259 散財計画
出来高契約の達成条件として実際に設定されるのは打席数や登板数が多い。
何故かと言えば、それ以外の項目に対して事細かに条件をつけてしまうと、選手が来シーズンの活躍を信じられていないと捉える場合があるからだとか。
それによって契約更改が拗れてしまうのを避けるための対処法という訳だな。
とは言え、これは土台となっている年俸との兼ね合いもあるだろう。
人件費を抑えたい欲が度を越し、条件を尽く達成してようやく適正を少し上回るぐらいの金額を球団が提示しようものなら、不信感を抱かれても不思議ではない。
逆に年俸が選手にとって十分納得できるもので、そこに更にボーナス的な形で出来高が上乗せされているのであれば何の問題もないはずだ。
今年の俺なんかはその一例に加えて貰っていい。
しかし、それはそれとしても――。
「……随分と項目が多岐にわたっていますね」
タブレットの画面に向けていた顔を上げ、見たままの感想を口にする。
一通りリストを確認してみたが、とにかく条件が細かく設定されていた。
「今シーズンと同程度の成績を今後3年で継続的に残した場合の年俸の上昇幅をシミュレーションし、カバーできる出来高になっているものと自負しております」
「複数年契約は不慮の事態に備えたもの。出来高は秀治郎が継続して活躍する前提でのもの。勿論、俺達は後者をフル活用して存分に稼いで貰いたいと思ってる」
少なくともお義父さんの言葉は本心だろう。
それに対して俺は1つ頷いてから、改めて画面に目を落とした。
提示された出来高契約。
その具体的な例を挙げると、まずはシーズン10勝毎に5000万円。
シーズン30本塁打毎に5000万円。
シーズン50打点毎に5000万円。等々。
盗塁や四死球の項目もある。
当然と言うべきか、ほとんどはシーズン毎の個人成績を条件としたものだった。
それ以外に設定されているのは通算記録。
通算勝利数25勝毎に1億円。
通算100勝達成で2億円。
通算150勝達成で3億円。
通算200勝達成で4億円。
通算50本塁打毎に1億円。
通算200本塁打達成で2億円。
通算300本塁打達成で3億円。等々。
節目節目で何かにつけて加算しようという意思が感じられる。
非常識な数値だが、俺にとっては大盤振る舞いと言ってもいい。
とりあえず今シーズンと同じ成績を来シーズンも残すことができれば、出来高分がおおよそ25~30億円ぐらい年俸にプラスされる計算となる。
もっとも、来年はシーズン中である9月頃にWBW予選がある。
日本代表に選ばれればチームを離れる期間が出てくるので、実際は10~15億円程度の上乗せに留まるだろうけれども。
WBWがシーズン中にない再来年であれば更なる加算も狙えるはずだから、結果的に単年契約の場合と同じような推移で1年毎に増えていく形になりそうだ。
「如何でしょうか」
「そうですね……」
正直なところ、その金額の社会における価値という意味では既に現実感の乏しい領域に入ってしまっているので反応に困る部分もなくはない。
とは言え、野球ゲームのペナントレースモードの契約更改フェーズの感覚で。
異次元の成績を残してはいるもののルーキーイヤーであるところのプロ野球選手野村秀治郎の評価として妥当かどうかということなら、特に文句はない。
お義父さんが球団社長を務める村山マダーレッドサフフラワーズなので信頼はしていたが、それにしっかり応えてくれたと言っていいと思う。
「十分だと思います。当日、これを出していただければその場でサインします」
俺がそう告げると、編成部の査定担当はあからさまにホッとした様子を見せた。
普段尊大な態度で職員の人らに接したりはしてこなかったはずだが……。
金額が金額だけに彼らもナーバスになっていたのだろう。
こちらとしても下交渉がつつがなく済んで安心した。
「スムーズに話が進んで少し時間が余ったな。何か他に言いたいことはないか?」
「あ。であれば、少し相談したいことが」
編成部の査定担当の表情に再び緊張が走る。
「いや、年俸の話ではないですよ」
その変化に思わず吹き出しそうになりながらも、何とか堪えて否定する。
さすがに僅か数秒でちゃぶ台を引っ繰り返すつもりはない。
彼らがそれを理解してくれたのを表情を見て確認してから、俺はお義父さんに視線を戻して言葉を続けた。
「その使い道の話です」
「……それをこの場で?」
好きに使えばいいと暗に言うお義父さんだが、生活費としては余りに多過ぎる。
繰り返しになってしまうが、もはや小市民には非現実的な金額だ。
ほとんど資産形成ボードゲームの感覚になりつつある。
勿論、1から10までそのノリで考えている訳ではないが……。
余剰資金となる部分は球団や今後の日本野球界のために利用したい。
とは言え、金額は勿論のこと、内容の規模感も並ではないものが含まれている。
個人で手続き等々行うのは容易なことではない。
3人寄れば文殊の知恵ではないが、色々と詳しい人の知恵も借りたいのだ。
そういった考えを多少要約し、実際に口にして伝える。
「理解はしたけど、少し怖いな。一体、秀治郎は何をしたいんだ?」
「はい。まず個人的に完全オーダーメイドで作ったピッチングマシンの同型機を更に何台か購入して村山マダーレッドサフフラワーズに寄贈したいというのが1つ」
これは割とすぐに対応できるし、対応すべきだと思っている。
本番さながらの質の高い練習をするには、やはりレベルの高いピッチングが可能なバッティングピッチャーが必要不可欠となる。
今もたまに俺がマウンドに上がったりしているが、この体は1つしかない。
【怪我しない】で無理が利くとは言え、さすがにゲージを並べて同時に何人もバッティング練習、みたいなことはどう足掻いてもできない。
同レベルの球を投げることができる選手としては正樹がいるものの、さすがに投手としては実戦復帰していない彼に負担をかける訳にはいかない。
チームの打撃力を世界レベルにまで引き上げるには、やはりあの魔改造ピッチングマシンを利用するのが手っ取り早いだろう。
それを目にした他球団がメーカーに問い合わせて導入してくれれば尚いい。
「次にデータ解析ツールを活用するための機器を備えた練習球場を作りたいです」
「秀治郎の意見を取り入れて新球場には完備しているはずだけど、それを練習時にも使用したいということか?」
「はい。球団の練習もそうですが、可能ならアマチュアにも貸し出しできたらと」
少なくとも前世では、とあるプロ野球選手がポケットマネーから2億円出して子供達のためにスタジアムを建築したという話もあった。
前世ではスタットキャストが有名なデータ解析ツールと計測機器、高性能な高速度カメラやトラッキングシステム、ドローンなど合わせて数千万円というところ。
それをしっかりと活用できる人材は育成が必要としても、設備に関しては球場も含めて大体5億円もあれば一通り揃えることができるだろう。
運用は陸玖ちゃん先輩達に頼むことができればベストだ。
そうして山形県に野球選手育成の一大拠点を作れたらとも思っている。
「後、酸素カプセルとか疲労回復効果が見込める機器も揃えたいですね」
酸素カプセルは病院にあるようなハイグレード品で数百万円。
これも数台は欲しいところ。
データ解析ツールと共に怪我の予防にも役立ってくれるはずだ。
ただ、そうなると置き場に困るので設置するための建物も必要になってくる。
いっそリラクゼーション施設みたいな形にして、一般的に広く利用できるようにしてもいいかもしれない。
「そして最後に」
「まだあるのか?」
「はい。ある意味、1番大事なことかもしれません」
「……それは?」
恐る恐るという感じに問うてくるお義父さん。
彼も経営者とは言え、私財でここまで豪快に散財したことはないはず。
そんな反応になるのも当然だろう。
まあ、それはともかくとして。
使い道の最後の案についてだ。
「先天性虚弱症の子を主な対象とした病院を作りたいと思っています」
俺がそう言うと、お義父さんはハッとしたような顔になった。
「秀治郎……」
幼い頃のあーちゃんを思い浮かべたのだろう。
お義父さんは深く感じ入ったような声を出す。
編成部の人達もまた感心した様子だ。
そんな彼らに対し、俺は少々罪悪感を抱いてしまった。
お義父さんはいいように捉えてくれたが、正直打算的な部分が大きいからだ。
先天性虚弱症は生まれる前のステ振りで【Total Vitality】に【経験ポイント】がほとんど割り振られてない状態を指す。
そしてそれは【生得スキル】を取得したが故である可能性が高い。
症状が重ければ、更に【成長タイプ:マニュアル】ということも十分あり得る。
といった理屈で、人材の確保が目的の1つとしてあった。
そんなちょっとした気まずさを誤魔化すように咳払いをしてから口を開く。
「その、まずは30~40人ぐらいの規模から始めていきたいと思ってます」
病院は今生では定員1人当たりザックリ3000万円かかると聞いている。
とりあえず、税金を除いた手取り分で対応できる人数はそれぐらいだろう。
勿論、詳細は諸々見積もりを取ってからだ。
「……分かった。むしろ可能な限り手伝わせて欲しい」
「お願いします」
真剣な表情で告げるお義父さんに頭を下げる。
彼も先天性虚弱症のために何かできることがあればと常々思っていたのだろう。
誰しも頭の中ではやりたいこと、やるべきことを色々と考えているはずだ。
しかし、個人では普通それを叶えられるだけの財産を持っていない。
自分の判断のみなのでフットワークは軽いものの、それを活かすことは難しい。
一方で企業は取り扱うことのできる金額は大きいものの、資金繰りは勿論のこと回収計画までしっかりと立てていなければ走り出すことができない。
一般論として巨額の投資に対しては初動が鈍くなるものだ。
そこへ行くと俺という存在は大変便利だ。
小市民の感覚が強くて生活費は控え目。
結果、余剰資金を大量に持つ個人。
箱物を作るにせよ、赤字上等で問題ない。
来シーズン以降の年俸で補填できるし、確実に維持費だって賄える。
俺が金を出し、運用はその手のプロに丸投げ。
正に適材適所というものだろう。
「来シーズン以降、何か他にいい案があれば提案いただけると助かります」
「あ、ああ」
その依頼に対しては再び若干の戸惑いが滲んだ答えが返ってくる。
もし無私の人だと感じたなら、とんだ勘違いだが……。
何はともあれ、この場で話したいことは話すことができた。
実に有意義な下交渉だった。
「では、今日はありがとうございました」
そうして俺は、満足感と共に練習球場の会議室を辞去したのだった。




