34話-(1) 偽神の眼
俺は触れてはいけない、禁断の剣を掴んでしまった。ずっしりと重く肌寒いその柄を。
拒絶反応が瞬間に訪れるのか、一定時間後に訪れるのか――そんなことは考えられない。
自分の死よりも重大なことが眼の前にある。これを使命というのかもしれない。
「――ッ!!?」
魔女を止めようと視線を柄から彼女へ向けたその瞬間だった。
異能のない右眼が突如熱く滾りだす――
一瞬、拒絶反応とも疑ったが……違う。拒絶されている感覚は一切しない。
むしろ神切が俺を歓迎しているかのようだ。
「きょ、拒絶反応が来ない……?」
そのことに少し畏怖の念を抱いてしまうが、今はそれを感じている場合じゃない。
いつ拒絶反応が訪れるかおかしくない状況だ。身体が生きている今のうちにアリフォーユを……!
「――ッ!?」
それは彼女に駆けだそうとした瞬間だった。
まるで魂の中に先人がいるかのように情報が絶え間なく流れ、脳がオーバーフローしそうになる。
流れ来る情報の全てが――この眼に関わること。
「……そういうことか!」
直接脳に流れ込む情報がそのまま右眼へ熱のように流れ込む。
あらゆる情報が錯綜する中、確かに存在する圧倒的なこの灼熱。
俺の全神経は――無意識に右眼へ集中していく。
確かなイメージが魂の中で芽生えると、今度は確かな確信を掴む。
これが本当の目覚めであることも、この眼の真価のことも、今となっては手に取るように解る……!
神切を手にした俺には拒絶反応が起こるはず。それは桜夜家以外の者に対する拒絶の意。
当然、俺には桜夜の血筋を継いでいない。だが――この眼だけは桜夜の血筋を継いでいた。
この眼は桜夜家伝説の剣士――桜夜飛龍の異能。
世界の悪の原因である偽神を切った刀。その偽神を切り、偽神の眼を手に入れた桜夜飛龍。
今、その両名を俺が手にしている……!
「うおおぉぉああああああッ!!」
この眼の真価は魂を操ること。
魂とは人間、あるいは生物が生きている間、生命の源となる存在。
魂は二つの分類で分かれる。
一つは肉体を維持する魂、肉体魂。
そして精神、人格を維持する魂、精神魂。
人間はその二つの魂が合わさり、一つの魂として体内に存在している。
俺が防御に使っていた結界の本来の姿は、魂同士が干渉し合う固有結界。
この結界内に魂があれば、お互いに魂の干渉が可能ということ。
「止めろぉおおッ!!!」
俺は叫声をあげて左目を見開き、俺とアリフォーユを閉じ込める結界を創る。
そして――今まではなかった感触。右眼が暗黒の闇の如く滾り始めた――!
この右眼で凝視しているのはアリフォーユの魂。
まるで火の玉のよう胸元に浮遊しているそれは消沈してしまいそう。
「な、何が起きているの……?」
相手からも俺の魂が見えるはず。
この結界内は俺が相手の魂を侵食可能と同時に相手もまた侵食が可能となる。
ならば――その行く末は魂の強さで決まる!
「うぉおおおおおおお……!」
俺は灼熱を放つほど熱く滾った右眼――偽神の眼に全身全霊を注いでアリフォーユの魂の侵食を始める。
青白い炎を浮かべていた魔女の魂は、蝕まれるよう黒い霧に覆われていった――
「ぐああ――ッ!?」
魂が侵食される痛みで表情を歪めるアリフォーユ。
本来は身体を蛇行させ悶える程の痛みなのだろうが、弛緩毒の効果で身体に力が入らなく微動だにしない姿は奇妙とも感じた。
「…………」
既に彼女の魂は――暗黒の闇の如く妖しい光を放つものに変わっていた。
文字通り魂が抜けてしまった人形のよう、アリフォーユは脱力しきって再び地面へ平伏せる。
今、俺の魂とアリフォーユの精神魂は半ば同化している。
精神魂は人格の根源。いわば肉体を動かすための司令塔。
その精神魂はアリフォーユの身体には宿っていない。なにも指示のない身体は動くことがない。
だから、この眼は精神魂を侵食し自分の魂と同化させることによって相手を操ることができる――!
「魔術を停止しろ!」
相手の魂を操ろうとして初めて解った。
俺の魂は肉体魂と精神魂だけで構成されてはない。もう一つの魂がある。
これは侵食した魂を保管する場所――アリフォーユの魂もそこに宿っていた。
俺は大きく息を吐くと、左眼を見開いて結界を解除する。
魂を操ったことで完全なるアリフォーユの無力化を確認したからだ。
「…………」
俺は悪しき物を見るように手にしている神切を目視する。
まさか俺に――こんな力が宿っているなんて思わなかった。
絶対的な防御力を誇るこの結界が、本当は魂を干渉し合う為の固有結界だったなんて……。
目覚めてしまった。だけど後悔はない。この力で少しでもみんなの力になれたら……。
「な、中沢くん……!」
後ろから桜夜先輩の声がする。
どんな顔で先輩に会えばいいのだろう……俺にこんな能力があると知られたら、皆は俺をどう見るのだろうか。
「桜夜先輩……」
俺は両目の熱がないことを確認してからゆっくりと後ろを振り向く。
その桜夜先輩はアリフォーユが放った衝撃波で吹き飛ばされてしまっていた。清王さんも。
俺だったら致命傷は避けられないほどの威力だったが……桜夜先輩は無事だったのだろうか……?
だけど、そんな事など無かったよう悠然とした姿で桜夜先輩は真っ直ぐに俺を見つめていた。
「け、怪我はないですか……?」
掛けるべき言葉が相応しくないとすら思う。
そんな俺に案じてくれたのか桜夜先輩は優しく微笑むのだった。
「……ああ、私なら大丈夫だ。大木に背中をぶつけただけだからな」
あの速度で背中からぶつかったのに……どうして桜夜先輩は平気な顔で立っていられるのだろう。
普通なら脊髄損傷は間違いないはずなのに……。
「――まさか君が……」
少し恐れるように桜夜先輩は俺が手にしている神切を見つめる。
もう桜夜先輩も気付いているだろう。桜夜家以外の人間が触れれば絶命する神切を俺が握っているのだから。
俺も全てを受け入れるよう、ぎゅっと唇を噛み締めた。
「――偽神の眼の所有者だったとはな」
桜夜飛龍の異能である偽神の眼。
その異能のことを桜夜の血筋を引いている桜夜先輩が知らないはずがなかったということか……。
「まったく、神切には触れるなっと警告したはずだぞ?」
苦笑交じりに桜夜先輩は俺を諭してくれた。桜夜先輩は俺を受け入れてくれたんだ。
魂を操るという恐ろしい能力を持つ俺を。
「す、すいません……」
まったく頭が上がらない。
俺が偽神の眼を所有していなかったら、今頃は拒絶反応で死んでいたことだろう。
「……中沢、拘束用ロープは……?」
桜夜先輩の後方から、よろめきながら清王さんが歩み寄る。
歩けるのなら脊髄の損傷は考え難い。あの距離を吹き飛ばされたのに……なんてこの二人は強靭なんだ。
「あ、い、今取りにいくよ!」
本来の目的であることをすっかり忘れていた。
だが、もう先のような不安は一切ない。
今のアリフォーユは俺が操っているから、解放しない限り動くことすらないだろう。
――星見郷は大丈夫なのか?
桜凛八重奏の一人であるアリフォーユを倒して、ようやく安息が訪れた。
「美唯! 星見郷は大丈夫か!?」
身を乗り出して藪を掻き分けると、ちょうどその先に何かがあったらしい。
水風船のような柔らかいものが頭に圧しあたる。
「きゃっ! じゅ、じゅん! どこに頭突っ込んでるのよこの変態ッ!!!」
「あっぶあッ!?」
強烈な平手打ちを頬で受け止め、派手に飛ばされてしまった……。
一人の男を平手で飛ばすほどの威力を痛感し、先とは真逆に地面の冷たさを肌で感じながら平伏していた。
さっきはあんなに柔らかくて温かかったのに……なんて温度差だろう。
でも、久しぶりにまた俺たちの日常が戻った気がする。
一度は失ったかと思った。二度と取り戻せないと思った。その答えはどこにもなかった。
だけど、今なら言える。
どんな世界でも仲間がいれば、楽しい日常を送れるということを。
――みんなにも俺の本当の能力について話さないといけないな。
「あ、そうだった」
いつまでも地面に伏している場合じゃない。俺は拘束用ロープを取りに来たんだった。
「美唯! 拘束用ロープはどこだ?」
「えぇっ!? 潤ってドMだったのッ!?」
「そういう用途では使わねぇよ!」
気が付けば美唯の顔も薄暗く見えるほど、辺りは暗くなってしまっていた。
夕焼けは過ぎ、また夜の訪れ。
「お、女の子を縛るような変態行為だけはしないでね?」
女の子を縛る変態行為ねぇ……。
そういう下心があって縛る訳ではないが……縛ることには変わりないのか。
「ごめん、その約束守れそうにない」
「えぇっ!? それって――」
「違う! そういうことは断じてやらない!」
「あはははは、わかってるって!」
美唯はからかうような笑みを浮かべながら足下にあるバックを探るために腰を下ろした。
この美唯の調子だと星見郷は大丈夫だったのかな。
でも、自分の眼で確かめたい俺は更に陽が落ちた周囲を見渡す。
が、既に本格的な夜になってしまった眼は意味を無くしてしまっていた。
「……この時期になると陽が落ちるのも早いな」
「まったくだよ。え~とロープロープ……あれぇ? ロープどこしまったけ?」
美唯がそういうのも無理はない。
眼が意味をなさない今、感覚で探し当てるしかないのだ。
ちょっと時間が掛かりそうだったので、俺は美唯の後ろで静かに眠る星見郷の傍らに膝を屈した。
「……早く元気になれよ」
黄金色の月光を浴びながら笑顔のまま眠る星見郷にそう念じた。




