心深く沈む愛
椿の部屋。
時計の針は正午になっていた。
沢山の料理が並べられたテーブルに座る篝と椿の前に剣一が訪れる。
「咲楽紫千剣一、参上致しました」
白い軍服姿の騎士は二人の前で跪く。
椿はすぐに剣一の元に駆け寄った。
椿の手枷はもう外されて、今日も綺麗なドレスを着せられている。
「剣一さん」
「姫様……お呼び頂きましたが、食事の同席は私にはできません」
剣一が跪いたまま頭を下げる姿に、椿の心はまた痛む。
「剣一さん、立ち上がってください、そんな言い方やめてください。食事を……一緒に」
「申し訳ありません。私にはそんな資格はありませんので此の場は控えさせてください」
「剣一さん!」
「剣ちゃん、一緒にご飯食べるだけよ」
テーブルから見ていた篝が気さくに話す。
「……貴女は……?」
「私は椿の母の篝よ、久しぶりね」
剣一は驚いた顔を一瞬したが、また頭を下げた。
「話は聞いていましたが……失礼致しました。特務隊長の咲楽紫千剣一です」
「もちろん知っているわ、でも大きくなったわね~とってもかっこいいじゃない! さすが直美と雄剣さん二人の子どもだわ。さぁ席に座って。パンケーキも、フォーもあるし、トーストもあるし、うどんもあるのよ。そういえば、うどん食べてるの見たことあるなーって思い出したのよね」
幼女の姿をしているが流暢に話し微笑む姿がアンバランスだ。
剣一の顔にも困惑が見える。
「いえ、篝様。私には同席する資格はありませんので失礼致します」
「剣一さん……剣一さん待ってください」
「姫様」
立ち上がり場を去ろうとする剣一の腕を、椿が掴む。
部屋の隅にはルカとヴィフォも立っていて様子を伺っているのがわかった。
「剣一さん、もう少しだけお話を……」
「剣ちゃん、椿の命令だと思って聞いてあげてちょうだい。ベランダで心地よい空気ではないかもしれないけど外の空気を吸いながらお話してきたらいいわ」
「……ベランダへ行きませんか? ……お願いです」
「……わかりました」
篝がナイトの二人に紅茶を淹れるように促して、二人は無言のままベランダに出る。
しかし、剣一から漂う雰囲気はまるで護衛の騎士だ。
夜より少し明るいだけの紅い月が二人を照らす。
「……剣一さん、本当にごめんなさい……私のせいで……私の血のせいで」
「貴女のせいでは、ありません」
「剣一さん、椿と呼ぶのが辛いなら無理しなくていいです。でもどうかそんな他人のような話し方をしないで……」
「姫様……」
「敬語なんか使わないでください」
「ですが」
「じゃあ命令してもいいですか……? いつもの剣一さんの話し方で話してください……こんなのイヤです」
椿が剣一の主人として、どれほどの影響力があるかわからない。
剣一も戸惑いの表情を見せる。
それを見て、椿は剣一の心が完全に操られているわけではないような気がした。
剣一は無言のままだ。
「辛いですか……? いつものように……今までのように話すのは……」
「いえ……わかった。わかったから、もう泣かないで」
涙を流す椿に、剣一は真っ白なハンカチを渡す。
「城に来てから、ずっと苦しい思いをさせてごめんなさい……私何も知らなくて……気付く事ができなくて本当にごめんなさい」
「痛みはあったけど俺にとって幸せな時間だったから、謝らないで……」
二人の間を生ぬるい風が吹き抜ける。
紅夜からの麗音愛を討ち取る命令――二人の白い服が紅い光に照らされて悪夢のような命令を思い出す。
「……貴女はこれから俺を憎むことになるでしょう……」
麗音愛も椿も心から信頼し尊敬していた男。
その男が、弟である麗音愛を……殺しに行くのだ。
「それは……でも……でも……どうしたらいいのか」
そんな事はさせたくない。
それでも椿が命令しても、紅夜の命令を覆すことはできない。
「抗えず……すみません」
「謝らないでください! 剣一さんは何も悪くない! 悪いのは全てあの男……でも、でもこのまま麗音愛と殺し合うなんて……」
不死身同士の闘いが、どうなるのかわからない。
それでも、決着するまで闘い続けさせられるのだろう。
死闘の時のように命を、心を弄ぶつもりなのだ。
「私が一番……何もできなくて……でも、でもどうにかしなきゃ……」
何か方法を見つけなければ……しかし手枷を外しても無力と判断されたような身。
剣一も囚われている今、どうすればいいのか椿にはわからない。
「貴女が俺を憎んでも、俺は貴女の眷属として貴女を守り続けたい……今の俺の願いはこれだけです」
少しだけ剣一が微笑む。
皆のために輝いていた太陽が、今は唯一人のため夕陽になったような微笑みだった。
「私なんて……守る価値なんかありません。剣一さんは、紅夜会の策略で操られているだけです。そんな事のために、私なんかのためじゃなく……あなたはもっと沢山の人のために生きるべき人です!」
椿の必死の訴えに、微笑みは切なさの色が付く。
「……そんな事言わないで……俺の中には、こうなって良かったと思っている自分もいるんだ」
「ど……どうしてですか?」
剣一の言葉に驚く椿。
「俺が死ぬことで誰かを悲しませる事が怖かった……俺は望まなくても誰からも愛される人間だったから……みんなに愛されて、みんなのために生きる……俺は誰か一人を愛する事はできないだろうと思ったし、そう決めていた……」
「剣一さん……」
誰からも愛される聖騎士の心の底に沈んでいた想い。
きっと、こんな事にならなければ語られる事はなかった想い――。
「でも俺は今、紅夜様の支配下にいるけれど俺の不死身の命は貴女だけのものだ」
「それが……剣一さんの幸せ?」
「そう。これからは貴女だけを自分の命として愛して生きていける」
愛を告げる男の瞳は優しいままだ。
「だ、だから……それは……洗脳されているだけなんです」
「それでも今の俺にとっては、この気持ちが真実なんだ……」
「……そ、それは……あの……私……」
戸惑い、つい下を向いてしまう。
「……椿ちゃん……うっ」
「剣一さん……!」
剣一の顔が苦痛に歪み、バルコニーの手摺に寄りかかった。
椿は剣一を支えるように寄り添う。
剣一が苦痛を和らげるように、深く息を吐く。
「……俺にとって君は生き返らせてくれた女神……眷属ごときが、こんな風に触れ合うなんて恐れ多いんだ」
「そんな……やめてください……私と剣一さんは対等、ううん、剣一さんは私のお兄さんなんです……いつも教えてくれる優しい先輩で……私と麗音愛の……大切な……」
一緒に眠った夜の言葉を思い出す。
そんな気持ちで城にきてから、いつも傍にいてくれたなんて……。
そっと剣一も椿を愛おしむように少しだけ抱き締める。
大切なものを守るように……。
何度も助けてもらった手の温かさは変わらないのに――残酷な愛に変化した二人の関係。
「剣一さん……お願い、麗音愛と闘わない方法を考えますから……私と一緒に」
「……椿様は、あいつの勝ちを祈り願ってくれ……それでも俺は、貴女の元へ帰ってくる……」
痛みに耐えて剣一は『椿』と呼ぶ。
全て、椿の為に。
「そんな……きっと剣一さんの洗脳を解く方法があるはずです……こんなの酷すぎる……」
「……でも俺は今、一番の苦しみのなかで一番の幸せのなかにいるよ……」
剣一は椿の腕を優しく解くと、椿の長い髪の一束に口づけた。
この男にしかわからない、心に沈んだ深い愛――。
「椿様……任務があるので、しばらく此処には来ることはできません」
「だめ……だめ……剣一さん、行かないで……行かないで……」
「……ありがとう……ごめんね」
無理に引き止めても、この部屋に閉じ込めても、剣一は紅夜への謀反で苦しみ死ぬだろう。
手を伸ばそうとしても、伸ばせない。
どうすればいいのか、何も選ぶことができない……。
涙する椿に背を向けて、騎士はベランダを出て行った――。




