248 申告敬遠でランナーが溜まったら
紙一重。
磐城君の2打席目はそう評するしかない結果だった。
しかし、ハイレベルな戦いになればなる程、たった1枚の紙にも満たないような隔たりが恐ろしく強固な壁にもなってしまうもの。
負けに不思議の負けなし。
失敗するには失敗するだけの理由があるのだ。
4回裏。兵庫ブルーヴォルテックスの攻撃は2番打者からの好打順。
だが、2者連続内野ゴロで凡退してしまって2アウトランナーなし。
磐城君が打席に立ったのはそんな状況でのことだった。
マウンドから見た彼の表情は何とももどかしげ。雑念が見て取れた。
それは凡退した2番、3番の打者に思うところがあってのことではない。
セカンドに一瞬向けられた視線に滲んでいたものから明らかだ。
3回表の倉本さんへの申告敬遠が尾を引いていたのだろう。
磐城君の本意ではなかったのは間違いない。
それでも彼はチームの勝利を優先して不満を飲み込んだ訳だ。
結果として村山マダーレッドサフフラワーズ打線は後が続かず追加点を得られなかったのだから、少なくともあの場は正しい判断だったと言っていい。
ただ、この申告敬遠が磐城君の2回目の打席において僅かながら集中を妨げるノイズのようなものになってしまっていた。
極々僅かにスイングが精彩を欠いていた。
それによって俺の小さめに変化させたシンカーをバットの芯で捉え切れず、半端な速度のピッチャーライナーで凡退という結果に終わってしまった。
投手としての選択と行動が打者としての彼に影響を与えた形だ。
好守でバッティングの調子が上向いたり、逆に拙守でリズムを崩してしまったりするのは野手も同じことではある。
けれども、磐城君はピッチャーである上に主軸打者でもあるのだ。
試合に与えるインパクトはどうしても大きくなる。
兵庫ブルーヴォルテックス首脳陣には、申告敬遠をするにしても磐城君の精神状態も考えて実行して欲しいところではある。
まあ、今正に試合中の敵チームの人間が言っても仕方のないことではあるが。
それはそれとしても。
「お互い、感情はうまくコントロールしないとな」
俺の第2打席も種類こそ異なるものの、感情に振り回された部分がある。
勿論、磐城君のカーブの変化量を読み切れなかったのは間違いない。
しかし、そうだったとしても。
俺のステータスから作り出される打球速度であれば、バレルゾーンとなる打球角度はかなりの広さとなる。
僅かにボールの下を叩いたぐらいであれば、その範囲から外れはしない。
むしろホームランを狙うなら真芯より多少下を叩いた方がいいぐらいだった。
つまるところ、もう少しカーブの変化量をアバウトに見積もってもよかったのだ。
にもかかわらず、最高峰の舞台で新しい戦術を用意してきてくれた磐城君との勝負に高揚してしまい、ついつい完璧な形で打ち込もうとしてしまった。
そのせいで逆に長打とならず、シングルヒットに留まってしまった。
悔いの残るミスショットだ。
こういう部分もレベルの高い真剣勝負をしてこそ見えてくる課題だな。
この試合、磐城君の糧にもなってくれればありがたい。。
……そう考えると、申告敬遠を指示されるのも1つの経験と言えなくもないか?
なんて考えがふと過ぎっていたせいではないだろうが――。
「何か開き直ってきたわね。相手ベンチ」
「まあ、それはしょうがないっすよ」
5回表に回ってきた俺と倉本さんの第3打席も普通に申告敬遠されてしまった。
9番からの打順で1アウトランナーなしからあーちゃんがヒット。
俺が申告敬遠。
昇二は少し力んでしまってフライアウト。
倉本さんも申告敬遠。2アウト満塁となった。
塁は埋まった。
だが、この2アウト満塁というのは体感、点が入らない。
勿論、2アウトの他の状況よりは確率が高い。
それは統計的にも明らかだ。
ただ、3塁にランナーがいるというのは特別なことで、ノーアウトや1アウトの場合は同じアウトカウントの他のパターンよりも得点確率が20%以上高くなる。
それが2アウトの状況になると。
たとえ3塁にランナーがいたとしても、そのことで上昇する得点確率の幅は半分以下になってしまう。(ただし、上昇割合になると然程変わらないが)
更に満塁となると塁上に3人ものランナーがいて視覚的に賑やかだ。
何となく期待感が増して、だからこそ点が入らない時のガッカリ感が増す。
そうした記憶は残りやすいもの。
結果、2アウト満塁は特に点が入らないという錯覚に陥る訳だ。
実態は何てことなく「どうあれ2アウトだと点が入りにくい」というだけ。
それ以上でもそれ以下でもない。
全く以って当たり前のことだ。
正にそんなタイミングで打席に入った崎山さんは高々と外野にフライを打ち上げたが、フェンスの手前で捕球されてしまった。
3塁ランナーはあーちゃん。
ノーアウトや1アウトだったら犠牲フライで点が入っていた。
が、アウトカウントは2であるが故に単なる凡退となる。
3者残塁で、俺に打席が回ったイニングでは初めて無得点に終わってしまった。
続く5回裏の兵庫ブルーヴォルテックスの攻撃は下位打線。ここは3者凡退。
6回表に入って未だにスコアは2-0。数字上は中々の接戦に見える。
今は6番打者の大法さんから始まる攻撃をベンチから見守っているところだ。
「2打席連続申告敬遠。みっく、残念?」
5回表は塁上でチェンジとなり、そのまま慌ただしく5回裏に突入。
6回表になってようやくベンチで一息つくことができ……。
そのタイミングになって初めて5回表のそれについて話ができたのだった。
「そりゃ打ちたい気持ちはあるっすけど、それだけウチがバッターとして脅威に思われてる証拠っすからね。この試合は記録より記憶っす」
「レギュラーシーズンは個人成績の方で十分目立ったものね」
「っす」
美海ちゃんの補足に、満足と不満足が同居したような顔で頷く倉本さん。
とっくの昔に彼女を馬鹿にする人間はいなくなったはずだが、彼女は貪欲だ。
「実績を積み重ねることができただけに、今度はもっと逸話みたいなものがたくさん欲しいっす。折角なら、次の打席もその次の打席も敬遠してくれないっすかね」
「日本シリーズで4打席連続。しかも磐城君から、か……」
それはきっと後世に語り継がれることになるに違いない。
「だから、今日のところは申告敬遠どんとこいっす」
そんなことを倉本さんが言ったからではないだろうが、彼女の希望は後の2打席で普通に叶ってしまうことになる。
そもそも、何となくフラグっぽかった。
6回表も6回裏も互いに3者凡退となり、また9番の打順から始まった7回表も5回とほぼ同じ経過を辿って3アウトチェンジ。
そうなった段階で倉本さんの願望が現実になると半ば確信した俺は、8回表の攻撃が始まるとすぐに尾高監督と崎山さんの下へ。
軽く会話し、崎山さんに頭を下げてからベンチの皆のところに戻った。
「代打を出すの?」
「ああ」
察しのいいあーちゃんの問いかけに頷いて肯定する。
「反応は?」
「受け入れてたよ。崎山さんもこの試合は仕方がないって理解してくれた」
8回表時点で今日4タコ。
その上、3回あったチャンス(内2回満塁)で凡退してしまっているからな。
磐城君に対応し切れていないのが見て取れる。
後1年ぐらい1部リーグの荒波(?)で揉まれれば、崎山さんも十分やり合えるようになるとは思うけれども。
今はまだ実力的に及ばないのは事実だ。
それを彼も自覚しているからか、表向き不満を言うようなことはなかった。
納得しているかは分からない。
と言うか、そこは納得せずに発奮して欲しいところではあるけどな。
もっとも、これはあくまでも想定通りの状況になったらの話ではある。
しかし、もしも再びチャンスで崎山さんの打席が回ってきたとしたら――。
「正樹、準備しておけよ」
「やっとか」
俺の言葉にニヤリと笑って応じた正樹。彼の出番だ。
チャンスで代打に出すのは控えの中で最も確率が高い選手。
現状であれば、やはり正樹となる。
あくまでもステータス的に言えば、の話ではあるけれども。
とは言え、この8回。
6番から始まる打順はここまでの無安打の選手が並んでいることもあり、全員に代打を送ることになっている。
日本シリーズに出場する。磐城君と対戦する。
得がたいその機会を、なるべく多くの選手に体験して欲しいからだ。
そのため、正樹がこの試合初めての代打になる訳ではない。
チャンスで彼を出したところで仲間内からの批判はないはずだ。
外野が何か言ってきたところで結果を出せば全て的外れになる。
「ストライクスリーッ!」
「空振り三振。8回表も3者凡退か」
「まあ、仕方ないさ」
相手は磐城君。既に日本プロ野球において5指に入るピッチャーだ。
そう簡単に打てるものじゃない。
代打3人は何もできずに3アウトチェンジ。
だが、俺もそう簡単に打たせるつもりはない。
8回裏の兵庫ブルーヴォルテックスも3者凡退。
そして9回表の村山マダーレッドサフフラワーズの攻撃となる。
試合展開は予想した通り。
9番の木村さんのところには代打が出たものの、簡単に凡退。
あーちゃんはヒット。俺は3打席連続の申告敬遠。
昇二はセンターフライ。
倉本さんは4打席連続の申告敬遠。
2-0というスコアであるだけに、試合を捨て切れないというのもあるだろう。
勿体ないからな。
ともあれ、似たような形で2アウト満塁となって5番の崎山さんに回ってきた。
昇二が凡退した直後はネクストバッターズサークルに向かおうとした彼はすぐに申告敬遠が告げられたのでベンチに戻り、尾高監督が代打を審判に伝える。
……しかし、犠牲フライはあったものの4打数無安打の昇二は少し気になるな。
いや、当然ながら同じレベルなら投手の方が有利なのが野球というスポーツだ。
3割打者で褒められるし、エース相手ならそれ以下なのもザラ。
1試合無安打で終わるぐらい別に異常なことではない。
けれども、昇二は何となく気後れしてしまっているように見える。
ちょっとそこは後で話をした方がいいかもしれない。
2塁ベースの上でそんなことを考えていると――。
『5番、崎山選手、に代わりまして、瀬川正樹選手。バッターは瀬川正樹選手』
代打がアナウンスされ、その時が来る。
左のバッターボックスに正樹が入る。
久し振りだ。
プロ野球選手として初めての試合出場は日本シリーズ準決勝ステージ。
思う存分、勝負を楽しんで欲しい。




