幸せな君と~佐伯ヶ原篇~
春休み中の学園。
あれから約一年かけて、妖魔襲撃で壊れた校舎の補修も終わった。
佐伯ヶ原のアトリエは乱雑だったのに、今はほぼ空っぽだ。
「これで……完成だな」
佐伯ヶ原が描き続けた、大きな絵。
最初は、表情が決まっていない一人の天使だった。
そこに描き足されたのは、一人の少女。
愛し合っているように支え合い、抱き締め合う二人は微笑み合っていた。
光が溢れ、愛に溢れた絵。
今までの彼の作風とは、明らかに違う絵だ。
最後にサインを入れた佐伯ヶ原の右腕が震え、筆が落ちた。
「大丈夫?」
傍にいた美子が、転がった筆を拾った。
「あぁ、痺れが強くなっただけだ」
佐伯ヶ原の腕の傷は、神経まで達しており今まで通りには動かせなくなった。
それでも治療と手術、リハビリをしながらも佐伯ヶ原は絵を描き続けている。
『筆が震えようが、俺が描いた絵は全て素晴らしい。なぜならば俺が描いた絵だからだ』
そうインタビューに答えた『世界を救った一員』の画家は更に人気が増した。
昨年の秋に開催された個展『Re:SAEKIGAHARA』は世界中の人々が絶賛し、妖魔王すら魅了したと話題になった。
「この絵は海外の新しいアトリエに持っていくの?」
「いや、この学園に寄贈する」
「え、えぇ!? だってあなたの絵って……一枚……」
これだけの大きさだと何千万……? と美子は思う。
「いいんだよ。……全部ここに置いていく……」
佐伯ヶ原が絵の天使を見つめる。
彼の心の中に、確かにあった想い。
その想いは全部、この絵に込めた。
高校も卒業。
そして、この想いからも卒業だ。
「……みんなで同じ大学行けるかと思ってたのに……」
描いた絵を見上げる佐伯ヶ原の横で、ぼそっと美子がつぶやく。
「サラも子猿もいるんだから、いーだろうが。バカ二人はいないけどな」
「龍之介と梨里は落ちちゃったしね……って、そうじゃなくてさ……あなたが……いな」
そう言いかけて、美子は膨れたようにして窓へ行く。
「お前は、ほんと俺の事が好きすぎだな」
「な!? ば、バカな事言わないでよ!!」
「ラストバトルから帰ってきたら話があるって言って、もう卒業だぜ?」
「あぁ、そんな事も言ったわね」
「話せよ。もう、会えなくなるんだから」
佐伯ヶ原はもう海外に拠点を置く。
大学進学をやめて、プロとしてやっていく事に急遽決めたのだ。
『もう、会えなくなる』
佐伯ヶ原が放った言葉が美子の心に刺さる。
だけど、そんな痛みはもう怖くない。
あの日の恐怖、あの日の痛みに比べたら怖いものなんか、もうない。
「じゃあ言うわよ」
「あぁ、言えよ」
そうは言っても……と、美子は外を見る。
桜が散って、舞っている。
みんなで卒業式を迎えた時には、咲いたばかりだったのにと思う。
時間は過ぎていく。
心の色も移り変わっていく。
一呼吸して、佐伯ヶ原を見た。
「あ……あなたの絵……結構……好きよ」
照れ隠しに睨みつけて言うと、佐伯ヶ原が大笑いした。
笑って絵描き用のスツール(椅子)からひっくり返りそうになるほど、笑った。
「もう! なによ! そんなに笑うこと!?」
「あーーーははっははは!! ひゃっひゃっひゃ! あはは、はぁ~ありがとよっくくく」
笑い過ぎて涙が滲んだ目を、指で拭う佐伯ヶ原。
「ふん、もういいわよ! あ~あ! 卒業旅行中の玲央と椿ちゃんが羨ましいよ。今頃どこにいるのかなぁ~私もどこ行こう?」
「あの死闘から少し療養はしてたが、そっから受験勉強しての、やっとの旅行だもんなぁ、真面目だな。サラも子猿もお前も」
「あなただって、勉強してたじゃない! 模試も受けて、受験もして、合格もしたのに、それなのに……突然……なんでよ……」
壊れない関係だと思っていたのに……。
やっぱりこんな時、胸は苦しい。
じわりと美子の目に涙が浮かぶ。
静まり返るアトリエ。
こんな時間は、何度もあった。
図書部部長と、美術部部長。
静かで、何も言わない時間が二人には多かった。
でも、もう此処には何も無くなる。
「……まぁ、待てよ。俺みたいな立場のやつはどうするか大学側が決めかねてたんだよ」
「え?」
「俺は、画家として向こうでのキャリアもやっぱり欲しい。それを大学側が許すかどうかって話しさ。特別枠だから向こうで暮らすがオンライン授業も出るし講師として講義もするし、数ヶ月はこっちでも通うことが許可された。ギリギリ昨日連絡がきた」
「えっ」
「まぁ世界を救った勇者と嫁が入学するんだ。俺なんか適当に考えてくれりゃあいいのに」
「そうはいかないでしょう……」
色々な理由で麗音愛達の受験も、それなりに騒動になったのだ。
「ってわけで、俺は画家兼大学生になりましたってわけだ!」
「じゃあたまには帰ってくるの!?」
「当然、拠点は向こうだけどな。俺がサラのような素晴らしい被写体から離れるわけはない」
相変わらずのサラ命。
それでも美子はホッとした。
誰かを変えようとなんて思わない。
「もう、何よ! 心配して損した~! もう会えなくなるって言ったじゃない!」
「嘘だ」
「なっ……堂々とそんな事を言う人いる?」
信じられない。
美子の驚きの表情とは逆に、佐伯ヶ原はいつも通りだ。
「気付きには喪失が必要だろって。さぁ、じゃあ行くぞ」
「え? どこに?」
「俺のアトリエ見せてやっから。春休みはそこで過ごせばいいだろう。ゲートを開いた礼に、飛行機代と滞在費くらい出してやる。サラも子猿と旅行の途中に、アトリエを見に来るって言ってたしな」
「えぇっ!?」
今更お礼!? と驚くばかりの美子の横で、佐伯ヶ原は絵の道具を仕舞う。
ゲートが開いて、麗音愛や佐伯ヶ原が戻ってきた時には泣いて泣いて気を失って……。
気が付けば、怪我の治療をした佐伯ヶ原がいつも通りにいたのだ。
リハビリも淡々とこなす佐伯ヶ原が心配で、何故か結局一緒にいた。
変なコンビ。
なのはお互いにわかっている、はずだ――。
「いい卒業旅行になると思ったんだが、来ないつもりか?」
「……はぁ……あなたったら、本当にいつでも最高にクレイジーだわ」
呆れたように笑うと、佐伯ヶ原もニッと笑う。
「褒め言葉ありがとよ、ほら行くぞ。パスポートはあるって言ってただろ」
「えぇ! 嘘でしょ~~!」
そう言って、佐伯ヶ原は道具を持ってアトリエから出ていく。
慌てて美子は後を追う。
驚く声と笑い声が廊下に響いて、消えていく。
空っぽのアトリエに一枚の絵。
タイトルは『Beautiful Sound Of Love』
麗音愛と椿――二人を祝福する絵が、輝いていた――。




