馬車の中での契約説明
馬車の中でオルトから契約内容を改めて説明される。
基本的な条件はクラウディアも聞いて了承した通りだ。
ただ何故か金額が細かい。
かなり珍しいことだ。
それが顔に出てしまったのだろう、オルトが素直に白状する。
「お互いについ白熱してしまったのです……」
「まあ。珍しいわね」
クラウディアから見てオルトはやり手で、常に冷静な人物だった。
モーガン侯爵にしてもそうだ。政治や領政で白熱した議論をすることはあっても、こういうことで白するとは思わなかった。
「さすが侯爵という地位にいる方は違うと思いました」
「手強かった?」
「はい、とても。ですが得難い経験でした」
「そう。よかったわね」
オルトが微笑する。
「はい」
すぐにオルトは真面目な顔に戻して告げる。
「契約書のほうは私から旦那様にお渡します。その時に具体的な説明もしたいと思います」
「ええ、お願いね」
オルトに任せておけば安心だ。
クラウディアより的確に報告してくれるだろう。
オルトが契約書をしっかりと鞄にしまう。
それを見ながらそういえばと思い出した。
「そういえばオルトはそろそろ領地に帰るの?」
一応モーガン侯爵家との取引のために王都に留まってくれていたはずだ。
「その辺りは旦那様やシルヴィアお嬢様と相談になりますね」
「そうなのね」
「クラウディアお嬢様は本当にシーズンが終わるまで領地にはお戻りにならないのですか?」
「一応、そのつもりよ」
いろいろ約束や予定が入ってきているから何かなければこのままシーズン中は王都にいる予定だ。
「そうですか」
「えっと、オルトは私のことは気にしないで戻って構わないわよ?」
「そちらは私の一存では決められないことですので」
「そう。まあ記憶の片隅にでも置いておいてくれればいいわ」
「はい」
オルトの希望通りにしてほしいと後で執事長に頼んでおこう。
そうすれば気兼ねなく領地に帰れるはずだ。
クラウディアの前では言わないが、早く帰りたいと思っているのだと思う。
きっと領地での仕事が山積みになっているのではないかと推察される。
オルトはシルヴィアの商会の副会長でもあるのだ。
そちらの仕事も溜まっていることだろう。
恐らくオルトもそれがわかっているだろうにおくびにも出していない。
それに甘えていてはいけないと思う。
「オルト、今日はありがとう」
改めてクラウディアは礼を言った。
オルトが微笑する。
「私は自分の仕事をしただけです。ですが、お役に立てたならよかったです」
「オルトがいてくれて助かったわ」
「光栄です」
本当にオルトがいなければクラウディアは金額交渉などどうすればいいかわからなかった。
オルトがいてくれて本当によかった。
クラウディアのほうでも何か特別手当てを出したほうがいいだろう。
クラウディアは領地本邸でも手伝ってくれたり、成果を出した使用人にはよく特別手当てを出していた。
金銭だと受け取ってくれないので、ちょっとしたものなのだが。
「オルトは何か欲しいものがあるかしら?」
「唐突ですね」
「あらそうかしら?」
そうだったかもしれない。
クラウディアが考えたことを知っているのはクラウディアだけだ。
「ごめんなさい。今回のことでオルトに特別手当てを出そうと思ったのよ。だから欲しいものがあったら言ってちょうだい」
「ああ、特別手当ての話でしたか」
オルトが納得した顔になった。
オルトには何回か特別手当てを出していた。
もちろんキティやマルセルにもだ。
「ええ。今回はオルトがいてくれて本当に助かったから。何か欲しいものはあるかしら?」
オルトが少し考える素振りを見せた。
何か欲しいものがありそうだ。
「……何でもよろしいのですか?」
「あら、何か欲しいものがあるのかしら?」
オルトは一つ頷くと真剣な顔になる。
「御迷惑でなければ、小さな刺繍のもので構いませんので、クラウディアお嬢様の刺繍したハンカチをいただけませんか?」
「あら、そんなものでいいの?」
クラウディアとしてはもう少し手の込んだものでも売っている何かでもよかったのだが。
「そんなものではありませんよ」
オルトがきっぱりと言う。
キティも頷いている。
でも小さな刺繍入りのハンカチなど大した手間でもない。
だから二人の反応は大袈裟だと思う。
だがここで言っても仕方ない。
ここはクラウディアが退かなければ。
二人の意見に賛同はせずに話を戻す。
「わかったわ。ではハンカチに刺繍をして贈るわね」
オルトはふわりと微笑う。
「ありがとうございます」
「あ、何の刺繍がいいかしら? 希望はある?」
「そうですね、」
少し考える素振りを見せた後で、おもむろに希望を口にする。
「菫とリスがいいです」
意外と可愛らしい希望だ。
ちらりとキティがオルトを見たが何も言わない。
「わかったわ。デザインは任せてもらっていいかしら? それともデザインを描いた後で一度見る?」
「クラウディアお嬢様にお任せします」
「わかったわ」
「楽しみにしています」
「ええ」
オルトは心なしか嬉しそうだ。
楽しみにしているという言葉にも嘘はないようだ。
さて、どんなものがいいだろう?
屋敷に着くまでクラウディアはどんなデザインにするか、考えることに没頭した。
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