閑話:白石家と引退後のトッコさん
ミナミベレディーが無事に引退式を終え北川牧場へと帰って来て一月ほど過ぎた頃、白石夫妻が北川牧場へとやって来た。事前にきちんと訪問のお伺いがあり、北川夫妻と桜花が久しぶりに会う白石夫妻へと挨拶を交わす。
「おじさん、おばさんお久しぶりです。キレイの種付けがなくなったから2年ぶりくらい?」
「そうね。桜花ちゃんも大きくなって、もうすぐ大学も卒業かしら?」
「進路で悩みまくってます」
和やかに会話を続ける桜花と白石夫人の横では、峰尾と恵美子が白石と会話を弾ませている。
「トッコちゃんが凄い頑張ってくれて、ムテキも引退目前にお嫁さんが増えて目を白黒してたよ。そのお陰で引退後の余裕も少しは出来たし、北川さん達には本当に感謝しています」
笑顔を浮かべる白石に対し、峰尾たちも同じように笑顔を返す。同業の廃業は寂しい事ではある。それでも、その事を笑顔で話せる事は非常に幸せな事だ。ましてや、引退した功労馬を処分する事無く、牧場で最後まで面倒を見ることが出来る。その事は奇跡といっても過言ではない。
「私達がというよりもトッコと、後は運のお陰です。トッコも癖がありますから、騎手にも、厩舎にも恵まれました。何か一つ違っても活躍できなかったかもしれません」
これは北川牧場の面々が共通して思っていた思いだった。ミナミベレディーは元々癖が強かった。それを無理に矯正する事無く育て上げたのは馬見厩舎であり、更に活躍させることが出来たのは鈴村騎手のお陰であろう。実際、競馬ファンの中では別の騎手であったなら牝馬3冠が獲れたのでは等と言う意見もあるが、ミナミベレディーの性格上中々に厳しかったのではと言うのが北川ファミリー共通の意見だった。
それも無事に引退できたから言える意見でしかない。
「そうね、トッコちゃん頑張ったわね。1歳の時は桜花ちゃんが口癖のように心配していたのを思い出すわ。無事デビュー出来るかな? って本当に可愛がっていたもの」
「だって、本当にデビュー出来るか不安だったんだよ?」
「そうね。あの頃は心配だらけだったわね」
此処にいる関係者の誰一人としてミナミベレディーがGⅠを勝つとは予想だにしていなかった。ましてや、GⅠ10勝という記録を作るなど夢にも思ったことはない。
そんな面々がミナミベレディーの逸話で盛り上がらないはずはなく、峰尾達の会話に桜花達も参加して、更に恵美子がコメントを加えてと昔話に盛り上がっていく。
「話し始めると切りがないですね。それにしても、うちのムテキも良い娘達を持ったものだ。そこはサクラハキレイに感謝しないといけませんね」
「そうですよ。男だけでは駄目ですから」
白石夫人の言葉に皆揃って笑い声を上げ、サクラハキレイ産駒の活躍にまで話が広がっていく。
「ああ、まずは事務所へと移動しましょう。そこで落ち着いて思い出話に花を咲かせましょう」
「あ、そうですね。盛り上がってしまって」
気が付けばそれなりに時間は過ぎ、面々は漸く牧場の事務所へと場所を移動する。そこで休憩を交えながら会話を一頻り続けた後に今日の目的であるミナミベレディーを見に放牧地へと向かう。
「トッコちゃんはもう落ち着いたの?」
「勝手知ったる我が家ですから、帰郷してすぐにのんびりマッタリし始めました」
笑顔で答える桜花に、白石夫人も笑顔を浮かべながら尋ねる。
「本当に賢い子ね。そう言えばトッコちゃんのお相手は決まったの?」
「おお、そうだな。まあ、内緒と言うならば仕方が無いが」
やはり種牡馬を管理していた牧場経営者という事もあり、白石夫妻の興味は次代へと向かう。そんな夫妻に苦笑を浮かべた恵美子が答える。
「いえ、一応候補としてはリバースコンタクトをと思っているんです。ただ、今年はトッコが発情するかが微妙で」
「色々とやってるんだけど、体格だけはどんどん大きくなるけどライトコントロールとかも意味なさそうなの。思いっきりぐーぐー寝てるし、流石に準備期間が短いかなって思ってます」
「まあ、初年度はなあ」
恵美子と桜花の発言に、白石も難しそうな表情を浮かべる。繁殖に関してベテラン達ばかりであり、その難しさは十二分に理解していた。
「それにしても、奇麗になったなあ。設備も充実している」
「これもトッコ達のお陰ですよ。大南辺さんや桜川さんが出資してくれて色々と手を入れることが出来ました。昨年の産駒達も昔では考えられない高値で売れましたし」
産駒達の動向は白石も恐らく耳にしているであろう。しかし、敢えて売買価格などを口にすることなく新しい設備や広くなった放牧地の話題、副業で行っている乳産業などの話題を交えながら漸く放牧地へとやって来た。
「ほう、これは立派な」
「馬達ものんびりとしているわね」
改装された北川牧場の様子に驚く白石夫妻。その視線の先には放牧された繁殖牝馬達が自由に草を食んでいる。
「トッコちゃんなら直ぐに分かるつもりだったけど、解らないわねぇ」
「そうだなあ、引退してまだ日も浅いし、何と言ってもGⅠ馬だからと思ってたんだが」
「あんなにテレビでは見ていたのに、ちょっと自信を無くすわ」
放牧されている馬達の中からトッコを探す白石夫妻。桜花達はその様子を後ろからクスクスと笑いながら眺めていた。
「あそこにいる2頭のうちの奥にいるのがトッコだよ。トッコは寂しがり屋だから大体ヒカリと一緒にいるの」
桜花が指さす先を見ると出産が近い為に大きなお腹をしたサクラヒカリがいる。そして、寄り添うようにもう一頭どっしりとした馬の姿が見えた。
「う~ん、体格は既に出来上がって来てるな」
「ほんと、繁殖牝馬と言われても違和感がないわ」
「トッコは良く食べるから、トッコ~~~、トッコ~~~」
桜花は、笑いながらも放牧されているトッコへと声を掛ける。
「ブフフフン」(桜花ちゃんだ!)
遠くからミナミベレディーの嘶きが聞こえ、此方へ向かって駆け足で走って来るのが見える。
「うん、重そうだな」
「とても数か月前に有馬記念に勝利した馬とは思えないわねぇ」
白石夫妻から皮肉でもなんでもなく、見たままの感想が零れる。それを聞き苦笑を浮かべるのは北川ファミリーであるが、もっとも繁殖を考えれば悪い事ではない。
「馬体は準備出来てきてます。ただ、メンタルがまだっていうか、繁殖とか種付とかトッコの前で言うと拗ねるんです。だから言わないようにお願いします」
「あら、言葉が解るの?」
「う~ん、多分?」
「それなら気を付けないと駄目ね」
桜花のお願いに驚きの表情を浮かべる白石夫人。もっとも言葉が解るを本気にしている訳ではないが、桜花の言葉に微笑みを以って了承する。そんな二人の会話を北川夫婦は苦笑を浮かべて眺める。
「ブルルルン」(人がいっぱい?)
ミナミベレディーは桜花達のいる柵の反対までやって来て首を傾げた。北川一家の事は理解しているが、そもそも白石夫妻を初めてみるので仕方がない。
「あらあら、トッコちゃんね。私達は貴方のお父さんを飼育しているの。でも初めましてね」
「お父さんのカミカゼムテキの管理をしているじじいとばばあだ。ほれ、ちょっと待っておれ」
白石が手にしたパックを開け、その中に入っていたカットされたメロンを取り出す。すると、ミナミベレディーは途端に尻尾をグルグルと回し、白石にというか、メロンに向けて顔を突き出した。
「桜花ちゃんからメロンが好物だと聞いたからな。お土産にメロンを持ってきたぞ」
「ブヒヒヒン」(わ~~~い! メロンだ~~!)
ミナミベレディーは差し出されたメロンを口に入れ、目を細めてもぐもぐする。桜花達はその様子を笑いながら眺める。
「それにしても、本当に態々すみません。メロンまで持ってきていただいて」
「なに、トッコちゃんより少し早く引退したでな。日々暇を持て余しておるよ」
「そうねえ、管理しているお馬さんも2頭になったから」
そう笑いながら白石はミナミベレディーへとメロンを与えていく。
「本当になつっこいですね。ムテキは気難しい所がちょっとありましたけど、本当に可愛らしいわね。トッコちゃんはお父さんに似なくて良かったわね」
もぐもぐしているミナミベレディーの鼻先を撫でながら、白石夫人も目を細める。
「キレイもちょっと神経質な所がありますし、そう考えると誰に似たのかしら? ヒヨリはちょっと神経質で、でもヒカリはおおらかですし。同じ子供でも不思議ですね」
「長く繁殖をして来たが、馬は難しい事ばかりだったな。もっとも、最後の最後に素晴らしい夢を見させてもらった。北川さんありがとうな」
「トッコちゃんだけでなく、GⅠ馬が3頭ですから。本当に北川さんにはお世話になって」
「とんでもない、こちらこそお世話になりました。トッコのみならずヒカリ達を含め本当にお世話になって。引退後もゆっくり出来ていると聞いてホッとしているんですよ」
「元々功労馬として最後まで面倒を見る気ではいたのだが、GⅠ馬3頭の父親だからな。流石に大事にせんといかん。何度も言うが北川さん達のお陰だ」
感謝を述べている内に、感情が込み上げて来たのか二人の声が湿り気を帯びる。そんな二人に恵美子の表情に笑顔が零れる。
「私達こそ、カミカゼムテキに助けられました。うちをGⅠ馬生産牧場にしてくれて、感謝しかないです。中々に厳しい時にトッコが活躍してくれて、更にヒヨリとフィナーレと、それもカミカゼムテキが居てくれたからこそですよ」
「ええ、キレイとこんなに相性が良いとは思いませんでした。でも、出来たらもう少し早く活躍して欲しかったわね」
恵美子の言葉に白石夫妻も、北川一家も皆が笑い声を上げる。そんな人間たちの様子を欠片も気にした様子も無く、ミナミベレディーは最後のメロン一欠けらを名残惜しそうにもぐもぐとさせている。
「トッコも此れからだから、出来れば早いうちに成果を出して欲しいんだけどなあ。ただ、今年すら怪しいし」
「ブフン」(なあに?)
桜花の言葉に反応し、ミナミベレディーが桜花へと鼻先を向ける。その鼻先を苦笑を浮かべて桜花は撫でていく。
「本当に桜花ちゃんに懐いているな。テレビの映像を見て驚いたよ」
「本当に、引退式も二人で声を上げて笑いました」
「あ、あれかあ」
白石夫妻の言葉に、桜花達は何とも言えない表情を浮かべる。世にいうミナミベレディー涙の引退会見の事だ。あの後、何かと競馬雑誌や、ファンからの手紙など五月蠅かったのを思い出す。
そんな白石夫妻の来訪も、あっという間に時間は過ぎていく。そして、ミナミベレディーに別れを告げて帰っていく面々を眺めながら、ミナミベレディーは首を傾げていた。
そういえば、お父さんっていたんですねぇ。すっかり忘れていましたよ? 幼少期に会っているんでしょうか? 今更ですけど、会ってもお父さんって解らないと思うんですよ?
放牧で戻って来た時に、母馬ですら判らなかった自分である。間違えてサクラヒカリとグルーミングしていたのを思いだす。
「ブルルルン」(お父さんかあ)
お父さんよりもメロンが美味しかったなあ、今度は何時食べられるかなあと思うミナミベレディーだった。
感想の中に白石牧場の続きのお話が合って、ついつい書いてしまいました。
楽しんで頂ければ嬉しいです。




