第三話
少女の名前はヤエと言った。
ガロの町に住む11歳の下級市民らしい。
父親はすでに他界しており母親と二人暮らしだという。
しかし、その母親が原因不明の病に倒れてしまったため、ヤエは一人で神殿に助けを求めに行ったのだそうだ。
「ナタリー様なら治してくれると思って……」
「嬢ちゃんはナタリーに会った事があるのかい?」
「うん、去年の暮れに一度だけ。私が道で転んで泣いてたら魔法をかけてくれたの」
「魔法?」
「治癒魔法。足をすりむいちゃったから」
目に浮かぶようだった。
確かにナタリーは困っている人を放っておけない性格の女性である。
それが子どもならなおさらだ。
どんな理由でガロの町を訪れていたかはわからないが、きっと泣いている彼女を見て声をかけたに違いない。
「血が出て痛かったのに、ナタリー様が手を差し伸べたらほんわかして痛くなくなったの」
「そいつぁ貴重な経験をしたな」
ナタリーに直接魔法をかけられた人間は何人いるだろう。
彼女の人気は天井知らずだ。
偶然とはいえ、伝説の聖女に魔法をかけてもらえたヤエは幸運である。
「それで、お母さんの病気も治してもらおうと思って来たんだけど……。今、大事なお仕事があって神殿にはいないんだって」
「大事な仕事ねえ」
対外的にはそういうことにしてるのか、とライルは思った。
信者にはウソをついてはならないと教えておいて、自分たちは平気でウソをつく。
見事なダブルスタンダードっぷりに笑ってしまった。
(ま、本当のことを言ったら大混乱どころの騒ぎじゃねえからな)
下手をしたら教団が傾く。
それくらいナタリーの失踪は重い案件である。
「ところで司祭様?」
「あん?」
「司祭様は治癒魔法、使えるんですか?」
突然の問いかけにライルは困った顔をした。
使える、といえば使える。
しかしその効力は雀の涙にも満たないほどで、例えるなら擦りむいた傷口を水で洗う程度の効果しかない。
時間もかかる上、魔力の消費も大きい。
正直、擦りむいた程度の傷なら水で洗ったほうが早いくらいだ。
だからライルはそう聞かれたら決まってこう答える。
「いいや、使えねえ」
「使えないの?」
「ああ。使えねえ。悪いな」
少しばかり期待していたヤエは「そうなんだ……」としゅんとうなだれた。
それを見てライルは少し気が引けた。
完全なウソとまではいかないが、それでも本当のことを隠していることに違いはない。
しかし本当のことを言って期待されても困る。
ライルは頬をぽりぽりとかきながら言った。
「……まあ、その、なんだ。治癒魔法は使えねえが、お前の母ちゃんを診てやらんこともないぜ」
その言葉にヤエの顔がパアッと輝いた。
「ほんと!? 司祭様!」
「ああ。診ることしかできねえがな」
ライルはもともと傭兵である。
医者とまではいかないが、傭兵時代には戦場でいろんな兵士を手当てしてきた。
薬の知識もある程度なら身についている。
病気ともなると治せるかはわからないが、症状くらいならわかるかもしれない。
望みのない提案だったが、ヤエは「ありがとう、司祭様!」と言ってライルに抱き着いた。
「お、おいおい、早まるんじゃねえよ。診ることしかできねえって言ったろ? 治せるかはわからねえんだ」
「でも! でも! やっと診てくれる人が見つかったんだもん! 嬉しい!」
ヤエは「ありがとう」を連呼しながらグジュグジュと泣き出した。
「ありがとう、司祭様……本当にありがとう……」
神官衣に顔を押し付けて泣くヤエを見てライルは思った。
(こいつにはまわりに頼れる大人すらいなかったんだな。唯一の肉親が病気で倒れちまったら、そりゃあ不安になるわな)
ライルは泣いてしがみつくヤエの頭を優しく撫でてやった。




