麗しい愛の音~色とりどりの世界へ~
何もかも無になったような――。
時間の感覚も無いなかで、ふと意識がある事に気が付いた。
「ここは……」
麗音愛が目を開ける。
やはり真っ白な世界に、自分がいる。
存在はしているが、一体ここは?
「白夜様……タケル様」
目の前にいたのは、篝だ。
会ったことはない。
それでもわかった。
美しい、女性だった。
篝は真っ白な着物を着て、成人女性の姿だった。
白夜を目の前にしてタケルと呼ぶのは、愛しい女神と、この気高い女性くらいだ。
麗音愛には理解などできないはずなのに、理解ができた。
「……篝……さん」
篝は頷いた。
「此処は、タケル様が私の夢で会うために作られた世界。胡蝶の夢の……世界です」
「あぁ……そうか……そうだった」
そうか、と言っているのに意味はわからない。
知っているのに知らないような。
自分が創った場所だ。でも知らない。そして知っている。
麗音愛だった時に、夢で見た場所はここだったのだろう。
「タケル様に頼まれごとをした場所です。いつかのサポートにと私の残留思念を残してくださいました……」
「あぁ……そうだった……俺は貴女一人に、大変な事をなんでも託してしまった」
どういう立場でものを言っているのか混乱してしまうが、言葉が出てくる。
「いいえ。紅夜は滅びました。白夜団の悲願が叶ったのです。こんなにも嬉しいことはありません」
「うん……そうだ。やっと……」
無意識に天を見上げるが、何も無い。
「紅夜の最後の一粒がどうなるかは、天の理に任せることとなるでしょう」
「……そうだな……報いは受けるだろうが……俺にも、その先はわからない」
麗音愛は人々の魂から恨みを解放させたが、その後に彼らがどう生まれ変わるのまでの干渉はできない。
紅夜もまた同じ。
恨みのなかで消滅した可能性もある。
しかしどちらにしても、もう人を傷つけることはできない。
「だが、これでよかったんだ」
「はい……でも、タケル様も……」
「あぁ……俺も」
不思議な感覚だった。
神だからなのか、なんなのか。
自分の役割は終えたのだから、存在も終わり――そんな気がする。
そしてそれを受け入れている自分がわかる。
無感動のような無意識のような……平穏な心。
まるで晒首千ノ刀を持ち始めた時に心を殺していた時……いや、そんなものより遥かに波音もない心。
……これでいい……。
……このまま、静かに……。
『……麗音愛……』
何か聴こえた……。
「……え……?」
「タケル様、どうか麗しい愛の音を聴いてください」
篝の表情が厳しくなる。
「……麗しい……愛の……音……?」
真っ白な空間で、音も何も聴こえないはずだ。
「聴こえるはずです。麗しい愛の音を……聴いてください……!」
「な……にを……」
その時、心に響いた。
『麗音愛……』
『麗音愛……!』
「……あ……」
「聴こえるでしょう?」
自分の名を呼ぶ、少女の声。
「愛しい人を呼ぶ声を……! 聴いて!!」
『戻ってきて!!』
『麗音愛!!!』
「……つ……ばき……?」
『麗音愛……!!』
『麗音愛……!! 戻ってきてぇええ!』
椿が呼ぶ声が聴こえる。
瞬間、心の内に炎が燃え上がった。
一気に蘇る、記憶、想い出、生きる意志。
心から愛する少女を思い出す。
最後に命を投げ出そうとした椿に、自分は何を言った……!?
「あぁそうだ!! ……一緒に生きるんだって……俺が言ったんだ……!!」
死ぬ運命なんて受け入れてはならない――!
麗音愛に蘇る強い意志。
椿への愛。
一緒に生きる約束を思い出した。
それを見て篝はにっこり微笑んだ。
「麗音愛……そうよ。生きる意志を思い出したわね」
麗音愛も自分の存在を思い出し、篝を見つめる。
「俺は、俺は……でも……もう」
紅夜と共に崩壊したはずだった。
気が付いたとしても、絶望しかない。
「大丈夫よ。貴方が呪怨達を解放した時……皆が少しずつ、貴方に分け与えようと命の欠片を置いていったから」
「皆が……俺のために」
呪怨が光になっていった光景を思い出す。
「そう。あなたのための命よ……。そして椿の自害を、あなたが止めた。だからその命の欠片を緋那鳥が受け取って今、椿が貴方を取り戻そうとしている。あれは不死鳥だから、貴方を再構築してくれるわ」
「じゃあ……その力で今……椿が……」
椿の必死の想いが伝わってくる。
真っ白な世界に炎が灯った。
椿の炎。
温かな灯火。
「貴方が起こした奇跡です。二人が死ぬ運命を貴方が変えたの」
椿が命を捧げて、鍔を復活させていれば、緋那鳥を扱える者はいない。
麗音愛もそのまま後を追い、二人は紅夜と刺し違え死ぬ運命だった。
でも今、その運命は変わる――。
「俺は、椿と生きていける……?」
奇跡の未来。
「そうよ……麗音愛」
微笑む篝の姿は、もう薄く薄く消えそうだ。
「篝さんは……一緒に戻れるんですか」
「私? 私はもう、これで終わりなの」
クスッと篝は笑う。
嫌味もなく、素敵な微笑みだった。
きっと見た誰もが彼女に魅了されてしまう。
遠い日に篝と出逢った母・直美の気持ちが麗音愛にわかった。
だからこそ、その言葉が胸に刺さる。
「そんな……俺が、貴女に過酷な運命を命じて……それに従ったせいで……貴女が」
「そんなことないのよ。私も貴方と同じ。全部自分で決めてきたの。後悔なんてしてないわ。すごく楽しかったって椿にも伝えたの……だって神と女神の……あなた達二人のお母さんになれたんだから」
また篝は微笑んだ。
幸せそうな微笑み。
「貴女こそが女神です……あなたのおかげで世界は救われたんだ」
「うふふ。そうね、きっとご褒美もらえるわね」
「必ず」
「でもね、貴方の身体はタケル様ベースで再構築されるでしょうから……紅夜の成分も私の成分もなくなってしまうと思うのよ」
「……そうなんですか」
「そう。あなたの産みのお母さんじゃなくなっちゃうけど、これで椿とも結婚できるわ、良かったのよ」
身体には篝の血が流れなくなる……。
それでも……。
「それでも……あなたは俺の……」
心が籠もる言葉。
「麗音愛……?」
「俺を産んで、名付けてくれた……あなたが……」
麗音愛の目頭が熱くなる。
初めて会えた産みの母。
愛しい恋人の母。
それが自分の母でもあって、戸惑いもあった。
でも、それでも母があっての今だ。
もしも会えたなら伝えたい言葉があった……。
「俺を産んでくれて、ありがとうございました。……母さん」
まっすぐ見つめて言った。
逆に篝が目を丸くする。
「ふふふ……そんな事言われたら、嬉しくて泣いちゃうわ」
微笑んだ篝の瞳から涙が溢れる。
静かに涙を流す母が手を伸ばしたので、麗音愛はそっと寄り添った。
「……母さん……」
「立派になってくれて、母さん嬉しい」
「……へへ……」
つい照れて前髪をいじってしまう。
その仕草を見ただけで、赤ん坊から幼児、少年、そして今の麗音愛の成長が目に浮かぶ。
篝は離れていた時間を埋めるほどの愛しさを感じて、頷いた。
可愛い我が子の、頬に触れて撫でる。
「さぁ、胡蝶の夢もこれで終わり……麗しい愛の音が聴こえる方角へいくのよ、椿の元へ」
「……必ず椿を幸せにします……」
「うん。二人で幸せになるのよ」
「はい……母さん、俺はもう生まれ変われないかもしれないけど……またいつか会いましょう。」
「大丈夫よ。きっとどこかで会えるから」
「きっと」
神としての自分を忘れることができた、母との時間。
だからこそ今、胸が苦しい。寂しい別れ。
それでも命は巡る。
きっと、またどこかで会えるだろう。
この寂しい気持ちも、抱えて生きていく――。
グイと涙を拭って、前を見た。
『麗音愛……』
聴こえる……愛しい人の声が。
「さぁ……愛しい貴方を呼ぶ声の方向に行きなさい」
「麗しい愛の音……麗音愛って、変な名前だと思ってたけど今は最高の名前だなって思います」
麗音愛が無邪気に笑った。
まるで幼子のように、聖母のように篝も笑う。
「そうでしょ? 直美にも変って言われたんだけど、最高にかっこいいでしょ!」
「はい!!」
「ふふふ、じゃあね。可愛い私と直美の子。いってらっしゃい……!」
「……いってきます!」
真っ白な……色の無い世界から、麗音愛は抜け出していく。
君のいる世界へ……。
色のある世界へ……。
人の数だけ色がある。
心の数だけ色がある。
色とりどりの世界が、そこにある。
紅夜が滅びても、幸せも不幸も、愛も苦しみもある。
だけど、そこに自分の名を呼んでくれる人がいる限り――。
明日を、見るため今を生きていく。
次の今も生きていく。
その次の今も、椿が選んだ今を見せてやりたい。
ずっと隣で椿が選んだ今を一緒に見て生きていきたい。
二人で、そうやって未来を生きていきたい。
「麗音愛……! あぁ麗音愛……!!」
崩壊しかけた紅い世界は、朝陽が昇ったように眩い白い光に照らされていた。
不死鳥が羽ばたいた音が聴こえた気がする……。
泣き腫らした瞳でボロボロの少女が、ゆっくりと瞳を開けた青年にすがりつく。
「麗音愛……!!」
ずっと、聴こえていた。
自分を呼ぶ麗しい愛の音。
愛しい人の声。
沢山傷付いた身体。
それでも温かい、生きている。
「……椿……」
椿にも、失いかけた愛しい人の声が聴こえた。
喜びの涙が溢れる。
どこかで福音が聴こえる。
今この時間を祝福する鐘の音。
命を、愛を確かめる声。
二人は呼び合って、強く抱き締め合った。
色の無い夜が、明けていく――。




