モーガン侯爵家訪問の日の朝
今日はいよいよモーガン侯爵家へ訪問して正式に刺繍絵の注文を受けることになっている。
朝食を食べ終わったところで父に呼ばれて執務室を訪ねた。
「いいかい、クラウディア。条件が折り合わなかったら断って構わないからね」
父は急に何を言い出したのだろうか。
クラウディアは思わず目を瞬かせた。
「条件が合わなければ受けない、というのは当然のことだよ」
関係とかいろいろ配慮するべきことがあるのではないだろうか。
クラウディアが難しい顔をしたからだろうか、父が言葉を重ねる。
「別に商売でやっているわけではないから構わない。クラウディア、自分を安売りするのはモーガン侯爵家に対しても失礼なことだ」
クラウディアははっとする。
前にオルトにも似たようなことを言われた。
「オルトにも注意されました」
「……注意されて忘れていたのだな?」
「……はい」
父が溜め息をつく。
「心配になってきた」
「大丈夫ですわ」
オルトもいるし問題ない。
「私かロバートが一緒に行ければよかったのだが、仕事が抜けられない」
「大丈夫ですわ」
オルトもいてくれるから何とかなる。
「これは家と家との取引でもあることは忘れないように」
「はい」
今言われたので大丈夫だ。
きっとオルトは言われなくともわかっているだろう。
「受けるかどうかはクラウディアとオルトの判断に任せる」
「はい」
「オルトとよくよく話し合って決めなさい」
「はい」
「迷ったら一度持ち帰ると言いなさい」
「わかりました」
それなら安心だ。
ほっとしたクラウディアを見て父の顔がまた曇る。
「やはり不安だな。オルトにはよくよく言っておかなければ」
クラウディアは反論できない。
こういうことはいつもオルトを頼っていた。
家族の信頼も厚い。
頼りすぎてはいけないとは思うのだが、交渉事にクラウディアは向かない。
腹の探り合いも丁々発止のやりとりも苦手だ。
何より、自分の作る物の価値がわからない。
父の後ろに控えていた執事長がにっこりと微笑う。
「オルトにお任せいただければ何の問題もございません」
思わず目をぱちくりさせて執事長を見る。
「もちろん、オルトのことは信頼しているわ」
ただ頼りっぱなしなのが申し訳ないのだ。
今回だってクラウディアが侯爵家から仕事を受けることになったので領地への帰還を延期しているのだ。
この件がなければもう領地へと帰還できていたのだ。
それが顔に出たのだろう、執事長が頼むような響きの声で言う。
「どうぞ頼って差し上げてくださいませ」
「もう頼りっぱなしよ」
「それでよろしいのですよ」
穏やかに微笑んで言われればそれでいいような気もしてきてしまう。
「オルトもクラウディアお嬢様のお役に立てること、また自身の才覚を役立てる場を与えられることを誉れと思っておりますので」
クラウディアは首を傾げる。
見かねたのか父が口を挟む。
「クラウディア、今はそういうものだと受け取っておきなさい」
ここでは結論は出ない。
時間もないことだし、父の意見に乗っておくべきだろう。
「わかりました。そうします」
「ありがとうございます、クラウディアお嬢様」
何故礼を言われるのかはわからない。
困惑しているクラウディアに父が声をかける。
「……そろそろ仕度をしたほうがいいのではないか?」
「あ、はい、そうですね。では失礼します」
釈然としないままクラウディアは部屋を出て自室へと向かった。
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