260 オファー
下交渉の翌日。昼休憩の直後の13時。
俺は呼び出しを受けて、再び練習球場の会議室に来ていた。
そこで待っていたのは2人。
1人は昨日と同じくお義父さん。
もう1人は球団広報の関川さんだった。
面子を見れば、正に広報に関わる用件なのは間違いない。
詳しい内容は分からないが……。
だったら予想してやろうという気持ちが今日は湧かなかった。
申し訳ないが、可能なら早目に済ませて欲しいところだ。
何故かと言えば。
本日14時から落山さんが日本代表監督としての立場で緊急記者会見を開くという情報が、朝早くに飛び込んできたからだ。
こちらも中身は全く明かされていないが、だからこそ見逃すことはできない。
そのせいもあってか俺は若干気が急いてしまっていた。
そんな焦りを知ってか知らずか、お義父さんが早速口を開く。
「秀治郎。バラエティ番組への出演とCMのオファーが来たんだが、どうする。日本一になることもできたし、解禁するということでいいか?」
「え…………? あ、そ、そうでしたね! 解禁でいいと思います」
一瞬ピンと来なかったが、俺はすぐに理解して誤魔化すように頷いた。
解禁ということは即ち、それらを今まで禁止していたということ。
俺や幼馴染組に限っての話だが、スポーツメディアの野球に直結した真面目なインタビューなどを除いて当面の間は断ることにして貰っていたのだ。
1部リーグ昇格初年度は、さすがにプレイに集中すべきというのが主な理由だ。
勿論、あーちゃんや美海ちゃん達もそれには同意している。
無理強いはしていない。
尚、球団に情報を完全シャットアウトして貰っていたので、実際にシーズン中にオファーがあったのかどうかは分からない。
余談だが、俺達以外は特にその縛りをしていないにもかかわらず、あのスキャンダル以降は誰もエンターテインメント方面へのメディア露出はない。
勿論、自発的に断った可能性もなくはないが……。
そういうことであれば何かしら耳に入ってくるはずだ。
彼らに関しては、これといってオファーがなかったと見るのが妥当だろう。
ちなみにプロ野球選手は個人事業主だが、肖像権は日本では球団の管理となる。
プロ野球選手に仕事を依頼したいなら、基本的には球団の許諾が必要だ。
ユニフォームを脱いだ個人だと、ややこしくなるケースもあるようだが……。
とりあえず俺はマネジメント会社とは契約してないし、代理人もいない。
今のところ、窓口は村山マダーレッドサフフラワーズ一本だ。
っと、思考が思いっ切り逸れてしまったな。
「解禁はいいんですけど、内容はしっかり精査しないとですね」
「ああ。それは勿論だ」
「CMについては、一先ず社会的信用が高いところから選別する形でしょうか」
「それも当然だな」
「雑な判断をするなら、全国なら最低でも上場企業になる感じですかね。ただ、地元企業にはギャラも含めて条件を少し緩くしたいところではあります」
玉石混交で見極めにくいかもしれないけれども。
県内の企業であれば、経営者同士の横の繋がりもそれなりにあるはずだ。
そこはお義父さん達の判断に任せていいだろう。
……にしても、そうか。
オファーを受けて出演すれば、年俸とはまた別にギャラが入ってくるんだよな。
バラエティ番組やCMのオファーは全て断るようにお願いしたまま放置していたせいもあって、そのことは頭から完全に抜け落ちてしまっていた。
前世ではCMのギャラで年俸を超える副収入を得るプロ野球もいた。
世界最高峰の選手であれば100億円とも150億円とも言われていた。
今生でもさすがに野球とは全く別の部分での収入については税的な優遇を得られないため、国に思いっ切り毟り取られてしまうことになるだろうが……。
それでも下交渉で口にした散財の補填にはなるだろう。
何なら、もう少し別の部分に手を出す余地すら生まれるかもしれない。
そう。例えば――。
「秀治郎?」
「あ、すみません」
疑問気味に名前を呼ばれ、ハッとして顔を上げる。
棚から牡丹餅的な収入源を前にして、つい夢が膨らんで思考が逸れてしまった。
ちょっと慌てながら、お義父さん達に意識を戻す。
ええと、どこまで話をしていたんだったか。
「ああ、そうでした。問題ない企業のCM出演に関しては時間の許す限り受ける方向で。バラエティ番組出演の方は、なるべく地元優先にしたいです」
全国番組へのバラエティ出演には、正直そこまでメリットを感じないからな。
知名度なら今生では1部リーグの試合で活躍するだけで十分過ぎる程だし。
金銭面では、それこそCMと比べると拘束時間に対してギャラが少な過ぎる。
村山マダーレッドサフフラワーズを盛り上げるという観点で行くと、最も身近な地元ファンのために地元番組に出るという選択肢はありだと思うけれども……。
基本的には練習や研究をした方がいい。
「あ、でも、1つだけ出たい特別番組があります」
「特別番組?」
「はい。最近は正月に放送されているスポーツバラエティ番組です」
「ああ、あれか。あの番組からもオファーは来てたぞ」
「本当ですか?」
「本当だとも」
それはよかった。
できれば、この機会はものにしたい。
「しかし、どうしてあの番組にだけ?」
「今後の日本野球界のためになる仕かけができるかなと思ったので」
「仕かけ?」
「はい。その辺も含めて、こちらから番組内容について提案できないでしょうか」
「……まあ、余程変なことでなければ問題ないとは思うが――」
「大丈夫です。大枠を捻じ曲げようってことではないので」
本当にちょっとした提案だ。
全体の流れやMCを変えろとか、そういうことを要求したい訳ではない。
素人考えながら、既存の企画を少しブラッシュアップするものだ。
「可能であれば、出演するメンバーについても要望を出したいとこですけど」
「それも言うだけなら構わないだろう。受け入れられるかはまた別の話だけどな」
「はい。それは勿論です」
あちらにはあちらの事情があり、こちらにはこちらの事情がある。
番組出演は義務ではないし、あちらにも俺を出演させる義務はない。
交渉して擦り合わせをして、互いが飲める内容になったら契約を結ぶ。
どうしようもなければ断る。
あくまでも、それだけのことでしかない。
「なら、とりあえず提案と要望を教えてくれ」
「はい。まずは――」
一通り口頭で説明し、黙したままPCで議事録を作っていた関川さんがその内容についても高速タイピングで文書につけ加える。
後で一応確認させて貰うが、余すことなく先方に伝えてくれることだろう。
併せて、CMのオファーの取捨選択も行っていく。
それで結構な時間を食ってしまった。
チラッと壁にかけられた時計を見る。
13時57分。
そろそろ落山さんの会見が始まってしまう。
「……今日はここまでにしようか」
集中を切らした俺を見て、お義父さんは苦笑気味に話を切り上げた。
それから一先ず纏めに入る。
「何にせよ、今後はさっき言った条件に照らし合わせながら番組やCMのオファーを受けていくってことでいいな?」
「あ、はい。大丈夫です」
「よし。実はな。俺達も落山監督の緊急記者会見のために14時から時間を空けておいたんだ。WBW関連の話であれば、球団経営者にとっても重要だからな」
そう言いながら、お義父さんはノートPCを操作し始める。
「動画配信サイトの生放送で見られるそうだから、秀治郎もここで見ていくか?」
「いいんですか?」
「ああ。構わないさ」
その返事に甘えることにして、お義父さんの隣へ。
そこから小さめのディスプレイを覗き込むと、丁度緊急記者会見が始まった。
『本日は日本代表監督として1つご報告と発表をしたいことがあり、こうして会見の場を用意いただきました。どうぞ、よろしくお願いいたします』
落山さんは軽く挨拶をした後、すぐさま本題に入る。
『この度、来年9月のWBW地区予選、そして再来年3月のWBW本選に備え、この度特別強化合宿と特別強化試合を行うこととなりました』
「……それは割とよくある話だな」
お義父さんがPC画面を見ながら小さく呟く。
俺もそう思ったが、どうも話には続きがあるようだ。
『今回の特別強化試合は複数の海外代表チームとトップチーム同士で戦うこととなります。時期は来年2月を予定しており、直前の1月に特別合宿を行います』
「ふ、複数の海外代表チームとトップチーム同士で……?」
お義父さんが驚きで口をポカンと開く。
前世だったらいざ知らず。
今生は各国のトップリーグの選手で構成されたナショナルチーム同士は、WBWの場でもなければ対戦の機会はまずない。
互いに手の内を隠した親善試合はポツポツとあるものの、落山さんの口振りだと今回のそれはそういうことではないのだろう。
非常に珍しい、いや、初の試みかもしれない。
『打倒アメリカ代表にはより多く場数を踏むことが重要と考え、各国と交渉し、昨日ようやく調整が完了いたしました』
昨日の今日で発表か。
緊急記者会見という形なったのはその故だな。
『併せて、1月の日本代表特別強化合宿の候補メンバーを発表いたします。これは9月に行われるWBW予選の現時点での日本代表正規メンバーとお考え下さい』
「……事前連絡は誰にもなかったぞ」
チラッと俺を見るお義父さん。
こういうのは大概事前に招集する旨、伝えられると聞くが……。
一方で、サプライズ発表の場合もあるとも聞くんだよな。
特に今回はプレ招集みたいなもののようだし、後者の可能性も十分高い。
それに何よりも。
たとえ今日名前が挙がらなかったとしても、本番で選ばれていれば問題はない。
問題はないが、ちょっと心臓には悪いな。
『初めに投手、宮城オーラムアステリオス、岩中将志、背番号11――』
ピッチャーは背番号順に名前が呼ばれていく。
日本代表の背番号は普段のそれと必ずしも一致しない。
19が俺とも限らない。
『――東京プレスギガンテス、野上浩樹、背番号15』
「5人目。ま、まさか秀治郎を呼ばないなんてことは……」
『村山マダーレッドサフフラワーズ、浜中美海、背番号16』
「あ」
「おおっ」
それこそ事前連絡がなかった美海ちゃんの名前がここで呼ばれた。
つまるところ、完全サプライズの発表だったようだ。
『東京プレスギガンテス、大松勝次、背番号17。兵庫ブルーヴォルテックス、磐城巧、背番号18。村山マダーレッドサフフラワーズ、野村秀治郎、背番号19』
一気に来た。俺の名前も呼ばれた。
少しばかりホッとする。
背番号も合わせてくれたようだが、その配慮で無駄にドキドキしてしまった。
本番で選ばれていれば問題ないとか思っていた癖にと思わず自嘲してしまう。
『続いて捕手――村山マダーレッドサフフラワーズ、野村茜、背番号22。村山マダーレッドサフフラワーズ、倉本未来、背番号39』
「あ、茜も……」
「倉本さんは、美海ちゃんを選んだんなら当然か」
『最後に外野手――村山マダーレッドサフフラワーズ、瀬川昇二、背番号2。宮城オーラムアステリオス、山崎一裕、背番号7』
「さすがに正樹君は選ばれなかったか」
「どうあれ、日本シリーズの2打席しか立ってませんからね。仕方のないことだと思いますし、むしろありがたいです」
場数を踏むという落山さんの方針には反してしまうが、正樹はそれこそギリギリまで隠しておきたい隠し球だ。
あるいは、その辺の考えも汲んでくれたのかもしれない。
場数という意味では、正樹はアマチュアで日本代表経験もあるしな。
「それにしても、村山マダーレッドサフフラワーズから5人も日本代表入りするとは。しかも、本当に茜まで……」
感無量といった様子のお義父さん。
かつてのあーちゃんを思えば、そうもなるだろう。
「広報戦略も修正が必要ですね」
関川さんもまた、明らかに興奮している。
まあ、あくまでも現時点のであってWBWに出場できるとは限らないが……。
ここで敢えて水を差す必要もない。黙っていよう。
日本代表に選ばれることはゴールではない。
何度目になるかは分からないが、新たなスタートラインと思うべきだろう。
打倒アメリカ。WBW制覇。
ここからが正念場だ。




