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・天使と出会った日

「今の君の立場には同情を禁じ得ないがね、1つ聞こう。……その新しい遺言書は、フロリーくんの狂言という可能性はないかね?」


 けれど侯爵様は、お母様の遺言書を疑った……。

 わたしが義父エドマンドを貶めるために嘘を吐いていると。


「な……っ、何をおっしゃるのです……っ! この文字は母の物です! ここにある印も、ロートシルト家の正式な――」

「ならばさっさと、エドマンドくんのご子息と結婚すればよかろう」


「ぇ…………。な……なに、を……言って……」


 まるで会話にならなかった。

 端正な顔をした領主様は、一片もわたしに同情して下さらなかった。


「確か……ベリオルくんだったかな? それと結婚すれば、それで丸く収まるのではないか、と言っているのだ」

「そんなの絶対、彼だけは絶対に嫌です……っっ!!」


「ハハハハ、聞いてあきれる。これだから市井の女というのは責任感という物がない」


 どうして侯爵様はベリオルの名前まで知っているの……?

 どうして私の話を全く聞こうともしていないの……?

 犯罪を告発しているのは、わたしの方なのに……。


 それにどうして、ベリオルとの結婚を薦めてくるの……?

 わたしが恐怖にひきつった顔で領主様を見てしまうと、彼は残酷に口元を引きゆがませた。


「王都で暮らす騎士といえば、猫の額ほどの土地しか持てぬ貧乏貴族だ。そんな者に、大商家ロートシルトの運営などできぬ。諦めて彼の息子と結婚したまえ」


 エドマンドという男は恐ろしい人だった。

 あの男は領主である侯爵様まで抱き込んでいた。


 わたしは怖くなってお屋敷から逃げ出した。

 けれども胸の中の怒りは消えていない。

 怒りが勇気となり、わたしは領主がだめならばその上の国王様に掛け合うしかないと、決意を新たにした。


 屋敷の屋根裏に戻って旅の支度をした。

 絹のドレスをたたんで、楽な木綿のお仕着せに戻り、お金にできそうな物をかき集めた。


「あら、フロリー、またお出かけかしら?」

「お、お義母様……」


 だけどわたしが直訴したって話、もう家の人間に知れていたみたい……。

 普段は絶対に屋根裏部屋になんか現れないサシェお母様が、ネチネチとした意地悪な声であたしを呼んだ。


「ベリオルと婚約する。……そう一言誓えば、あたしたちは本当の家族になれるのよ? そうすれば、アアタはこんな生活しないで済むの……」

「嘘っっ!! お母様を殺した人たちなんて、もう信用できない……っっ!!」


「あたしゃそんなの知らないよ」

「わたしはっ、あなたたち泥棒からこの家を取り返すのっ!! 絶対っ、絶対に!!」


 もう我慢できない。

 お母様がわたしの幸せのために遺してくれたこの遺言書を、否定されたまま終わるなんて許せない!


「まあ落ち着きなさいよ。……そりゃアアタから見りゃ、うちの子はバカでデブでクズのサイテーのゴミムシ以下の糞詰まりでしょうけども、それが、なんだっていうのぉ? オホホホホッ!」


 わたしは義母サシェを振り切って屋敷を飛び出した。

 夕方には夜行馬車が出る。

 それを使って町から町へと乗り継いでゆけば、王都へ行ける。


 わたしは荷物を抱えて馬車駅へと駆けた。



 ・



 だけど。


「ここは通行止めだ」

「こっちも通行止めだ。ちょいと休んでいきなよ、お嬢様よー」


 もうちょっとで馬車駅だったのに、少し細い路地に入るなり、変なおじさんたちに前後をふさがれた。

 まさか、この人たちもエドマンドの仲間……?


「急いでいるのですっ、通してっ!」

「許しくれよ、お嬢様。エドマンドの兄貴には昔から世話になってよぉー」

「主に女の方でだけどなぁっ、ヌァハハハッ!」


「さ、おじさんたちと一緒に屋敷に戻ろうな? エドマンドの兄貴は、コマした女には昔からやさしいんだぜぇー……?」

「金は殴ってでも、しっかりとふんだくるけどなー……」


 わたし、どうすればいいの……?

 気付くとわたしは両手を組んで神に祈りかけている自分に気付いた。


 その組みかけた手を解き、わたしはおじさんたちを睨む。

 母を殺した男の仲間……。

 この人たちは、わたしの敵!


 わたしはもう神には祈らない!

 わたしはわたしの手足で強く生きるところを、神様に見守ってもらう!


 ここにどうにかやり過ごして、王都行きの馬車に乗る!

 そして王様に全てを告発して、わたしは家を取り戻す!


「おっと坊や、今は取り込み中だぜ。あっちの通りを使いなよー」


 ところがそこに、真っ白な髪色をした不思議な男の子が通りがかった。


「……坊やって、もしかして僕のこと? 一応、これで14歳なんだけど」


 シルバーブロンドとも、シラガともまた違う、本当に真っ白な珍しい髪色だった。


「いいからあっち行け。怪我したくなかったらなー」


 その子は大きなナイフを向けられても少しも怖がらなくて、涼しい顔で刀身をチラリと一瞥するだけ。

 14歳にしては小柄だけど、見習いたいほどの度胸だった。


「こっちも仕事なんだ。ちょっとそこに営業に行かなきゃならなくて、まあ、でも、ここからでも別にいいかな……」

「何やってる! んなガキさっさと追い払っちまえっての!」


 その子は『営業』と言いながら、あたしのことを真っ直ぐ見ていた。

 とても綺麗で、ミステリアスな雰囲気の子だ。

 でも用件がわたしにはわからなかった。


「そこのお姉さん」

「は、はい……!?」


「事情はわからないけど、この場を切り抜ける方法が1つだけあるよ」

「おいガキッ、刺すぞオメェ!」


「ただ一言、貴女はこう言えばいいんだ。『ナユタ・アポリオン、私を預かって』と。騙されたと思って、一言そう言ってくれないかな?」


 ナユタ。聞いたこともない不思議な名前だった。

 けれどナイフを向けられても平然としている度胸は本物で、わたしは小さな彼に尊敬にも似た感情を抱いた。


 でも、彼の言葉を復唱するだけで、この状況が変わるとは思えない。


 思えないけれど……。

 アポリオン。まるで天使様のような名字だったから、わたしは神頼みを止めて、天使頼みをしてみたくなった。


「ナユタくん、わたしがそう言えばいいの……?」

「うん。できればこのおじさんたちが、ブチ切れて実力行使に出る前にお願い」

「もうキレてんだよぉっ、こっちはよーぉっ!!」


 脅しの刃がナユタくんにひらめくと、彼は機敏に飛び退いてそれを避けた。

 その動きだけでも、ナユタくんはただ者ではなかった。


「わかった、あなたを信じることにする……。ナユタ・アポリオン! わたしを、預かって!!」


 わたしが彼の望み通りの言葉を叫ぶと、天使様の奇跡が起きた。

 わたしが消えて、彼の中に消えてゆく。


 そんな不思議な感覚と共に、彼がこう小声でつぶやくのが聞こえた。

 それはまるで忠臣が主君に尽くすかのような声だった。


「リアナ様、今そちらに1人お客様が参ります」


 これがわたし、フロリー・ロートシルトとナユタ・アポオンの出会い。

 彼の言葉の意味を、わたしはあちらの世界ですぐに理解することになった。


 ナユタ・アポリオンは、神頼みを止めたわたしの前に突然現れた――本物の天使様だった。


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