256 トラウマ?
「はあ……かつてなく厳しい戦いだったわね……」
インペリアルエッグドーム東京から羽田空港に向かうバスの中。
疲労困憊といった様子で言う美海ちゃんだったが、その表情には微かな笑みが浮かんでいて口調にも充実感のようなものが見て取れた。
最終的に、今日は5失点(自責点5)ながら9回完投勝利。
いずれにしても、終わりよければ全てよしという感じだった。
勿論、最後まで踏ん張ってよく投げたとまず褒められるべきなのは間違いない。
しかし、もし論功行賞を行ったら第3功といったところだろう。
第1功はと言えば、満場一致で代打逆転満塁ホームランの正樹になるはずだ。
実際、あれが決勝点となってヒーローインタビューにも呼ばれていたからな。
東京プレスギガンテスは9回裏に大松君が意地の3打席連続ホームランを放ったものの、丁度イニングの先頭打者だったこともあって反撃はその1点まで。
結果として、日本シリーズ決勝ステージ第2戦のスコアは6-5。
数字的には大接戦。
村山マダーレッドサフフラワーズは1点差の辛勝だった。
美海ちゃんにとっては、過去最も苦しい試合だったのは確かだ。
何ら過言ではない。
援護点も少なく、代打満塁ホームランまでは追いかける展開もあったしな。
「結局、大松君を抑えられたのは最初の打席だけだったし、まだまだだわ」
「やっぱり一筋縄じゃ行かないっすね」
悔しさを滲ませるような内容の倉本さんとの会話にも、どこか爽やかさがある。
試合に負けた挙句の反省と、勝った上での自省は気分的にも全く異なるものだ。
精神的な余裕が天と地程も差がある。
「大松君も敵になると脅威だよね。味方だった時は頼もしかったけど」
「それは、うーん……」
美海ちゃんが首を傾げながら唸る。
昇二の発言に今一同意できない部分があったらしい。
「実力は認めるけど、正直なところ頼もしさを感じたことはなかったわ」
「普段から言動がアレっすからね。けど、敵に回すと厄介なのは間違いないっす」
大松君も、高校最終年の甲子園では間違いなく突出した成績を残していた。
だからこその歴史的なドラフト競合となった訳だが……。
そういった部分と頼もしさとの間に相関関係は生じなかったようだ。
当時2部リーグながら既にプロで活躍していた俺の存在も、あるいはそれを妨げてしまう1つの要因として考えられるかもしれない。
それはともかくとして。
この日本シリーズ決勝ステージにおける美海ちゃんの初登板。
ドーム球場で登板する際の新たな武器としてイーファス・ピッチもどきを用意してきた訳だが、大松君クラスが相手だとさすがに奇策の域を出なかったようだ。
美海ちゃん自身が口にしたことだが、結局のところ大松君を抑えることができたのは初回だけで以降の打席は全てホームランだった。
この試合の彼の打撃成績は4打数3安打3本塁打5打点。
つまり今日の東京プレスギガンテスの5得点。そして美海ちゃんの自責点5。
それらはいずれも大松君のバッティングによるものだった。
試合には勝ったし、相手チーム全体にも総合的には勝ったと言っていい。
しかしながら、大松君個人には完全敗北してしまった。
本日の美海ちゃんの登板を端的に論評するならそうなる。
「ナックルがもっと使えればね……」
「あの日のインペリアルエッグドーム東京と比較すると雲泥の差ではあったっすけど、それでも微妙な揺れ具合だったっすからねえ」
さすがに日本シリーズで小細工はできないからな。
バレたら球界追放ものだ。
なので、試合そのものは公正と信じていい。
それでもビジターゲームという不利は当然あったし、何よりもナックルは環境が安定しているドーム球場とは少々相性が悪い。
やはり美海ちゃんの力を十二分に発揮させるには、ナックルのパフォーマンスが最大となる環境で登板させるのがいい。
なるべく屋外、尚且つ風の影響が大きい球場で起用していきたいところだ。
「でも、これで2連勝ね。後は山形に戻って、明後日から山形きらきらスタジアムで3連戦。そこで決着がつかなければ、またここに戻ってこないといけない、と」
「そんなのは嫌っすよ。折角だから、地元で日本一を決めたいところっす」
村山マダーレッドサフフラワーズの関係者は誰もが同じ思いだろう。
精々運営会社の中に、さっさと2連勝して貰って勝利の美酒を味わいたい派閥と1回でも多く試合して球場施設の売り上げを確保したい派閥があるぐらいだろう。
ちなみに日本シリーズには参加した選手が得られる分配金というものもあったりするが、それは4試合の売り上げを基にして計算される。
そのため、俺達は4試合やろうと7試合やろうと報酬が変わることはない。
「選手は懸命に試合に臨むだけ。勝敗はその結果」
「ま、そういうことだな。アッチに戻っても本気で勝ちに行くだけだ」
あーちゃんの言葉に同意してから、視線を昇二へと移す。
彼は何を言われるか察してか、少しばかり目を逸らす。
「それで昇二。磐城君との勝負もそうだったけど、あのバッティングはどうしたんだ? 前ははぐらかされたけど、今度はちゃんと答えてくれ」
「あ、えっと、それは……」
何とも言いにくそうに目線を揺らす昇二。
まだ躊躇いがあるのなら、もう少し追い込んで自白させるしかないか。
「実は試合後すぐに陸玖ちゃん先輩と五月雨さんにお願いして、昇二のバッティング傾向で変化点を調査して貰ったんだ」
「ええ……?」
そこまでする? と言いたげな表情を浮かべる昇二だったが、首脳陣の一員としては当然やるべき最低限の仕事だ。
少なくとも前世であればそう。
不調な時は、そうでない時との違いを探る。
そうすることができれば、改善の方向性がハッキリ見えてこようというものだ。
「で、さっき返信があったんだけど――」
「えっと、早くない?」
「2人共優秀なのもそうだけど、分かりやすかったんだろう」
手荷物からタブレットを取り出し、ファイルを開いて示す。
それによると――。
「カウント別打率の数字に違和感があったらしい」
「カウント別打率?」
「厳密には、カウント別打率を算出するための打数、だな。どうもある試合を境に昇二は早打ちの傾向が出ているみたいなんだ」
意識してのことか、無意識でのことなのかは分からない。
しかし、データ上ではそういうことになっているようだ。
「ある試合……?」
「そう。高校最後の公式戦。甲子園決勝戦の後から」
俺の言葉に思い当たる節があったのか、昇二は口を噤んでしまう。
早打ちという点は俺達全員、割とそうだったから気づかなかった。
振り返ってみると、昔の昇二は仲間内では比較的慎重派だった気がする。
「何で急に顕在化したの?」
「まあ、相手が相手だったから、だな」
あの試合を境に、ということはプロ野球選手になってからと同義だ。
それでも、大概のピッチャーなら早打ちでもステータスの暴力で何とかなった。
だが、磐城君に大松君という日本最高峰のピッチャーとの対戦ではさすがに誤魔化し切れなかったのだろう。
その弊害が目に見える形で表れてしまった。
2人が相手だと突然不調になったように見えたのは正にそのせいだ。
早打ちの結果、本来彼が打つべき球を打つことができていなかったのだ。
「甲子園では正樹君相手に待球作戦だってやったわよね?」
「ああ、あれか……」
直接的な原因ではないが、その流れから怪我をしたことを思い出したのだろう。
正樹はちょっとだけ嫌そうな顔をした。
それを横目で見ていた昇二は俯いてしまう。
「……ん? まさか、お前。それを気にしてるのか?」
そんな弟の反応を目の当たりにし、彼の考えを察したようだった。
正樹は呆れ果てたような口調で問う。
「う……ん」
「だから、早打ちして相手ピッチャーを助けるって? 馬鹿じゃないのか」
いっそ怒りを顕にする正樹だが、昇二にとってアレはトラウマものだろう。
兄が自分の目の前で大怪我をした訳だから。
「あの音が、忘れられなくて」
「音……」
昇二が聞いたと言っていた靭帯が断裂する音か。
あの時、昇二はネクストバッターズサークルにいたはずだから、常識的に考えれば空耳以外の何ものでもないだろう。
あるいは双子の超常的な感覚によるものが実在するのかもしれないが。
いずれにしても正樹の怪我が尾を引いているのは間違いない。
「お前はホントに馬鹿だな。球数投げたピッチャーを続投させるか降板させるかは首脳陣の判断であって、バッターには何の責任もないだろうが」
実際、酷使で批判されるのは首脳陣だ。
バッターがどれだけ球数を稼いだとしても、別に交代が禁じられている訳ではないのだから疲れが見えたら代えたっていい。
1人で投げ切る義務はない。
たとえピッチャー交代直後にカット打ちされても、別に敬遠したっていいのだ。
チーム事情で交代する訳にはいかないというのも結局、指導者の責任だ。
「何より。あれは俺の力不足が招いたことだ。全球ストライク。その上でバットに掠らせない。それができれば、待球作戦なんて何の意味もなさないからな」
「それは暴論じゃ……」
「秀治郎は割と近いことやってるだろ。俺はその秀治郎を超えるつもりでいる。その程度のこと、簡単にやってのけるようなピッチャーになってやる。必ずな」
俺に対し、挑むような笑みを見せる正樹。
それでいい。それでこそだ。
こちらも自然と口角が上がる。
互いに攻撃的な笑顔を向け合う。
それからしばらくして、正樹は改めて弟と向き直った。
「バッターは、野球選手は、スポーツ選手は。ひたすら勝つために懸命であればいい。他の余計なことなんて考えるな」
「兄さん……」
図らずも、あーちゃんが言ったことそのままだ。
プロ野球は興行的な側面もあり、今生では国家のパワーバランスに関わってくることもあって色々な立場の人間の様々な思惑が絡む。
だが、選手は目の前のプレイに専念することを何よりも優先すべきだ。
「分かったか?」
「う、うん……」
正樹の問いかけに昇二も頷きはしたものの、1年以上続いたトラウマの話だ。
この場の短い会話のみで全てが解消されることはまず考えられない。
しかし、しっかりと言葉にしたことで今後昇華しやすくもなるはずだ。
ただ、急激に正そうとすれば歪みも生じかねないからな。
少しずつ、着実に改善していくのがいいだろう。
とは言え、今はまだ日本シリーズの只中。
諸々のことは、一先ず本拠地で日本一を決めてから考えるべきだ。
皆と共に羽田空港でチャーター機に乗り込んだ俺は、そんなことを思いながら山形空港へと向かったのだった。




