クノス公爵家への訪問前の朝の一騒ぎ
「いいかい、クラウディア。必ず返してもらうように。貸してほしいと言われてもきっぱり断るんだぞ」
一応父からハンカチを借りることはできたのだが、何度もくどいくらいにきちんと返してもらうようにと告げてくる。
クラウディアは内心でうんざりしながら頷く。
「わかっていますわ」
「キティ、クラウディアが忘れていそうだったら必ず伝えるように」
「承知しました」
キティはクラウディアの専属侍女だが、雇っているのはラグリー伯爵家だ。
だから父の命令もキティは聞く。ただし、クラウディアに不利にならないものに限るが。
伯母だって少し見たら返してくれると思うのだが。
「お父様、時間は大丈夫ですか?」
時計に目をやった父の顔に焦りが浮かぶ。
そこへ執事長の声がかかる。
「旦那様、そろそろお出になりませんと遅刻されますよ」
「今から行くところだ。ではクラウディア、気をつけていっておいで。きちんと帰ってくるように。それからくれぐれもハンカチは持ち帰ってくるんだぞ!」
「わかっています。お仕事頑張ってくださいね」
「ああ、行ってくるな」
父は慌ただしく去っていった。
その後をクラウディアに一礼して執事長が追っていった。
「旦那様はよほどこのハンカチがお気に入りのようですね」
「そうみたいね」
思わぬ誤算だ。
意趣返ししたはずだったがダメージを受けたのはクラウディアのほうだ。
納得がいかない。
クラウディアの気持ちが伝わったのかキティが苦笑する。
「旦那様のお気持ちもわかりますわ。このハンカチは本当に可愛らしくて家族愛に溢れていて素敵ですから」
「ふふ、ありがとう」
父が王城で自慢しているのは予想外だったが出来には満足している。
シルヴィアに頼まれたハンカチも気合いを入れて仕上げなければ。
ようやくデザインも終えてシルヴィアもそのデザインでいいと了承してくれたところまでは来ている。
帰ってきたら早速刺繍に取りかかろうと思う。
思考が逸れていたクラウディアはキティの言葉で我に返る。
「お嬢様、旦那様がおっしゃっていたのでお泊まりは駄目ですからね」
「たぶん大丈夫よ」
「お泊まり道具は持っていきませんからね?」
キティに念押しされる。信用がない。
昔、伯母が刺繍を教えてくれると言ってくれたので預けられていた時期があるのだが、その時も予定からだいぶ遅れて帰ってきたらしい。
それ以降、たびたび、というほどではないとクラウディアは思うのだが、伯母のところに出掛けては滞在を延ばすようなことをしていた。
とにかく伯母はクラウディアの興味を引くのがうまいのだ。
だから家族からそろそろ帰ってくるように、と手紙をもらうまでついつい滞在してしまうことがままあった。
それだけだ。
それだけなのに、家族も、何なら使用人までもがクラウディアが伯母に会いに行く時はちゃんと帰ってくるかをやたらと心配する。
普段領地にいるのと何が違うのだろうか?
屋敷に不在というならどちらも同じことのはずなのだが。
やはり親戚とはいえ他家というのが問題なのだろうか?
「わかっているわ」
「誘われても夕食までですからね」
「ええ」
夕食までは許されるらしい。
「夕食までは辛うじて旦那様方の許可が出ましたから」
いつの間にか確認しておいてくれたようだ。
「確認しておいてくれたのね。ありがとう、キティ」
本当にクラウディアはこういうところには気が回らないのでキティの細やかさには感謝しかない。
キティは苦笑している。
「お嬢様のそういうところも好きですわ」
クラウディアはきょとんとする。
キティはさらりと流して告げる。
「ではお嬢様、そろそろお支度致しましょう」
時計を見る。
父との会話で随分と時間を取られていたようだ。
「ええ。急いだほうがいいわよね」
「ご安心くださいませ。あとはお嬢様の身支度のみでございます」
「さすがキティね」
「当然のことでございます。ではお召し替えを」
「ええ」
クラウディアも身支度をすることにした。
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