
大人の彼らに指導の真似事をするには、実力で圧倒する必要があった。
だからこそ暴言を吐いて勝負に持ち込むのは……まあ、かなり乱暴ではあったけれども、一応は有効だったと言えるだろう。
しかし、今の俺達には実績という確かな武器がある。
その言葉には一定の説得力がある。そして何より――。
「落山さんがいるし、必要ないんじゃないかな」
あの人が日本代表監督なのだ。
俺達が無理に和を乱すような行動を取る必要はないはずだ。
少なくとも、初手であの時のような暴挙に出るべきではないだろう。
「とりあえず、様子を見よう」
「ん。とりあえず、そうする」
不安な言い回しだが、まあ、彼女も無茶はすまい。
そう判断し、しばらく部屋で休む。
やがて時刻は午後5時45分となり、もう間もなく午後6時。
懇親会が始まる時間が近づいたため、俺達はその会場となるフォスフォライトスタジアム那覇の大会議室へと向かったのだった。




